暗く映る電車の窓に、ぽつぽつと水滴がつき始めた時点で嫌な感じはしていたけれど、改札を出てみるとやっぱり外は雨が降っていて。

「どおりで寒いわけだ…」

今朝出勤前にネットで見た天気予報は雨が降ることも、朝より気温が低くなることも伝えてくれなかったのに。

所詮予報は予報かぁと、肩で息を吐けば、それはまわりの、他の人たちも同じなようで。

備えあればなんたらなんて言うけれど、傘を持っている人は1割にも満たないな。
残りの9割の人は、駅にあるコンビニで傘を買ったり、残り少なくなってきたタクシーを使ったり。思いきって走っていく人もいる。気持ちはわかる。

ぼーっと眺めてはいた私も、まぁ例に漏れなくもちろん傘なんてものは持ってきていないのだけれど。

仕事で溜めた疲れを、息と共にもう一度吐き出す。
バッグからスマホを取り出して画面をつければ、残業はしなかったものの今がまずまずの時間だと告げていて、ちなみに通知がないことも教えてくれる。

帰るね。と送って、気を付けてね〜とにこにこの絵文字がついたメッセージを既読してからもう30分。
ふい、とラインへ動く指を制して一考。

今日は由竹が休みで家にいる。とはいえ、今から傘を持ってきてもらうには時間もかかる。
雨で肌寒い外にわざわざ出すのも申し訳ないし、そんなのわがままが過ぎる気もしてしまう。
嫌な顔なんてされないのはわかっているけど、やっぱりその選択肢はなし。やめよう。

「…買って帰るか」

暗くしたスマホはもとの位置にしまって、改札横のコンビニへ踵を返す。
不用意に家に傘が増えるのも嫌だけれど、仕方ない。
走って帰っても濡れてたら由竹に怒られるだろうしな、って。
しないけど、したときの、怒ったような心配したような由竹の顔を思い浮かべて無意識に口元が緩んでしまったら、 お、時間ぴったり? なんて、雨降る向こう側から慣れた声がした。

「由竹…?」

「おつかれぇ、なまえちゃん」

振り返った先でへらりと緩く笑ったのは、思い浮かべて、きっと家にいるだろうと思っていた、私の彼氏。
ぱしゃんと目の前の浅い水溜まりを避けると、雨粒を纏った傘を閉じて おかえり。 と私の隣へと寄った。

「ただいま…。え、どうしたの…?」

夜は冷えんなぁ〜。 と小さく呟く彼は、寒さからか背中を丸くするけれど。たぶん私も同じように目を丸くしてしまってる。
だって、いると思ってなかったんだから、多少なりとも驚いたりはするわけで。

背を縮めたとしてもまだ上にあるその顔を見つめたままでいれば、丸くした瞳の中で由竹は

「傘持ってってないでしょ?お迎えにきたぜ」

なんて。いつもの調子で親指を立てて華麗にウインクをキメる。
その手には、自分がさしてきた傘と、私のお気に入りの傘が濡れることなくここまできていた。

「わざわざ…来てくれたんだ」

「え〜?わざわざって距離でもなくない?それに、なまえちゃん濡らす方が嫌だしね」

伏し目がちに笑うその横顔にちょっと胸が鳴ったのは秘密として、 傘ちゃんと買うつもりだった? なんて少し図星なことをついてくるものだから、上手く誤魔化せなくて無言と微妙な顔をしてしまう。
そんな私を、由竹はまったくもうとでも言いたげに眉をハの字にして見下ろした。

「さ、帰ろ?実はご飯も作ってあるからさ」

傘を広げる音と、水滴が向こうの世界へと飛ぶ。
私用の傘を手渡して、先に雨の中へ一歩進むその後ろ姿に。
どうにも感情が揺さぶられたといいますか。いや、さっきからなんだ。

「由竹ぇ…」

「ん〜?」

「お前最高にいい男だね」

「デショ?…って言いたいところだけど、なまえちゃん限定ね、これ」

格好つけてそれがちゃんと格好つくんだから、ずるいよね。

人差し指を口元に当てて内緒のポーズをする由竹に、ちょっとどころか、かなり嬉しいなぁと思ったから。
少し濡れるくらいは許してもらおう。

数歩先行くその傘の中へ、僅かな雨粒を受けながら走り込む。

うお、と驚くけど、察しがいいのも助かるもので。
あれれ、相合傘なんてラブラブなことしてくれんのぉ? って、見上げた先で、にひひと笑う顔が心を満たす。

しますよ。好きが溢れてるなんて、恥ずかしくて言えないけど。





君がいるから息をする