例の騒動を昨日に過ぎた日。
この数日間いろいろとあった騒がしさはもうそこにはなく、いつもと変わらぬ日常がアジトには戻ってきていた。

本日は、ペインと小南以外全員任務。
すでに出発しているペアがほとんどで、皆で昼食を終えたリビングには今や静けさが漂っている。
残っている飛段・角都ペアもペインとの打ち合わせが終わり次第アジトを発つ。……はずなのだが。


「ひ、ひだんさん…っ」

「んー?」

いつもの通り後片付けで食器を洗うなまえの背中には、なぜか。
出発前で忙しいはずの飛段がここぞとばかりにべったりとくっついている。
先程からずっとこの調子ときたものだから、なまえの方は色々と限界が近そうで。
真っ赤な顔したなまえのお腹へ手を回し、ご機嫌そうに辺りへハートを撒き散らす飛段はその震えて言葉の続かない口許と、相反してうるさく鳴る心音の揃わなさに思わず笑い声を溢すほどだ。

「ふっ、ははっ。めっちゃ心臓バクバクしてんなぁっ」

「…っ。わかって、るなら、離し…」

「やーだ。かわいくて離せねー」

「…ほんとにっ、お、お皿、落としそうなので…その、離れて…」

お構い無しの飛段からのべたべたなスキンシップに本気で耐えられなくなってきたのか、皿を持つ手が羞恥や緊張でカタカタと震えている。
片付けが進まない以前にこのままでは自分と落としそうな皿がもたない!となまえはぎゅっと目を瞑れば、途端、後ろから何かを殴ったような鈍い音が聞こえる。
回されていた腕の感触が同時にするりと消えたのにもびっくりしたのだろう。
反射的に目を開ければ、後ろにいたはずの飛段は先程までいなかった角都に襟を掴まれだらりとしている。

「随分と長い便所だったな、飛段」

「汚い手でなまえに触らないでほしいわね」

どちらにしてもだけど。とでも言いたげに、部屋へ入ってきた小南はさも嫌そうな顔で俯く飛段を見下ろす。
後に続いて入ってきたペインに至っては心底呆れたのだろう。溜め息が大きい。

(この光景以外ないのか…?)

「まったく…話もわからない馬鹿、暁に必要かしら?」

「今日の任務の途中にでも捨ててくるとするか」

この二人の言うことは冗談に聞こえないんだよなと思いつつも、本人もさすがにこのことを看過するつもりはないようで。
もう一度息を吐くと飛段を下目に目の前に立った。

「飛段。嘘にしろ本当にしろ、打ち合わせに参加する意思がないのなら回数が少なくて済むよう長期任務に就いてもらう」

ぴくり。
いつもながらのまわりからの罵倒毒吐きはまだしもだったが、ペインの言葉にだけは反応を示す飛段。
長期任務ともなれば、その分打ち合わせといった話し合い回数は普段のものよりは少なくなる。面倒くさいことが嫌いな飛段としては悪くない条件かもしれないが、伝えたいことはそういうことではないのだろう。
これは単に、ちゃんとしないのならなまえに会えなくさせるぞとのリーダーからの本気の脅し。
冗談ではないその言葉は、今の飛段にはとても酷く効いたようで、

「………無理」

項垂れたまま、気力なくぽつりと漏らした飛段。
いつもなら突っぱねてもいただろうに、あの一件以来の変わりように角都たちは目を合わせ溜め息混じりに肩を竦める。

(それほどまでだったなんて、気付いていないのは本人だけだろうか。)

その気持ちも覚悟も本気のものだと未だ捉えられてないのはなまえだけで。
この空気感に叱られている飛段が可哀想だとか、でもリーダーのお仕事ちゃんとしてほしいという気持ちももちろんですしと、どっちのフォローにも入れずおろおろしている。

「はぁ…。そろそろ行く。帰るのは明日の夕方以降だろうな」

「! は…はい!お気をつけて!」

すべてを回収するのは面倒くさいと投げ出した角都は、未だ伏したままの飛段をずるずると引き摺りながらドアの方へと向かう。
なまえは慌てて いってらっしゃいです! と声をかければ、その視界の端でなにかがひらりと揺れる。

