―― 私は周回の所為で確実に成長している。
周回初期と比べれば、今は段違いにヤンデレへの対処のためにあらゆる事が出来るようになった(不本意)
そして何より、危機察知能力 ―― 察しが良くなくては生き残れない。
だからサイドミラーにその白いバンが見えた瞬間、反射的にハンドルを右にきった。
甲高い音を上げながら、私の車は急カーブする。
しばらくすれば私の後ろ側には次々と見覚えのある黒塗りの車が現れた。
…やはりカモフラージュの先兵だったか。
―― さあ、ヤンデレから逃亡初日。
手慣れたカーチェイスのはじまりだ。
アクセルを踏み、前を行く車と車の間を急スピードで駆け抜ける。周りからは抗議のクラクションと軽い衝突音が響いているが、私は問題ない。むしろ撹乱になる。
「まずは5台潰せるかな…」
前方から進路を遮ってくる車が見えれば流れるようにギアを変えた。
挟みこみをしてきた追手の車をサイドターンで回避しつつ、相手側同士の衝突を誘う。
狙った通り、私のようにターン出来なかった追手の車はキキーッと激しいブレーキ音と同時に衝突音、そのすぐあと引火したのか爆発音が後ろから聞こえる。
そのままスピードを変えず、追手の車の数と、この時間帯に動員してくる人手を計算しながら逃亡ルートを描いていく。
そして周回のなかで完璧に頭に叩き込まれた横濱の地理と照らし合わせながら、相手の動きを観察する。
(おそらくC地点の袋小路に誘い込まれてる……)
しかし、そのパターンはもう飽きるほどに経験済みである。
幸いにも今運転しているのは乗り慣れた車体。普通なら通り抜けられないような小道すら駆けるのは容易い。
私のカーチェイスの腕は度重なるヤンデレからの逃亡で、それこそアクション映画も真っ青な程に上達していた。
最初は「アクセルって右だっけ、左だっけ?」レベルから物凄い成長を遂げたものの一つだ。
今なら目をつぶっていても、車の速度もターンの角度すら正確に割り出せる。
はっきり云って私のドライビングテクニックにかなう人間はヤンデレ達が使う無駄に有能な追手にも、もういない。
それに加え ――
「その程度の覚悟(アクセル)で私を捕まえようなんて片腹痛いわ!」
正気の人間なら確実に止めるスピードでも私は全開フルスロットルで走行している。
私にはブレーキなんて選択肢はない。
ヤンデレに捕まれば死よりも辛い日々が舌舐めずりをして待ち構えているのだ。
生かさず殺さずのSAN値直葬生活。
………アレに精神崩壊するまで耐えたリセットシステムを知らなかった頃のわたし、辛すぎるだろ。思い出しただけで鬱になる。
気を取り直すように頭を振って、だんだん引き離されていく追手の車を鼻で笑う。
「あと80回は命懸けのデスレースしてから出直しなさい!」
まあ、無理だろう。
なにしろ一度ブレーキを踏み誤ればデッドエンド。
そこを超えてドラテクを磨けるのは私のような周回者でもなければ、天賦の才を持つレーサーか正真正銘の命知らずだけだ。
……そういえばスピード出し過ぎて死んだこともあったかもしんない。
※※※
「なぜだ……! 何故、捕まえられない!」
首領が絶対に逃がすなと命じた“恋人”の女性。
完全に非力な一般人だと思っていた。経歴から見ても、遠目から監視してもそうだと判断したのは間違いではなかったはずだ。
「それが、何故こんな事態になる!」
気づかれないように敷いた包囲網をいとも容易く突破し、あまつさえ精鋭ぞろいの追手が揃いも揃って捕まえられないとは……。
首領が見込んだ相手だ。もしや、何処かの秘密諜報員だとでもいうのか!?
男に冷汗が伝う。
異能力者ならともかく、自分が今まで人間を捕まえるのに失敗したことはない。それがこうも上手くいかないなんて。想定外どころではない。
『やあ、上手くいってるかい?』
通信機越しに聞こえたのは間違いなく己が上司。横濱の闇を取り仕切るポートマフィアの首領その人だった。
『………見る限り、完全に彼女に手玉に取られているようだね。やれやれ、君たちには手に余る案件だったようだ』
溜息交じりの声は落胆と……押さえているが苛立ちが感じ取れた。
男には血も凍るような、心地だった。
一瞬だけ男は自分の失態をつくった元凶の女を恨んだ。
だが、それはすぐに霧散する。
『流石は私の運命の女性。そうこなくてはね。
―― 嗚呼、愛しい君が私のもとにくるのが待ち遠しい』
最後に女性に向けて囁かれた声に、ぞっとする。悪魔の囁きがあるとしたら、まさしく首領のそれだろう。
それを聞いてしまえば裏社会に浸った自分でも、女には同情するしかない。
おそらくもう彼女には ――
『――― 次のD地点からは私が指示を出す』
この世界に逃げ場なんてないのだから。
※※※
( ―――! いま、悪寒が……)
そろそろ本命(ヤンデレ)が出てきたのだろう。
それならこのままドラテクで相手の裏をかき続ける作戦には無理がある。
太宰や森を筆頭とする頭脳組は何度周回したところで最終的に頭脳戦では敵わない。
ならば違う手法を取るまでだ。なにも相手と同じ土俵で戦う道理はない。
これまでそうやって成長してきた。だから、きっと今度こそ。
※※※
―― 私は確実に成長している、はずだ。
「真逆、ポートマフィアから半年も逃げ続けられるだなんて思わなかったよ」
ループのなかで見飽きて、この周回では見知らぬ男が、真紅の瞳を細めて私を上からのぞき込む。麻酔が引いてきたのか頭がクラクラする。
「此処まで捕まらなかったのには本気で驚いたよ。君の経歴は洗いざらい調べたのに……本当に面白い」
自由になるのは視界だけ。身体はうまく動かない。
「だから私もついついムキになってしまったよ。……ゴメンね、まだ痛むかい?」
(痛いなんてものじゃない……。最悪よ)
ぐっと握ろうとした手の力はそのまま痛みに変わる。
腕も足もいうことをきかない。車のハンドルを握ることさえ、一生かけても満足に出来ないかもしれない。
これではもう、この周回で逃亡するのは無理だろう。
諦めて、目を閉じる。
次の周回こそは、と願いながら『リセット』を念じた。これが、最後の『リセット』になるように。