夕暮れ時。
明るかった世界を闇が飲み込み、支配権は赤から黒へ。

賑わってくる街を抜け、帰路を辿る。
何回も歩いた見慣れた道。
ついでに、何回も寄ったことのあるコンビニで買い物を済ませ、何回も持ったことがある袋は、持ち辛くて仕方がなかった。

かさばる購入品に気をとられているせいか、子供の歩幅になったからか。少しだけ、家までが遠く感じた。
改めて、行ったコンビニのレジとの差や、人混みで見える景色、人から向けられる視線。全部今までと違うと思った。
この頃を鮮明に思い出せる人は少ないだろうが、自分も思い出せない方に入る。
特に、なのかもしれないけど。

ふと振り返って、見えたもの。
大通りから外れた道は建物のせいで陰り、自分の影と同化するくらい暗いのに、まだ陽の当たる道とはそれこそ天と地ほどの差があった。

人も少ないこの道。はやく帰ろう、なんて、体を戻してみたら、不意にかけられた、聞いたことのない低い声。
視界に捉えた服から視線を上げれば、暗くてよく見えないけど、どうやら男の人のよう。
初対面でこんなことを思うのは失礼かもしれないが、わたしの中の何かが告げること。
怪しいか怪しくないかでいったら、怪しい。
そう思ったから、“こんばんは”とかけられた言葉そっくりそのままを返して立ち去ろうと思った。でも、叶わなくて。
お嬢ちゃん、ひとり? って、手首握られて、追い込まれた壁際。
屈んで目の前で笑うその人は、 こんな時間に危ないから送っていってあげる。 と言葉を続けるが、もちろん遠慮する。
それにお嬢ちゃんじゃないし、会社帰りの時間の方が遅かったから本当はこんな時間も道も慣れている。のに。
でも、いままで、大人だったころは、こんなことなかった。
冷静に、危ない世の中だと思った。
それが移ったのか自分なりに強気で言った言葉も少し震えて出た。どいて、と。

この人は、なにがしたいのだろう。
誘拐?お金目当て?殺人?
人の通らないこの時間のこの道に、恐怖、というのか。少しの焦りが芽生えたようだった。

声を上げるか、走ってみるか。
人のいないここで誰かが気付く?狭くなった歩幅で、大の大人から逃げ切れる?第一、これって不審者だよね?
ぐるぐるとすごいスピードで頭の中を巡る考えに、自分の頭なのについていけなくなった。
ああもうどうしよう。やっぱり焦ってるのかな、これ。

わたしの言葉に反応を返さずただ笑う男を睨み付ける。
効果があるとかないとかじゃなく、だってもう、ほんと、どうしたら

「おいおっさん」

「!」

頭を抱えたくなるというか思考回路がうまく働かなくなったそんなとき、届いた声。
次は、ちゃんと聞いたことのある声。

「こ、た…?」

「……」

僅かに滲んだ中、手繰り寄せた視線はキツめの瞳を捕らえた。
以前のときとは、ちょっと違く見えた、向こうの背景より、キツイ、赤。

「え、なん、で…」

どうしてここに虎太がいるのかって、分からない中でぱっちりと合った目と目を虎太は逸らすと、幾分か上にある、目の前の人を睨んだように見えた。
ゆらりと立ち上がり、ブツブツとなにかを発しているその人は、虎太の目付きを写したかのように同じように睨み付け、一歩一歩、虎太との距離を詰めた。

「っ、虎太…!」

咄嗟に上がった声。これは虎太も危ないんじゃないか。
相手は大人だし、いくら小学生っぽくないからってこれは──。

考えるより体が動くってこのことなのか。すっ、踏み出した足と、焦りは焦りでも、さっきとは違う焦り。このままじゃ、虎太が。

ぶつかってやれば、少しくらいはなんとかって、動きながら思ってた。
そうしたら、っていうか、けど、っていうのか。わたしがその人に辿り着く前に、どうしてか、その人は宙に浮いていた。

「!?」

一瞬でよく分からなかった。目を丸くしちゃっただけのわたしに理解できたのは、ダァン!という大きな音と共に、地面に落ちたその人と、テレビ越しにしか見たことなかったけれど、これは、背負い投げ、ってやつ。

