無自覚
ご機嫌な様子で食事に舌鼓を打っていた彼女が、グラスへと手を伸ばす。今日の食事は塩分を多めにしてある。だからきっと、一気に煽るだろう。目論見通りグラスの底が高く上がって傾いた。彼女はビクリと一瞬固まったが、その喉はしっかり動いた――よし、飲んだな。私がひそかにほくそ笑むのと同時に、予期せぬ液体の侵入に身体が驚いたのか、彼女はげほごほと盛大に噎せ返った。そしてやや涙目で、信じられないといったふうに手元のグラスと私を交互に見つめる。
「どうかした?」
「いや、これ、お、お酒なんですけど?!」
「え、うっそマジ? うわほんとだ……ごめんね」
わざわざ舐めて中身を改め、済まなそうに眉を下げる。ちょっとしおらしくしただけなのに、善良な彼女は「あ、いえ……」なんて、簡単に勢いを失ってしまった。
「というか、なぜこんなものが……」
「まあ客人を酔わせて意識がわやわやの時に血を頂戴するといった手法も――いや私はやらないですけどね! あるってだけで! これはあの、ほら、料理とかに使えるかなって置いてただけです!」
初めて送られた軽蔑したような眼差しに思わず死にかけた。冷や汗を流しながら必死で弁解し、納得した素振りをみせてくれる彼女にホッと胸を撫で下ろす。今日のためそして彼女のために取り寄せたことは一生黙っておこう。嫌な流れを断つように、私は「いやぁ」と明るく声を上げた。
「しかしこうなっては仕方ないね。今日は泊まっていくといいよ」
「泊ま……え、いや、それはさすがに……」
「だってきみ、今日も車で来たんだろう?」
確認する必要もないことをわざとらしく確認する。少し迷ってから、目の前の小さな頭が肯定を示して動いた。おろおろとしたその顔には、『申し訳ない』とありあり書かれていた。しかしそれだけだ。忌避感、はなくて当然それでよしとしても、照れやら期待やら欲やらは、まったく窺えない。その事実に目元がぴくりと痙攣しかけたが、なんとか抑えてやさしく微笑む。
「帰れないのだから、素直に泊まればいいじゃないか。見ての通り、この城はバカみたいに広いんだ。部屋なんて、それこそ腐るほどある」
「それはそうですけど……でもやっぱり悪いですし、車中泊とか……」
「そんなの、疲れもろくにとれまいよ。なに、遠慮することはないさ。だってきみと私の仲なんだから」
「……私とドラルクさんの?」
「そう。きみと私の」
繰り返して、強調する。完璧な笑顔を保っていたつもりだったのだが、彼女はなにか圧を感じたのか、「そ、そうですね……?」と、少しも思ってなさそうに、そして戸惑いを隠さずぎこちなく笑った。『私たちの仲……?』という心の声が聞こえてくるようだ。そういう素直なところは美徳だが、と自身の笑顔が引き攣るのが分かる。
こんな森奥の城までわざわざ車で遠方はるばるやって来ては、砂になりそうなほどの大声で告白し、返事もろくに聞かぬまま勝手に満足してジョンと戯れ、何事も無かったかのように帰る彼女。私に一目惚れって、いや、見る目はあると思うよ。だがこうも淡白な態度をとられ続けていたら、彼女が本当に私へ思慕を抱いているのか疑わしくなってくる。……別に絆されたとか、ましてや返事がしたいとかじゃないんだけど。全然違いますよ。ただなんかこう、あの……まったく期待されないってのもなんか気に食わないじゃないですか。なんていうか、好きとか言うなら、もうちょっと色々意識した反応してくれたっていいんじゃないの、みたいな。
裏表のない幼気な子どものように『好きです!』と言われるのも悪くはない。けれど、最近はその純情無垢さに物足りなさを感じつつあった。これはきっと自身の気質が起因しているに違いない。だって私は吸血鬼。面白そうなことが大好きで、退屈を何より厭う性を持つもの。普遍的な彼女の対応に飽きがきてしまったんだろう。……いや、満面の笑みで『好き!』って言われるのがイヤってわけじゃないです、それはもう本当に。可愛いとは思うし、あれはあれで普通に嬉しい――あれ、それならなんで……私はいったいなにをこんな不満に……、……アッこれ以上考えるのはやめよう! いらん扉を開いて自爆する気がする。聡明なる我が頭脳が打ち鳴らす警鐘に従い、私は大人しく思考を放棄した。
「にしても酔わせてって……そんなの私にしてどうするんですか……」
血だって今日の分はもう吸ったでしょう、とどこか呆れ気味で独り言ちる彼女に、とうとう笑顔が剥がれ落ち、目が据わる。開き直ったのか今や堂々と酒を飲む彼女は、私の表情の変化にこれっぽっちも気が付かなかった。
呆れたいのはこっちだ。私だって相手くらい選ぶとも。きみだからするんじゃないか。ねえきみ、分かってるかい? 仮にも好いているという男の家で、これから一夜を明かすんだぞ。しかも酒が入った状態で。
さて、この娘にそれをどう自覚させたものか。長い夜は、まだまだ始まったばかりであった。
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