「それじゃあ、行ってくるわね」

「明日の朝には帰るからな」

なまえが小さくなってから2日目の夜。
薬の効果は未だ持続しており、ここ数日はせっかく揃ったメンバー全員で、仕事のない穏やかな(?)日々をゆるやかに過ごしていた。
……過ごしていた、といっても、例の当日に喧嘩をした二人、なまえと飛段だけは変わらず目も合わせない時を過ごしているのだが。

なまえは合間合間にちらりと飛段を気にはしており、自分の行いの謝罪のタイミングを見計らってはいるのだが、完全なるシカトをしている飛段と、他のメンバーの謝らなくていいとの言葉で更に気持ちの素直さがうまく作用せず、未だその時は訪れていなかった。

そんな小さいままのなまえのタイムリミットはきっと残りわずか。
もやもやした気持ちを隅に置いて、今はアジトの出入り口で闇の向こう、仕事に向かうペインと小南を見送りに大人しく二人を見上げている。

「きをつけてね。ぺいん、こなん」

「あぁ、すぐ戻るからな。いい子にしてるんだぞ」

ひょいっとなまえを抱き上げ、惜しむようにその頭を撫でるペイン。
隣にいる小南は、笑って見送りをするあまりにも物分かりが良すぎるなまえがやはり心配なようで。

「本当に分身を置いていかなくて大丈夫…?なまえ一人をアジトに残すなんて、やっぱり私…」

そう。今宵、アジトはもぬけの殻になるのだ。

皆、今夜は任務で帰らず、ここに残る予定であったペインと小南も急遽の任務につくことになってしまった。

幸い、後は眠るだけというなまえ。
明日の朝にはペインと小南含め、どのペアかが帰ってこられる予定だが、約半日。
小さな女の子一人をここに置いていくという心配は、至極当たり前で。
それでも、ペインの腕の中で幼女は不安などないというように、にこりと笑う。

「ぶんしんのちからは、はやくかえってこれるためにつかって?なまえならへーきだよ!」

アジトのセキュリティになんら問題はないが、どうしても小南は腑に落ちないという顔をしている。
そんな小南にパッと手を伸ばしペインから小南へと移るなまえは、不安な色を映すその瞳の前で変わらず微笑み、その首筋にぎゅうっと抱きついた。

「いってらっしゃいするよ、こなん!なまえまってるからね、げんきだして!」

あたたかさが伝わる距離に、小南も浅く息を吐く。
このぐずっている時間、早く帰ってこれるよう努めようと、小南もなまえを抱き締め返す。

「すぐ帰ってくるわね。おやすみなさい、なまえ」

外の世界の闇に溶け消えた二人を見届けて、アジトの扉が自然と閉まる。
低く反響する音を残す空間。
なまえは唇をきゅっと噛み締めると、足早に自室へと駆けていった。











「はぁー。つっかれたぁ」

大きな独り言がアジトの廊下にこだまする、時間は午前0時過ぎ。

風呂上がりの飛段は静まり返る廊下をのろのろと歩きながら、まだ少し濡れた髪を掻きあげ大きな息を吐いた。

(まだ誰も帰らねーか…腹へったけど飯もねーし)

早くても帰れるのは明日の朝のはずの飛段が、どうしてか。今宵のタイミングの良し悪しは置いといて、どうにもすぐに任務は終わってしまったようだ。
しかしツーマンセルである相方の角都の姿はアジトにはなく、任務中たまたま見つけた賞金首を換金に持っていくということで、嫌気がさした飛段だけが、近場だったということもあり一人アジトに帰還したわけだ。

「このまま寝るか…ふぁ〜ぁ。ひっさびさ女でも掴まえにいくかなぁ」

もて余す時間と分かれる欲求に大きな欠伸をすれば、ふとその脳裏をよぎる、身近な少女の顔。

(……めんどくせ)

浮かぶ、笑った少女の顔に足が止まり、ガシガシとイラつきながら頭を掻く。
一瞬にして女を抱くという欲求が消えたことに溜め息をつくと、それに被さって聞こえる、小さな、圧し殺せていない泣き声。

(? なんだ…?)