驚きと呆気にとられてうまく状況が結びつかないわたしの手首を、次に掴んだのは虎太。

「走るぞ!」

「えっ?」

有無を聞かず、引っ張られる。
その力が勢い余って、ちょっと浮いた。











「は、はっ、 …げほっ」

「…ここまで来れば、平気だろ」

「げほえほっ、く、るし」

ぐわん、と上がった体温と、ばくばく脈打つ心臓。
鈍い頭は置いてきぼりで、揃わない歩幅で走らされて、離れた公園にきて、わたしの息ばっかり、上がって。

「大丈夫かよ」

「え?ああ…、うん」

「追ってきてはねえみたいだな」

「ほんと?」

ふ、う。と、中々整わない息のまま虎太の言葉で後ろを見る。
足音も聞こえないし、姿も見えない。

「ほんと、に、大丈夫かな」

よいしょっと。
近くにあったジャングルジムに登り、てっぺんから再度辺りを見回す。
暗い公園と、薄暗い街灯と、わたしたち。
ほんとに追ってきてはないみたい。

「よかったあ…」

不安定な鉄の棒に身を預けて空を仰ぐ。
大きく息を吸ったら、生ぬるい空気が胸いっぱいに入ってきた。

「よかったじゃねえよ」

落とした視線は、少し怒ってるのかな。登ってきて、近くに座った虎太に。

「あんな変なやつに会ったら、逃げるだろ、ふつう」

「ん〜そう、ですよね」

全くもってその通りなんだけど…。
動けなかったというか、どうにかできるって思ってたのか。
体はこんなでも、大人なつもりでいたし、でも虎太が来てくれなかったら、どうなっていたんだろう。

「…ありがとう、虎太。また助けられちゃったね」

曖昧な返事が気に入らなかったのか睨んできていた虎太にそう言うと、じい…っと合った目を逸らさない。
先程のキツさを残してはいないが、赤い瞳というのは見慣れていないのだ。
そんなに見られる覚えはないし、わけがわからないまま、こちらも逸らせずに見つめ合うという状況で数秒。
まだ怒ってるのかなと思ったとき、虎太のキュッと閉じた唇がうっすら開く。

「お前、大人なの…?」

甲高く鳴くヒグラシの声が、少しだけ遠退いた気がした。

「……なんでそう思う?」

その確信に満ちた目。言われて少し驚いた。やばいな、とも思った。
どうしてそんなこと言うのかも分からないし、バレたのか感付かれたのか。
実際惚けることもできるし、私自身隠すつもりがなかったとしても、ミサキの言う“混乱を防ぐための否定”しようと思った。けれど、虎太の目。
ここまでの目をされるのなら、きっと本人もわかって言っているのだろう。
だから、

「ミサキさんと話してたの、聞いた」

否定は、しない。

「うん。そうだよ」

ずっと合わせていた瞳は、虎太から外した。
ふぅん、とそこまで驚くでもなく、地面を見つめる。

「助けてくれたお礼ね」

会ってミサキにバレたこと言ったら怒られるかなあと思ったけれど、まあそんなことはいい。だって聞かれちゃってたんだもん。
まだ残る夕空を再び見上げる。しばらく見ていた色と同じ。濃い赤。
落ち着いてきたとはいえ、未だに脈打つ心臓と滲む汗、上がったままの体温が慣れない。

「走ったの久しぶり。こんなに気持ちいいんだ」

でもそれが不思議と気持ち良くて、初めてと言っても大袈裟ではないくらい、わたしの中でそう思えた。
なんだろう、この感覚。

「やっと笑った」

「え?」

トーンのほんの少し違う声に自然とまた虎太を見る。
出会って間もないけれど、笑う虎太は珍しいと思った。
その優しい笑いが、なんでか、この感覚と相まってなんとも言えない気持ちになった。あったかくて、心が締め付けられるような…

「…えへへっ」

笑った自覚のあるときなんて、記憶にないから。
こんなふうに笑えたのは、きっと初めてだ。





満面の笑みをあなたにお披露目
(そういえば、なんでこんな時間にいたの?)
(日直の仕事で遅くなった)