読んでもらった絵本を覚えている。
家の前に遊びに来たうさぎたちを覚えている。
迷った先で、悲しい言葉を投げ掛けられたのを覚えている。

このえほんにいる“おかあさん”ってだあれ?
うさぎさんにも“おかあさん”がいるの?
おまえには“おや”がいないんだってな!かわいそうなやつ!

全部、おばあちゃんが悲しそうな顔をしたのを、覚えている。
だから、お母さんの話はしなくなった。
お母さんのことでちょっと寂しくても、おばあちゃんがいてうんと幸せだから、それで良かった。辛くさせたくなかった。

私はおばあちゃんの子。血は繋がっていなくても、大事な家族で大好きな人。
こんな私を拾って、愛をくれた人。
あなたは愛されているわ。母からも、きっと。子供に愛情を持たない親なんていない。
そう言ったおばあちゃん。嘘はつかない人だった。
なら、どうして?
言うことはなかった。けど、ずっと思ってた。
なにも知らないお母さん。どうして私を捨てたの?



「……っは」

息苦しさと共に目が覚めた。
ぼやける視界を見慣れてきた天井が満たして、ひゅっと吐いた息がとても熱かった。
なに…?私、どうしたんだろう…。

今いる場所が部屋のベッドということくらいはわかるが、なぜか。起こした体がとてもだるい。頭も痛むし、すべてがぐちゃぐちゃして感じる。
まるで自分の体ではないような感覚。
これ、何度か経験したことがある。
でもあのときは、ほんの少しの時間だった。
おばあちゃんに言えば、その場で消えた辛さ。
おでこに手を当ててくれたらすぐに治る。
風邪だと、おばあちゃんは言っていた。
でもどうってことないね、すぐ治るんだねって、私は返した。

(あつい……)

おでこに手のひらを当ててみる。
感じたことのない熱さに、どうしてすぐ治らないのかなって思った。
風邪って、こうすれば治るものなんじゃないの?

「なまえ、」

「…イタチ…さん」

ぼおっと、まともに考えられない頭で昔を振り返っていたら、不意に開いた扉からイタチさんが入ってきた。
私の名前を呼ぶと少し表情が穏やかになり、ベッドの近くに置かれた椅子に近づきゆっくりと腰かけた。

「…?どうした?なぜ泣いている?」

「え…?」

私の顔を見るなり怪訝そうな顔をしたイタチさんは、そっと私の頬に手のひらを当てる。
自分が熱いからなのか、以前繋いだことのある手がとてもひんやりと感じ気持ちがよかった。でもその手に一滴、ぽとりと涙が乗っていた。

「私……泣いてたんですか?」

「頬が濡れている。それに今落ちた涙もそうだ。怖い夢でも見たか?」

「こわい…ゆめ…」

そう言われて、目が覚める前まで夢を見ていたことを思い出す。
昔の、昔の夢。まだ私は小さくて、おばあちゃんがいて。
閉じ込めた想いがあって。今も、それは分からなくて。

きっと泣いていたのなら、それが原因だと思う。
話したくないわけじゃない。でも、こんなずっと前の過ぎたこと、言ったって困惑させてしまう、仕方のないことだ。
心優しいイタチさんだ。私なんかのことで、気を遣わせたくない。

「…すみません。ちょっと、覚えてないです」

ずきりと心が痛む。
ああ、まだ痛むんだ。
閉じ込めた想いから目を背け続けてきて気づかなかったけど、昔から変わってない。感情を隠すのは辛いままなんだ。
でも、昔でわかった。大切な人に辛い顔させる方が辛いって。だから、

「…そうか。謝らなくていい。お前が無事でいてくれてなによりだ」

目を背けて閉じ込めよう。大好きで、大切な人たちに笑っていてほしいから。

少しの間を置いて、イタチさんの優しい手のひらが私の頭を撫でてくれた。
心がほどけるように、きゅっと痛いのが消える。風邪ってこわい。撫でられただけで涙がまた出てきそうになります。

「具合はどうだ?」

「…ぐあい、ですか…。これは風邪なのでしょうか…」

滲みかける目を指先でなぞって、イタチさんに返事をする。
私の知る風邪であってそうでない。
でもまずどうして急に風邪なんて引いてしまったのかもわからない。

「サソリが診てくれてな。風邪だと言っていたが、昨日俺たちが小さくなったのは覚えてるか?」

「あ……そういえば、そうでした。皆さん戻られたんですか…?」

「ああ。昨日は迷惑をかけたな」

「いえ…全然そんな」

「その疲れからだと思うと、サソリは言っていた。朝皆が戻ったのは見ているはずだが、そのままお前は倒れてしまったんだ」

「たおれて……うわ、私、皆さんにご迷惑を……」

「いや、謝るのは俺たちの方だ。昨日はお前に負担をかけすぎた。倒れたとき、本当に心臓が止まるかと思ったぞ」

すまなかったな。 と、本当に申し訳なさそうに謝るイタチさんに、そんなことないですと本心なのに、一言を言うのが精一杯だった。
こんな、言葉を発するのもだるくなってしまうのか。
今まで大きな怪我も病気もしてこなかったからか、風邪なんてもので自分が自分でなくなる感覚が怖かった。
言い知れない心細さ。夢のせいもあるのだろうか。嫌だ。早く治りたい。

