眼下に広がる花畑は見渡す限り、地平線の向こうまで広がっていた。
この高い塔の上までもあがってくる優しい花の香り。春の木漏れ日のように優しく降りそそぐ日差し。

初めて此処に来た時、私は死んだ覚えもないのに天国に来たのだと本気で思った。
実は今でも少しだけ思っている。天国とは到底言えないけれど、此処は果てなのだと。

この景色に呆然としていたわたしに声をかけたのは、ふわふわした白いローブを纏った青年だった。


「初めまして、お嬢さん。突然だけど、キミのことを教えてくれないかな?」

マーリンと名乗った彼は魔術師で、かのアーサー王伝説に出てくるその人らしい。
厳密にいうのなら、此処はわたしのいた世界とは異なる世界らしいので全く別の存在とはいうけれど、わたしから見ればお伽噺話に近い人物だというのには変わりない。

此処はこの世ならざる場所。世界から完全に切り離された閉ざされた花園。

そう彼は云った。だからこそ、わたしは此処にいられるのだとも。
異世界から来たわたしはこの世界に“人間”として上手く認識をされていないらしい。平凡な一般人の筈なのに、何の因果か元の世界からも弾き飛ばされて、この世界でも除け者扱い。
そんなわたしが存在できる居場所はこのアヴァロンと呼ばれる特殊な空間だけだ。
しかも此処で会話が出来る相手はマーリンだけ。妖精もいるが、彼女達がなんと言っているのかわたしにはわからないのだ。
完全に隔絶された世界。彼以外いない世界。元の世界に戻れるかの不安は元より、聞いていくうちに閉ざされた世界に不安を募らせていた。

だから、此処に来た当初、わたしは一人きりの彼にこう聞いた。


「マーリンは寂しくないの?」

此処に一人きりで。
口に出してから、不躾過ぎる言葉だと、鈍いわたしはさっと顔色を変えてまずいと思った。
けれど、予想に反して彼は朗らかに云った。

「人間でない自分に孤独はない」

することがなければ妖精に話をすればいい。千里眼を持つ自分には人が描く物語が見えるから退屈もしない、と。それが、なんだかわたしには酷く悲しいと感じた。
半分は人間であるのに、人間ではない、と云い切るところだとか。人間でいう感情はなく真似をしているだけだとか。
彼の在り方を否定するつもりはないけれど、此処に来て積もらせた不安よりも、彼が気になったのはたぶん、それだと思う。わたしが勝手にそう感じただけで、本当に何も感じていないとしても。

というのも、わたしが此処で出来るのは、彼と関わる以外、日がな花園を眺めたり、本を読んだり、言葉の通じない妖精にボディランゲージを試みるぐらいなのだ。圧倒的に、することがない。
必然的にわたしは彼とよく話をするようになり、彼もまた何か世界に干渉しようとしている時以外はそれに応えてくれた。彼以外がいない環境で、彼に好意を持つのは当然だった。

だけど、それに違和を抱いたのはいつだっただろう。
はっきりと自覚したのは、花冠を作って妖精と交流をはかろうとしていた時だったように思う。


※※※


その日、上手くできた花冠をプレゼントするととても喜んでくれたような仕草をした妖精達に誘導されるように、塔からは少し外れて目につきにくい場所へ案内された。
言っていることは分からなくても「こっちへ来て、こっちよ」と誘われているようだったから、マーリンから遠くに離れないように云われていたけれど彼女達と仲良くなりたいのもあって、ついていったのだ。


辿り着いた岩場の影を覗き込めば、そこには人ひとりが入れるぐらいの小さな水溜まりのようなものがあった。その水溜まりには何かが映っていた。此処とは違う何かが。
近づいて屈みこめば、そこに映っていたのはわたしの世界によく似た風景だった。

そして彼女達はフワフワと小さな身体でその中に飛び込め、と言っているような仕草をする。
戸惑うわたしを彼女達は急かすように腕や髪、背中に触れて促す。「どうして?」「でも…」と呟くわたしに何故か“ありがとう”のジェスチャーをした。
それは彼女達との意思疎通で苦労するわたしにマーリンが通訳して教えた私達にできる簡単な意思表示だった。
直感的に、お別れのようなニュアンスを感じ取った。

その時、わたしがいなくなったら一人になってしまうマーリンが頭を過ぎって「マーリンに……」と云ったわたしに彼女達は静かに首を振った。そうして悲しげな表情で、前に戯れにした鬼ごっこで相手を“捕まえた”時のジェスチャーをした。

瞬間、とてつもない悪寒が駆け抜けた。頭よりも先に感情が、本能が何かを訴えた。

常春の陽気の中、一瞬で青褪めたわたしはぎこちなく塔を振り返る。岩場の影でよく見えないけれど、この時ほど自分がいた場所が不気味に思えたことはなかった。

もう一度、水溜まりを見る。そこに映る懐かしい風景に手を伸ばした。
飛び込むのが怖くて、目をつぶって、足を踏み出す。此処に来た時のようなフワリとした浮遊感に不思議と安堵を感じた瞬間だった。

ぱしり、と掴まれた腕が驚くほどに強い痛みを主張し、引き戻される感覚に目を開けた。


「駄目だよ。そちらは駄目だ。行かせない」

油断できないなぁ、といきなり現れたマーリンはシッシッと周りを浮遊していた妖精を散らすように杖を振った。その乱暴な所作に目を見張る。わたしの視線に気づくと、彼はふわりと微笑んだ。なのに、その瞳は凍えるように冷たかった。


「彼女達は無邪気に残酷だからね。君を戻れない深淵へと突き落とそうとしていたんだ」

それからマーリンはわたしに塔の外には出るな、ときつく云いつけた。キミの安全の為だと。
活動範囲がいよいよ塔の中だけになり気詰まりを感じるわたしにマーリンの目を盗んで、慰めるように花をくれる彼女達がどうにもそんなことをしようとしていた風には見えなかった。

だってその目は今も確かに憐れみを含んでいる。
動物園の檻から一生外に行けない生物を見るような、風切り羽根を切られた飛べない鳥を見つめているような瞳。

ざわざわと不安と恐怖が這い上がってくる気がして、目を逸らしてマーリンが云った事が正しい、と思い込むのも限界があった。
その後、彼に「好きだ、愛している」と云われて恋人になったのも、見ないフリを続ける為だったのに、その歪さが浮き上がるような事ばかりで逃げ場のないわたしはさらに追い詰められていく。



※※※


コツリ、という足音と花の香りがして彼がわたしに近づいているのがわかった。
後ろから抱きしめられて、花の香りが一層強くなる。むせかえるような、それ以外をゆるさないような香り。


「なまえ。ずっと此処にいてね」

キミがいなくなったら寂しくて死んでしまうかもしれない。

最初とは180度違う発言に、人間臭いはずの言葉に、恐ろしい人外の化物が人間のままごとをしているように感じてしまう。

「愛しているよ、なまえ」

非人間だと自分を云い切った彼が口にする愛は、果たして人間の愛と同じなのだろうか。

さながら神が自身を原型に人間を造ったように、かたどって造られはしても似せて造られてはいないような、もう完全に崩壊して原型をとどめていないような、似姿のような愛。

わたしには彼が囁く愛が酷く歪にゆがんだカタチにみえた。
それでもわたしはそれに応えるしかないのだ。だって


――― 此処は彼しかいない、全て遠き理想郷。



楽園にて紡がれる愛の似姿

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