―— 聖杯戦争。
わたしはそんなものの言葉すら知らなかった。

七人の魔術師(マスター)と、七騎の英霊(サーヴァント)によって行われる、万能の願望器の奪い合い。
本来ならわたしのような一般人が参加できるようなものではない。

そう、本当ならわたしはそんな舞台に立つこともなく生涯を終えるはずだった。生贄になるはずだったのだ。
英霊を、呼び出すための。


運命の夜 ――
儀式用のナイフから血が滴って、それで。

ぎゅっとなまえは目を固く瞑った。あの日からずっと傍にいてくれるアサシンに震えるようにしがみつく。


「マスターは正しい。間違ってなんかいないさ。アイツがなまえを殺そうとしたんだから、今でいう正当防衛ってやつだろー」

「大丈夫、大丈夫」と繰り返すアサシンに、なまえは縋りつくようにもたれた。迷子の幼子のように、この特異な状況下で彼だけが頼りだった。

「俺が守ってやるから、マスターは安心して此処にいればいいんだ」

うん、と小さく頷く。するとアサシンがふわりと笑って、わたしのつむじに口づける。

「……アサシンは、大丈夫? 昨日はセイバーとかち合ったって、」

「なぁに、心配いらねえさ。前に言っただろ? 俺のようなアサシンは逃げるのも潜むのもお手の物ってな。ちゃーんと撒いてきたぜ」

それとも、とアサシンが小首を傾げて私をのぞき込む。

「俺が信用できねえのか、マスター?」

「そんなことない! ……でも、ごめんなさい。……貴方がいなくなったらと思うと」

不安でしょうがない。
彼がいなくなってしまえば、私はすぐにでも他の魔術師に殺されてしまう。
自分が召喚したサーヴァント以外に頼れるものはない。逃げ場もなく、参加の棄権も放棄もできない、命を賭けた危険な戦争。
そういうものだとアサシンが教えてくれた。

そんなものに自分が巻き込まれてしまったことに身震いしていると、その震えに気づいたアサシンがやさしくなまえを抱き寄せた。


「大丈夫だ、マスター。此処にいてくれりゃ、安全だ」

自身にもたれかかってくる身体を撫でながら、マスターに気づかれないようアサシンはひそかに笑った。
素直に自分の“お願い”を聞いてくれるマスターに、こらえていなければ笑い声をあげそうになるのを自覚する。

だから、あまくあまく囁いた。



「その代わり、聖杯を手に入れたら、俺のお願い、聞いてくれ」

「……? 私は聖杯なんていらないからアサシンが使って」

「呵々。欲がないねえ、俺のマスターは。でも俺が聞いてほしい“お願い”は聖杯を手に入れた後の話さ。聖杯で願望を叶えたあとのな」

「聖杯じゃ叶わないことなの?」

「聖杯じゃあな。そんなんで叶えたら意味がねえものだな」



「マスター、アンタにしか叶えられないんだ」

真摯に見つめる瞳にうなずく。
そうすれば、綻ぶように微笑んだアサシンが私を守るように抱きしめた。

この腕の中にいれば安全だと思えるのに、どうしても不安が拭えない。


(だいじょうぶ、……だいじょうぶよ。アサシンはわたしを……)

守ると誓ってくれた、はずなのだ。
だから私はあの日から、此処から出られないし、携帯もテレビも新聞も見られない。
アサシンが用意した、何もかもから遮断された世界。
私を守るための、場所。
それなのに、日に日に不安は積もっていく。

それは、運命の夜――
アサシンが召喚されて、私を生贄にしようとした人をあやめたのを見たときから。
今は私を優しく見つめる瞳が、身震いするほどの狂気に彩られていたのが忘れられないせいだ。



「なあ、マスター。また魔力供給をさせてもらってもいいかい?」

毎夜繰り返す、甘い響きに震えが走るのはきっと――


随分前に後書きで書いた一般人マスターとヤンデレ新宿アサシンの話。
2話+おまけ小話の予定で書いたもので、2話目の途中で止まっていたので供養に1話だけあげました。


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