「イタチ、さん」

「どうした?」

「私のおでこに手を、当ててみてもらえますか…」

私の知る治療はこれと、そのあとに飲む薬だけ。
薬も、おばあちゃんが治してくれた後に“一応”程度で飲んでいた。薬は、それくらいの認識。治し方は、これ。

「……まだかなり熱いな」

「……そう、ですか。すみません。もう大丈夫、です」

ああ、やっぱり駄目だった。治らない。
私じゃなくて、誰かじゃなくて、おばあちゃんだから治ったんだ。
怪我も病気も、大したことないなんて、私が知らなかっただけ。
でもどうしておばあちゃんは治せたの?
もう聞くことも知ることもできない。嫌だ、寂しい。寂しいよ。

「……」

「…なまえ、」

「え…、あ…すみません、ぼうっと、して…」

「いや、いい。…だが、聞くことはしないが、溜め込むなよ」

「……はい」

俯いて聞いたイタチさんの言葉に、視界がぼんやりと滲んだ。
でもここで涙を落としてしまっては、きっとイタチさんにバレてしまう。辛くさせたくない。
その想いで必死に考えを頭の隅に追いやろうとすれば、イタチさんはもう一度、視界の端で私の名前を呼んだ。
見下げる瞳はいつもの優しさだけを写してなくて、見透かされているようなその瞳に、戸惑う。

「…俺は………お前が大切だ」

「………」

「だから、お前が辛いと俺も辛い」

「………」

「…わかってくれるか?無理には聞かない。それでも、辛いのなら救ってやりたいと思うんだ」

「………」

「大切なお前がいつも笑えるように、俺たちはいるんだからな」

優しい手のひらがもう一度、私の頭を撫でる。

きっと、いえ、絶対ですね。なにか気づいてるんでしょう。
それでも私が決めてるならって、聞かないでいてくれる、優しい言葉をくれるイタチさん。

私は本当に馬鹿なんだなぁと思いました。
気づかれたくなくて気持ちを閉じ込めて、それがまわりのためと思って。
でもそんなの、きっとここじゃ無理だった。
だって皆さんすごいから、私なんかが隠し事しても絶対見抜かれちゃうし、隠すの、そんなのかえって失礼だって、辛くさせるんだって、馬鹿でごめんなさい。今わかりました。

私が大切な人を思うのと同じように、イタチさんもそう思ってくれていたんだ。
おばあちゃんだってわかってたのかな。
それでも優しいから、わかった上でわからないふりして、変わらない想いをたくさんくれた。
ごめんね、おばあちゃん。私が辛いの辛かったよね。弱かったよね、私。

過去は変わらなくても、逸らしてちゃ駄目だったんだ。
向き合って、それでも幸せでいられることが、きっとまわりを、自分を、幸せにできるんだ。
だって逆だったら、私だって大切な人には幸せで笑っていてほしい。辛さなんてなくしてあげたいと思う。
ああ、おばあちゃんに会いたいな。謝って、お礼を言って、笑いたい。今度、連れていってもらえるかな。

いろんな想いが込み上げて、言葉を発したら涙も一緒に出てきてしまいそうで、堪えるたびに喉が痛い。
優しいイタチさんの触れている手が離れる前にこの込み上げた想いのお礼を言いたいのに、どうしよう、間に、合わない。

「今なにか食べれるものを作ってくるよ。サソリの薬だからな、飲んで安静にしていれば明日にはだいぶ良くなるそうだ」

カタン、と、私の想いとは裏腹に、主のいなくなった椅子が小さく音をたてる。
立ち上がったイタチさんは少し待っていろと付け加えて私に背を向けるけど、精一杯だった、その外套を力の入らない手で引き留める。

「なまえ?」

「イタチさん、お願いが…あります…」

振り返り不思議そうな顔をするイタチさんに、声を振り絞って弱い私の、最後のお願いを聞いてもらいます。

泣き虫の私が、涙を落とさないで言えたこと、まずはちょっと、自分で褒めてあげてもいいかなぁ。

「あと、少しだけ…傍にいてほしいです」

気付かせてくれたあなたに、私のすべてを知ってもらいたい。






私よ 私を 超えていけ
(強くなるの。大好きなんでしょう)