安吾は太宰にいつもの酒場に呼び出されていた。
あそこにはいつも適当に集っているが、こうやって時間まで指定されてというのは滅多にない。
約束の時間には大分早いが、急ぎ足で店内に入ると、すでに太宰はいつものカウンター席に座っていた。珍しい。内心驚きつつも、見回せば織田作はまだいないらしい。
「やあ安吾」といつもの調子で声を掛けられるが、いささかいつもと様子が違うように感じた。
「太宰君がこんなに早く来ているなんて珍しいですね。どうしたんですか?」
隣に座り安吾が問いかけると、太宰から表情が消え、神妙な顔つきになる。
「………、安吾。心して聞いてほしい。重大な事が発覚したんだ」
「……何が、あったんです?」
彼が声を低くして語り出した発言に安吾に緊張が走った。
「実は、織田作が、……織田作がっ!」
いつになく真剣な様子と切迫したように口にされた友人の名に肝が冷える。想定される最悪の事態が安吾の頭の中でいくつか駆け巡りながらも、平静を保とうと太宰の次の言葉を待った。
「織田作が、……結婚していたんだ!」
「……………………………はっ?」
たっぷり数秒間沈黙した後、安吾は気の抜けた声しか出せなかった。
「織田作が結婚していたんだよ!何それ、水臭くない?どうして私たちに教えてくれなかったんだ!知っていたら全力でお祝いしたのに!」
「……そうですね」
安吾は頭痛を抑える為、額に手を当てた。先程の緊張の所為か、いつもより余計に痛んだ。
「反応薄くない?あの織田作が結婚していたんだよ。しかも半年も前に。浮いた話なんて一つもなかったのにさ」
「そういう反応をされるから隠していたのでは……、いや織田作さんに限ってそれはありませんね。大方聞かれなかったからじゃないですか。仕事の話のように」
「そうだとしてもだよ。今日は話の一つどころか馴れ初めから今に至るまでを聞かせてもらわない事には私の気が収まらない!」
拗ねたように云う太宰に「勿論安吾も付き合うよね」と念を押される。はあ、と適当に返事をしているとちょうど入口からもう一人の友人の姿が見えた。
早速絡みにいく太宰を横目に
どうやら今夜は長くなりそうだ、と安吾は覚悟を決めるしかなかった。
※※※※※
明け方の物音に目覚めれば、作之助さんが帰ってきていた。
「すまない。起こしてしまったか?」
「もう明け方ですから、気になさらないでください」
昨夜は随分遅くまで仕事をしていたのだろうか。そういった話は聞いていなかったので思わず首を傾げるとバツが悪そうな顔で作之助さんがきりだした。
「その、友人に捉まってな。君の事がバレた。といっても、君の本当の素性は話していない。
俺が君に一目惚れをして借金のカタに売られそうになっていたのを駆け落ち同然に攫って結婚したと、大体長編小説一本ぐらいの長さで話したら時間が掛かってしまった」
「そ、そうですか。それは……」
災難でしたね、ご友人。と云おうとしてやめた。私の為にしてくれた事だし、この人に他意はないのだ。
ひとまずお疲れさまでした、と声をかけ珈琲を淹れはじめる。シャワーを浴びてくると云い残した彼を見送って朝食の準備に取り掛かった。
冷蔵庫からスクランブルエッグ用の卵を取り出しながら、さきほどの言葉を思い返し、口元が緩んでしまうのを抑えきれなかった。
一目惚れをして結婚。
事実とは違っても彼が友人にそう語ったのだ。好きな人にそんな風に話されて嬉しくないはずがない。
この世界に来たばかりの頃の私は自分の身に起きている事態に混乱するばかりで取り乱していた。
異世界に来たことすら理解できず彷徨っていた私を保護した彼は、私がする訳が分からない、ともすれば頭のおかしい話を馬鹿にすることなく一つ一つ丁寧に確認して事態を把握しながら、耳を傾けてくれた。
それがあの時の私にとってどれだけ支えになってくれていたか。彼がいなかったら自分を保つことさえできなかっただろう。
そのまま彼のお世話になることになった時も不安になって泣いてる私を慰めるように一晩中そばにいてくれた。次の日は朝早くから仕事もあったのに。
この世界で知らないことだらけの私になんでも教えてくれた。子供たちの世話もあって一杯一杯のはずなのに。
私と結婚してくれたのだって戸籍と世間体の問題もあったけど、「俺に何かあっても君に連絡と金が入る」と私を心配してくれてのものだ。彼にそういった恋愛感情的な他意はない。
だから、作之助さんはきっと知らない。
「結婚しよう」と云われた時、どれだけ嬉しかったか。理由を聞いて内心どれほど落胆していたかも。
カレー屋のおじさんや子供たちに妻だと紹介された時に舞い上がる心地がしたことも、近所の人に奥さんと呼ばれただけでも、心が温かくなる私の気持ちを彼は知らない。
知らなくてもいい。
ただ、こうして狡くても彼のそばにいたい、なんて。
ささやかな願いが叶えられている今がどうしようもなくしあわせだから。
このまま今日を彼と歩いていきたい。
※※※※※
シャワーを浴びながら、昨夜の太宰たちとの会話を思い起こし、頬が緩くなる。
なまえはきっと知らない。
太宰たちに話したのは借金のカタ以外はすべて本当だ。
私が本当に彼女に一目惚れしていた事も。一目惚れをして攫うように連れてきて、弱味につけこんで結婚を持ちかけた。いくらなんでも好きでもない女と結婚なんてしない。
あの時の私は消えてしまいそうな彼女を繋ぎとめておきたかった。何かしらのかたちがほしかった。
彼女は私の下心に気づいていないのだろう。不安がる彼女の心につけこんで、こうしてまんまと夫の座についた私を知ったら軽蔑するだろうか。
そんな私の懸念を、彼女への気持ちを、まだ口説いている最中だということも話していたら、気づけば明け方近くなっていた。
最初は拗ねていた太宰も呆れていた安吾も語るにつれて沈黙していき、途中でこそこそ二人で話していたようだが、何故だろうか。最後の方には畳みかけるように応援されたが。
ずっと太宰たちに話していなかったのは、あの二人には『ほんとう』になってから紹介しようと思っていたからだ。
彼女と『ほんとう』の家族に。
彼女が落ち着いてきてこの世界に慣れたら改めて切り出そう、と先延ばしにしていたが、本当は踏ん切りがつかなかっただけだ。
こうして彼女と過ごす日々が、今がしあわせだからと。
だが、昨日あそこまで太宰にも安吾にも鼓舞されたのだ。もう一歩踏み出さなくては。
シャワーを止めて鏡を覗けば、緊張の所為か、緩んだ頬が少し強張っていた。目を瞑り、覚悟を決める。
もう一度君にプロポーズを。
そうして明日を君と歩いていきたい。
あゆむ隣には君がいて