すぐ近くから届くその声を辿れば、飛段の眉間に少しばかり力が入る。
そこは、先日自分のせいで怒らせ喧嘩をした、幼女の自室。
その時やその後の自分の行いが良くないとわかってはいても、素直に謝るなんてことは出来ず、今日の今日まで来たのだ。

先程も浮かべ自身にイラついたばかり。想いと現状の度重なる交差。
この扉を開けることは思っている以上に気が引けて、けれど中から漏れるその声は、理由があろうとも放るに放っておけないもので。

「…チッ」

理由がわからないのも釈然としない、なんて言い訳の舌打ちをし、緊張気味に取手に手をかけ、飛段は閉じた扉を薄く静かに開いた。



「…うっ、ひっく…。ぐす」

(…?なに泣いてんだあいつ…)

葛藤の末の向こう側。
予想なんてものはしていなかったが、そこには布団にくるまって身を小さくし、ひっそりと泣いているなまえの姿があった。

(なんかあったのか…?)

普段よく泣いているにしても理由もなく泣いていることはない。
けれど答えに辿り着くことはなく、はっきり言って意味がわからないと怪訝な表情をする飛段。
しかし、嗚咽に混じって聞こえる震えたその言葉に、その表情は変わる。

「はやく…っあしたに、なってっ。かえっ、て、きて…っ」

呟いて身を震わせるなまえの姿。
飛段は自然と、目の前の遮る扉を勢いよくその手で開け放っていた。

「!! ひ、ひだん…?」

大きな音と突然の出来事に、布団から飛び出て驚いた表情で突如入ってきた飛段を見つめるなまえ。
今日は誰も帰らないと小南から知らされていただけに、目の前にいる飛段に頭が追い付いていないようで、泣いていたことを隠すことも忘れて飛段を見上げている。

「ひだん、おし…おしごと、は?」

うまく声を出せないくらいの息づかいで話すなまえに、飛段はクッと眉間に皺を寄せる。
一体いつからか堪えて泣いていたのかなんてわからない、赤くしたなまえの目元。
それを見て飛段は強引に布団に入りこむと、驚くなまえをぐっと自分の胸へ抱き寄せぶっきらぼうに言い放つ。

「これでさみしくねーだろ」

その言葉を聞いたなまえは目を丸くさせ、隠し事をするような上擦った声色で飛段の腕の中からその顔を覗きあげる。

「なまえ、さみしくな─」

「嘘つくんじゃねーっての。さっきまで震えて泣いてただろが」

隠すことを忘れてはいたが、それ以前からバレていたのかと、なまえは見上げる視線を落とし飛段の腕の中でしゅん…と力を抜く。
言い返す言葉なんてないなまえは小さく鼻を啜り、飛段は独り言よりは大きな声で、 小南のやつ分身とか置いていかなかったのかよ。 と呟けば、自分がいらないと言ったとなまえは再び顔を上げる。
なんの自信があって拒否したのかと飛段は溜め息をつきたくなったが、ぱちりと視線の合うなまえの気持ちも汲んだのか、その頬に指先をぷにっと当てる。

「強がりもほどほどにしろよ。ガキなんだからよ」

飽きれや慈愛、そして心配からくるちょっとの怒り。
全て含んだ飛段の言動に、なまえの瞳が僅かに潤む。
ここ数日まともに見れなかった飛段の顔と視線。それが今はちゃんと自分に向いていて、叩いてしまったあの日のことを咎めるわけでもなく、自分が怖くないように今抱き締めてくれている。
誰もが自分は悪くないから謝る必要はないと言ったが、それは幼女には納得できるものではもちろんなかった。
素直さを引き出してくれた彼に感謝して、なまえはきゅっと飛段を見上げる。

「ひだん」

「なんだよ」

「あのときは、たたいてごめんなさい」

潤んだ瞳には、叩いた頬に触れている小さな手のひらと、目を丸くする自分の顔が映りこむ。
子供ながらに真剣なその表情に、飛段もあの日からの行いと見ぬふりした感情にじわりと心が痛む。
どっちが、なんてことはこの際置いておけば、小さな子に先に謝らせてしまった自分がここいる。

(くそだせぇな)

いつまでたってもそんな靄のかかる世界じゃ、なまえが戻ったときにどうするのかと、飛段は頬にある手に自分の手をそっと重ねると、今こそ素直に。
俺も悪かった。 と、真っ直ぐにその瞳を見つめた。

「じゃ、じゃあ、なかなおり…してくれる?」

「おう」

「! よかったぁ…っ」

張り詰めていたものが溶けるかのように、へにゃりと顔を綻ばせるなまえ。
数日ぶりに見た、その幼女の笑った顔。
大人のころの少女にその面影を重ね、浮かぶほどだった、きっとその顔が一番なのだろう。

