くーん


 半田も最初は戸惑っていた。が、人間は慣れるものだ。例えダンピールとて、貴賎なく。
「おはよう半田。好きだよ」
「おはよう、俺は好きじゃない。……お前も飽きないな、理解できん」
 顔を合わせるたび告げられる告白に、やがて半田は、狼狽える素振りをちらとも見せず、こんな野暮なことまで宣うようになった。飽きる飽きないの話じゃないのを、この男はまだ分かっていないのだ。やれやれと瞳を細める木偶の坊に、にっこり笑顔を貼り付ける。
 そう。私はこの鈍感くそバカ野郎が慣れてしまうほど、こんなことを続けている。続け“させられている”。いや、たしかにこれは私が勝手に始めたことだ――けれど。
「よくこんな無駄なことを続けるものだ」
 おい、いい加減にしとけよ、てめえ。
 ◆
 ほんの数日前は呆れで、しかし穏やかに溶けていた金は、いまや高く吊り上がっていて、燃え上がるような怒りしか込められていなかった。それに刺し穿たれてもなお平然と見返す私に、鋭い牙が焦燥を示して剥き出しになる。
「なぜだ」
「なにが」
 間髪入れずに真顔で切り返す。すると威圧的だった半田のほうが逆に動揺して、グッと息を詰まらせた。しかもそれきりむっつり黙り込んでしまう。
「な、に、が」
 地蔵田に、仕方ないのでもう一回、一音一音をはっきり区切って尋ねてやる。半田は怯えたように肩を竦めた。幼い子どもを虐めてるようでなんだか気が引けるが、いつまでもこうしているわけにもいかない。
「休憩時間終わっちゃうんだけど」
 腕時計を見ながらさも大儀そうに言ってやれば、「さ、さいきん」と、やっとその口が油を差し忘れた機械のようにぎこちなく動く。大きな口には不釣り合いなか弱い声が絞り出された。
「なぜ、俺に――その――……は、話しかけない」
「は? かけてるじゃん」
「……ちがう」
 そうじゃない、と固く首を振る半田に眉をひそめる。最近、とは恐らく、告白をしなくなったここ数日の話だろう。でも普通に会話はしていた。だって同僚だから。多少なりともやりとりをせねば仕事にならない。私はただ、告白するのをやめただけ。最もそれだってやめたつもりはない。全く進展しない現状にちょっと腹が立ってきたので、メンタルリセットも兼ねて一時休戦しているだけだ。
 まだ歯切れ悪くもごもご言っている半田に、「あのさぁ」と、額を抑えて息を吐く。
「半田、『なんで告白して来ないんだ』――って言ってる?」
 いやまさかねぇ、と念押す私に、半田はぎしりと分かりやすく身を強ばらせた。汗が一筋、こめかみから流れていく。一歩踏み出すと、半田は頭を少し傾けて仰け反る。さらされた喉仏が上下した。
「『俺は』好きじゃないし、理解できないんだよね」
「それ、は……」
「『無駄』だとも言った」
 私が近付けば、半田は引く。そんなことを繰り返して――半田は、気付いていないのだろう。自身の背後に迫る壁に。
「なら、私が告白しないことで半田に起こる不都合ってなに?」
 トンと鳴るは終わりの合図。半田の靴の踵が、壁を叩く音だった。半田の顔からサッと血の気が引く。が、目の前にいる私を見てすぐに赤く染まった。
「半田のことを男の人として好きじゃなくなって、なにか悪いことある?」
 はく、と緩慢に震える唇が動く。茹で上がった目元がピクピクと細かく痙攣していた。さあ、言え。
「――……ぁ、る」
 想定よりずっと早い陥落に、口角が上がるのを抑えることができなかった。
「なに? 聞こえない」
「ッ、あ、ある――ある、と、言っている」
 ふぅん、と短く返せば、彼は臆したようにぎゅっと口を引き結んだ。しまいきれなかった牙が口端から覗く。
「なんで?」
「……お前は、俺が好きと言っていた。嘘をつくのは、良くないことだ」
「嘘じゃない、本当に好きだったよ」
 目を逸らさずにしっかり告げれば、半田がポツリと「過去形なのか」と呟いた。特に意識したわけじゃなかった言葉尻をとられ、目を瞬かせる。
「それは、……それは、もう今は――好きじゃない、ということか」
「え、いや……」
 こ、細けえ。知ってたけど。ええ、そんなところ気にする? 驚愕で言葉を濁してしまう。
「お前の告白は、いやじゃなかった。……ちゃんと『嬉しい』と、俺は言ったはずだぞ」
 もはや半田は私を睨んでいた。じわ、と目尻が光る。不意に手が上がり、私の肩を掴んだ。
「俺はお前からの言葉を一度だって拒絶していない」
 力は強い、けれど震えている。拘束を解くのは容易だろう。拒絶、いや、したじゃん。
「フッたくせに」
「……フッてない」
「じゃあすまないって言ったのはなに?」
「…………そ、『そういう対象』として見たことがなくて悪かった――という謝罪だ」
 無理がないか? 私のじっとりした視線を受け、汗がダラダラと滲みはじめていた。
「……じゃあこれからは『そういう対象』として見てくれるってこと?」
「……善処しよう」
「善処、ねえ」
「…………見る。ちゃんと見る、から」
 両肩の手に力が込められた。今度こそ抜け出すのは無理な、加減も忘れた強さが少し痛かった。
「もう一度、言ってくれないか」
 なんの言葉を求められているかは明白だった。うーんと悩むふりをして、口元に手を当てて隠す。たった数日。ちょっと気持ちを切り替えるだけのつもりだったのに。とんだ棚ぼただ。だけど随分と耐え症のない男を好きになってしまったものだなぁ。

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