「なまえさん、少しお時間ありますか?」

「与一さん?」

エルフの女性達と雑事を行っているところに与一さんから声が掛かった。
彼の後ろからぞろぞろとエルフの男性達が戻ってきているのを見ると、丁度弓の指導が終わったところだろう。どっちにしろ彼らが帰ってきたなら、夕飯の支度までは女性達もそれぞれの家族との時間だ。
既に解散しはじめていたので、彼の問いに頷いてついていく。


野営地から少し離れた場所で、彼がゆっくりと振り返った。

振り向き際に靡いた青鈍色の黒髪は、ほうっと溜息が出るほど美しい。
それに劣らぬ、まさしく花のかんばせが此方を見つめると思わずどきりっとしてしまう。


「あのですね、小耳に挟んだことがありまして…」

豊久さんや信長さんより年下ながら(生まれた年代なら上だが)、はっきりと意見する与一さんが云いづらそうに少し目を逸らしながら言葉を紡いだ。


「なまえさんは指輪はお持ちでしたよね?」
「たしか、今も荷物の中にあったと思うけど……」

指輪は廃城にいた与一さんに拾われた時に身につけていたものだ。
あの時にはまだ信長さんもいなくて、そう手持ちの物もなかったので、何かの足しにできないかとわたしの他の荷物も含めて彼に見せていた。特に思い入れもない品なので、云われるまで忘れていた。売り払えるような場所もなかったので、今も荷物の中に入っていたと思うが。

わたしの返答を聞いて与一さんは「やっぱり」と云ってうつむいた。

「やっぱり? ……指輪がどうかしたんですか?」
「いえ、やっぱりなまえさんには夫君がいらっしゃったんですね」

「………えっ?」 

云っている意味がすぐに理解できず、なまえは数秒固まった。だが、慌てて我に返る。

「待って待って違うから。何か誤解してる!
状況を整理しよう。もうこういうパターンは懲り懲りだから!」

彼らと話していると生まれた時代が違う所為か、ものすごい思考的にも価値観的にも差異が激しい。

前、というよりつい最近までわたしはどこぞの姫君()だと思われていた。
廃城にいたメンバーには苗字もある上に火の起こし方さえ知らない物慣れぬ様子は、まさしく深窓の姫君に見えたらしい。しかも、妙に気を回してエルフの方々にもそう伝えていて気遣われていたのだ。
やけに優しいなぐらいに認識していたわたしもまずかったのだろう。

野営地でエルフの女性達がしている雑事を手伝おうとした際に「お姫様にそんな事させられません!」と真顔で告げられた時の衝撃といったら半端なかった。
麗しいエルフにプリンセスと呼ばれる一般人の心境をお答えください。
……わたしは裸足で逃げたくなった。

またしても誤解が起きそうなのを阻止するべく状況を整理すると、サンジェルミ伯から結婚指輪の話を聞き、薬指に嵌めているのは結婚している証拠ということを知った与一さんはわたしがつけていたのを思い出し、今に至ったらしい。

とりあえず広まる前で良かった。
指輪を持っている事を知っているのは彼だけなので与一さんの誤解をとけば解決だ。あの指輪はただの装飾品でしかなく薬指に嵌めてもそういった意味合いがないことを説明すれば、彼はどこかホッとしたような表情を見せる。


「私の時代では名前さんの歳だと五人くらい子供がいても可笑しくないので焦りました」
「わたしの時代ではそんなにいる事も稀だからね……」

そして結婚=子供がいるとナチュラルに考えられるのは時代的なものなのか。これ以上突っ込むのは疲れそうなのでやめる。


「なまえさん」

にこりと微笑んだ彼が猫のようにするりと擦り寄ってくる。
そのまま抱き締められれば、華奢にみえる与一さんの身体にすっぽりと収まる。

彼は意外にもスキンシップ過多だ。
廃城にまだ二人きりだった時にもよくこうされた。あの時はわたしがあまりに情けなく不安がっていた所為で宥めるようだったし、彼があまり性を感じさせない容貌なのも一因で特に抵抗もしなかった。
豊久さんが来てからは坂を転げるような忙しさで、久しぶりに抱きしめられた事にどこか緊張して身を固くする。それに気づいた与一さんが昔のようにぽん、ぽん、と背を叩けば、条件反射のように力が抜けた。


「与一さん……」

「はいはい、どうしました?」

あの頃と変わらぬ調子で、わたしに答える与一さん。

それがちょっぴりおかしくて、笑ってしまった。
生粋のインドア派現代人に、ガチでのアウトドア黄金伝説生活はきつかった。
今思えば一々驚いては呼びかけるわたしは相当ウザったかったのではなかろうか。そう思っていたとしても、そうと感じさせない明るい返答はわたしを安堵させた。年下の彼に大分甘えているのは自覚していても、自分ではどうする事もできない状況は歯がゆかった。

その状況も十月機関も加わってからは大分変わり、もう与一さんとはあまり話す機会がない。与一さんも戦や弓の指導で忙しいし、わたしもオルミーヌさんや十月機関の方たちに符術を習うようになっていたので、こうして面と向かうのも久しぶりだ。

…………思えば危なかった。
もし与一さんがわたしに聞かないまま指輪の事をしゃべっていたら、結婚して子供もいるとまで広まっていたかもしれない。
姫君疑惑が収まったばかりなので勘弁願いたい。


「わたしは結婚も出産もしていませんからね?」
「わかっています、わかっています。だからこうしても問題ないんでしょう」

ぎゅうっ、とさらに強く抱きしめる与一さんに「あれ?」と疑問符を浮かべる。
たしかに既婚女性を気安く与一さんのような男性が抱きしめるのは問題だろう。
問題だけど、それとこれとは何か根本的に違う気がする。しかし、八百年以上違うジェネレーションギャップを完全に埋めるのは無理な気もするので訂正しない。重要な部分の誤解がとけたのだから、これでいいのだ。


―― と、なまえは思っていたのだ。
自身を抱き締める与一が思いついた企み事に、ほくそ笑んでいるのも知らないで。

後日、なまえに指輪を借りた与一はそれに似せた揃いの指輪をドワーフに作らせ、白々しくも「すみません。あの指輪、無くしちゃいましたので代わりにどうぞ」とちゃっかりなまえの薬指に嵌めて贈ったのだ。
なまえは与一に説明した通り『装飾品としての意味合いしかない指輪』だと思い込み、薬指に嵌められたのにも疑問も訂正もしなかったのだ。


傍から見れば、サンジェルミから結婚指輪の話を聞いた他の面々がそれを勘違いするのも無理からぬ話である。
しかも、与一が当然のように「お互いに意味は知っています」と嘘は云っていない事実を口にすれば、あとはさもありなん。

その誤解が広まって周りには嫁として認識されているのも、実は姫君疑惑を吹聴した主犯も与一であり男除けされていた事も、なまえ自身が知るのは外堀が完璧に埋められた後であった。



知らぬは本人ばかりなり


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