気づいて視線を落とすなまえの瞳に映ったのは、拗ねたように口を尖らせながら行ってきますの代わりに小さく手を振る飛段の姿。
その頬は先程のやり取りが今になってじわじわとキタのだろう。
怒られて格好悪いところを見られてしまった恥ずかしさで若干赤く染まっている。
それがとても可愛く思えたのか、つられてひらひらと手を振り返すなまえの頬や口元も緩んでいて。
明日の夕食は頑張った飛段さんの好きなものを作ろうと決めてその姿を見送った。


「いつも以上に面倒だったな」

「角都、ちゃんと捨ててきてくれるかしら…」

「いやそれはそれで困る」

お前が言うと本当そうで怖い。 と続けるペインの言葉は届いているのかいないのか、聞いているのかいないのか、それとも果たして無視なのか。
真相はわからないが、小南はほわほわしたままのなまえへ声をかけると目線を合わせるようにその前へと屈んだ。

「なまえ、やっと(邪魔者)全員いなくなったことだし、片付けが終わったらショッピングにでも行きましょう」

(心の声が聞こえるな)

「! いいんですか!?」

パァッと明るく咲いたその笑顔に、小南も嬉しかったのか表情がいつもより柔らかい。
しかし普段から仕事漬けの小南だ。たまの休みくらい休息が必要なのではと頭を過ったのだろう。 あっ…。 と声を漏らしたその表情から読み取った小南は、なまえの頭を優しく撫でた。

「いいのよ。女同士で出掛けることなんて、今までなかったから」

微笑む小南が少し寂しげに見えたのだろう。
きゅうっとなった心臓のあたりを服の上から掴むと、なまえは はい! と嬉しそうに返事をしてその顔を見上げる。
その二人のやり取りに本当は自分もなまえとの時間が欲しかったが水をさすわけにもいかないなと、ペインは 留守番はしておくから気を付けてな。 と、同じようになまえの頭をくしゃりと撫でて表情を和らげる。

「リーダー…!ありがとうございますっ。すぐお片付け終わらせちゃいますねっ!」

飛段のスキンシップ(妨害)もあったが残り少しだった洗い物を済ませて早く小南と出掛けようと腕捲りし意気込むなまえに、小南はお願いね。と笑顔を崩さなかったが、一変。

小南もペインも同時に扉の方を向いたと思えば、その瞳は瞬時に険しいものへと色を変えていた。

「…?小南さん?リーダー?」

それを見られることがなかったのはせめてもの救いだろう。
急に扉の方へ向いた二人に、誰か帰ってきたのかな?それともお客さん?とつられてなまえも小南越しにそちらを覗くが、すっと細い両手の平が顔を包みなまえの視界は小南でいっぱいに。

「なまえ、片付けの続きお願いしてもいいかしら?」

しなやかな睫毛や髪と反した向日葵色の瞳が綺麗だなぁ、なんて。
今思うことじゃないにしても見惚れて(と固定されて)ふぁい…としか答えられなかったなまえに、小南は いい子ね。 と言い残す。
睨み付けた扉の向こう、ペインのあとを追った。











「どうしてあなたがここにいるの」

それはまるで別人、の表情だろう。
扉一枚隔てた空間で、目の前にいる渦巻き状のお面をつけた男へ向けるそれには抑えの利かないものが漏れ出している。

「なんだ?お前らの言っていた娘を見に来るのがそんなに悪いか?」

それに気づかない男ではないと知っているからこそ、悠長に軽い声で返すその態度が嫌なのだろう。
ギリッと歯を食いしばり嫌悪の表情を見せる小南に、隣に立つペインも表情は変わらずとも同じ空気を醸し出している。

暁のツートップがこれか。とお面の男はふっと息を吐き肩で笑うと、そんなものはついでだ。と歪むその目へ、嘲笑うかのような極上の視線を返した。

「あの女の居場所がわかったぞ」





平和ごっこは昨日で終わり
(物語は、ここから核心へと迫っていく)