下がった目尻から一滴だけ溢れた涙を飛段は拭うと、笑顔のなまえをぎゅうっと抱き締めなまえも嬉しそうにそこに収まる。

「あのね、ひだん」

「ん?」

「なまえ、ひだんにきらわれたとおもったの。もういっしょにいてくれなくなっちゃうって。すごくやだった。だから、なかなおりできてとってもうれしい」

ありがとう、ひだん。 と、収まる腕の中で笑うなまえに、飛段は喧嘩の発端がメンバーのなまえへのいつも以上の距離感からくる自身のヤキモチだなんて言えないため、なまえの髪をさらりと撫で、 お前が離れない限りいなくならねーよ。 と誤魔化すように呟くと、なまえはきょとんと小首を傾げる。

「なまえ、ひだんからはなれないよ?ずっといっしょにいるよ?」

なんの含みもなく素直なその言葉は、果たして本当の意味をわかっているのか否か。
それ以前に、不死の自分への“ずっと”なんてものの理解説明や、真意を問い質したところでな話。
想うことが多いため飛段は適当に言葉を返せば、なまえはぷくりと頬を膨らませ飛段の両頬をむにっと両手で挟んだ。

「ひだん、なまえのことすき?」

「は…ぁ?んだよ急に」

「いいから!こたえて!」

真面目に捉えてもらえなかったためか、なまえは飛段の態度に不満を露にしなんとも答えづらいであろうことを問い質す。
真剣に見つめてくるなまえに、まさかこんなときに自分の中の核心に触れさせられることになるとはと、反らすこともできない瞳の前で飛段は答えないという選択はできないようで。

「……嫌い、じゃ、ねぇけど」

薄く開いた唇から、精一杯の言葉を、洩らす。

「それって、すきってこと?」

明確な答えではない、それでも子供故だからだろうか。上手く変換される言葉。
合ってはいるのだが、今一歩、素直に答えられない中で、飛段の頬の赤みだけが正直で。
なまえもそれが分かるとにまりと笑い、挟んでいた飛段の頬から両手を離す。

「なら、ぜつがおしえてくれた、ずっといっしょにいられるまほうつかおう!」

確認したのは、例の魔法とやらを使うための条件を揃えたかったから。

“ずっと一緒にいられる魔法”

数日前のゼツの言葉だと分かった飛段は小さく口を尖らせると、先程のなまえのように、緩むその幼女の両頬を指先でむにっと包む。

「それって結婚だろ。ゼツとも結婚するとか言ってたろ」

「ぜつもするし、ひだんもするの!」

「ばーか。残念だったな。あれは一人だけとなんだよ」

なまえのおかげでほどけた表情が、少しばかり不機嫌に変わる。
気に入らない場面を思い出した、ということもあるが、この先の、未来なんてものを語ることがまず飛段の中ではまともじゃなく、現実に引き戻されたからだ。

結婚なんてもの、戻ったなまえにさえ、人殺しの自分にさえ、まだまだ、そして縁のない話。
いつまで生きるか分からない中の伴侶として、目の前の女性のことを考える飛段はなまえの幸せなんてものも、もちろん自分も。先のこと背負うこと、本気で考えたことはなかった。

目の前の女を好きなのかどうか。答えは出ているはずだが、いつも素直になれないのは現実がそれを目隠しするから。だから全てにイラつくのだろう。
戦い殺すことが全て。
そんな自分には、きっと、手に入れてはならないものだと。

どうせ戻ったら忘れていることを真に受けたくもない、未来に不必要の期待もしたくないと、飛段はいつもの自分に戻りかける。
自身の返事にうーんとなにかを考えるなまえを黙って見つめていれば、なまえはパッと顔をあげてそのキツイ色を映す瞳を見つめた。

「なら、ひだんとする!」

「!」

「いいでしょ?」

臆することなんてない。
下ろされる視線をものともせず、微笑む幼女に一瞬にして瞳の色は変わる。
ごちゃごちゃした自分の気持ちなんてものが、先の幸せを滲ませる瞳に包まれ見えなくなっていく。
それは、いつも彼女から滲み出てた、目隠しされた隙間からも差し込む光。
欲しくて、それでも心のどこかで拒否していた。
お互いのためなんて、全うな理屈をごねて。

「…俺だけのになるの、わかってんのか」

長い長い、未来の約束。
わかって言っているかなんて、問うたところでその顔は変わらないのだろう。

忘れようが、子供の言葉だろうが、現実がどれほど目を伏せようが。
今目の前で微笑むその女が、きっと自分は欲しくて、いとおしいと思ってしまったのなら。

「ね、けっこんしよう。ひだん」

その笑顔のある世界を映させてくれと、飛段はくしゃりと笑う。

「後悔すんなよ」

「しないよ。だいすきだもん」

「俺も、すげー好き」





そうだね、それならずっと一緒がいいね
(未来では、ちゃんと俺から誓うから)