暗闇で私を呼ぶ声がする。

“なまえ、なまえ、――……

見知らぬ男の声。けれど、いつか聞いたような覚えもある。

“ああ、またキミは邪魔をするのかい。私が先に ― ”

先程まで名を呼んでいた声が、突如その甘さを消す。苛立ったような舌打ちと言葉。遠くで別の男の声がしてくる。
あの、声は ――……


「起きろ、我がマスター。おまえが手を伸ばしたのは他でもない、この、オレだ」

「……アヴェンジャー?」

私のサーヴァント、巌窟王。私の弱さを知る唯一。
霞む視界に映る彼にじわりじわりと押し寄せる感情のまま、ぽろりと涙をこぼした。安堵。この感情でも涙を流せることを彼が来てから私は初めて知った。


「泣くな、愛しき我が同胞。
おまえが果てなき暗闇に堕ちようと俺は寄り添おう」

ぎしり、とベットが軋む音と共に彼がのしかかり、その涙を掬うように唇を落とした。
縋るように彼の背に手を回せば、応えるように抱きしめられる。夜の寒さを溶かすようにじんわりと彼の熱が伝わってくる。


「おまえがいかに醜悪な感情を抱こうとも、その弱さを嘆こうとも、
俺はそれを何度でも嗤ってやる」

優しい声が鼓膜を打つ。


「だが、それを忘れるな。目を逸らすな。
それは誰しもが抱くモノであり、ゆえに誰も逃れられない」

けれど、彼は許さない。私が悪夢から逃げるのを。


「あの日と同じく問おう、我が同胞。
おまえの望みはなんだ?」

何度もされた問いかけ。私は、まだ答えを出せていない。
それでも彼は私のサーヴァントで居続けている。だからこそ。


「……やっぱり藤丸君をマスターにしたくないの?」

「まだ云うのか、くどいぞ」

監獄塔での経緯を聞いた身としては云いたくもなる。
けれど、あの事件があったからこそ、私は彼を召喚したともいえる。


―― あの時。藤丸君の魂が監獄塔に囚われた事件。
藤丸君に何かあれば、世界でこの身だけがマスターとしての役割をこなせる。その意味を深く思い知らされた。
“万が一の為、君もサーヴァント召喚を”と乞われ、初めてサーヴァント召喚を行ったあの日。
私は彼を喚びよせた。
その直後、藤丸君のバイタルが戻り、私は人理修復に赴くことなく、変わらない役割をこなしているが、私のあの時の不安、いや全てを背負わなくてはならない恐怖は今でも鮮明に思い出せる。


― 情けない)

自分の弱さをそれまで以上に突きつけられたあの日を私は忘れられない。
そして、私の唯一のサーヴァントとなり、パスが繋がったアヴェンジャーに、この弱さを全て見抜かれた。

―― 私は、彼に相応しくない。
それはどんな英霊であろうと変わらないけれど、監獄塔の話を藤丸君から聞いて殊更に思った。だから、私は何度もアヴェンジャーにマスター替えを勧めている。

けれど、彼は ――

「この現界において俺のマスターはなまえ、おまえ唯一人。その魂が終わりを迎えるまで付き合ってやろう。どのような道を歩もうともな。この身の黒き炎はおまえと共に。それと……」

一端言葉を切ったアヴェンジャーはなまえの耳元に唇を近づけた。

秘め事のように、囁くような低い声で。

「この身が劣情を抱くのもおまえだけだ」

「……っエドモン」

「フン。冗談だ。……だが、あまりその名では呼ぶな。
この唇がオレへの睦言のみを紡ぐなら、構わんがな」

云いながら唇をなぞる指先。妖しく細まる瞳にぞわりと震える。

揶揄われていることに「アヴェンジャー!」と抗議の声をあげると、咽喉の奥でくつりと堪えたような笑いが響く。今さらながらベットで抱き合っている体勢に恥ずかしさが募り、彼の胸を叩いて退けようとする。それにあっさりと身を引いた彼は、ベットの縁に腰をかけるかたちになった。


「もう夜明けが近いが休んでおけ。その顔をなんとかしないと目ざとい奴に気付かれるぞ」

「……アヴェンジャー、あの、」

「心配するな。おまえが眠りにつくまで傍にいてやる」

うん、と素直に頷いて目を閉じる。
手を伸ばせば、彼がいる。その距離に、また涙が出そうな感情が押し寄せる。
すぐにおとずれた穏やかな眠気に意識を沈ませた。


『 おまえの望みはなんだ? 』


クルクル、クルクル。
悪夢の代わりに巡る問い。
その答えを出してしまったら、私はたぶん戻れない。
けれど、きっとその覚悟をする為に、私は彼を喚んだのだ。



※※※




寝息を立て始めた女の顔を覗き込む。
涙の痕が残る頬を慈しむようになぞりながら、誰にでもなく男は呟いた。

「気づかないのなら、まだそれでいい…」

呪いにも近しい愛執が貴様の弱さを血肉として具現しようとしているのを。
それは囚われたが最後、待ち受けているのは死すら許さぬ監獄だろう。


―― 嗚呼、赦しはしないさ。我が同胞、俺はそんな結末を赦しはしない。
俺を喚んだ時の魂の叫びを無自覚なまま抱き続ける哀れな娘よ。


オレを喚んだ、あの日。

『 おまえの望みはなんだ? 』

俺の胸を打ったあの激情。その叫びはおまえだけのモノ。
おまえだけの痛みであり、苦しみだ。他者が奪っていいはずがないッ!

ああ、と思わず熱い吐息を溢す。
もう一度、その首筋に顔を寄せて、華奢な身体を包むように覆いかぶさる。思い起こすたびに押し寄せる切なくも狂おしい感情を留めるように、あるいは誓うように、なまえの閉じた瞼に口づけを落とした。


「夢魔になど渡すものか。
オレとて在り方が違うのはまた同じ。だが ―― 」

俺が導こう。
その魂があるべき場所に帰るまでか、あるいは冥府へと堕ちるまでか。
オレという復讐鬼を喚んだ、その叫びが渇くことなどないのだから。



あえかに咲きし同胞よ

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