窓、乗りこえて








お風呂も夕ご飯も済ませて、洗面台の鏡で自分の姿をチェックしてから自室に戻る。
自室だというのにここまで念入りに確認する人って他にいるんだろうか。


携帯のディスプレイに表示された時刻は22時を過ぎている。多分、もう家にいるはず。
窓のカーテンを全部開けてからベッドに座って枕元に置いていた漫画に手を伸ばす。
なんだかんだ楽しみにしていた最新刊だったから、つい夢中になって半分まで読んでしまった。
思い出したように窓に目を向けると、窓枠に片手ごと顎を預けてふてくされた様な表情をした切原がこちらを見ていた。



「……びっくりした」



切原とは家が隣なのもあって昔から家族ぐるみの仲で、昔は”赤也”って下の名前で呼んでいたりもしたけど、中学にあがってからはテニス部所属の人気っぷりや思春期もろもろの事情が重なって”切原”呼びになってしまった。学校の中でも、私が関わろうとしていないので、私たちが幼馴染であることを知っているのはごくわずかだろう。
学校では関わろうとしない分、こうして夜、窓越しに顔を見せ合うのが習慣化してしまった。



切原が口をパクパクと動かしているけれど、お互いに窓を閉めているのでその声は届かない。何?と思わず私も声を出してしまった。届かないのに。



短く携帯が音を鳴らす。表示には『何読んでんの』。差出人は切原。
そういえばあの口の動きはこの言葉だったようにも思える。

前はよく切原が窓を開けて話しかけてきたけれど、最近は寒いし親にも近所迷惑だからと注意されたのもあって携帯でのやり取りばかり。
それでも窓越しに相手の動きや表情はわかってしまうので下手には動けない。



『少女漫画』
『うわ聞いて損した』
『いつも少年漫画読んでるわけじゃないし』
『アンタ、いつもはすぐ俺に気付く癖に今日は漫画に夢中なんだな』



バレてる。いつも窓辺気にしてるのバレてる。切原のことだから何とも思ってないって信じてたのに。きっと携帯片手にこっち見てる。こんなのバレてるのに今更窓の向こう、見れない。


『こっち向かねえっすか』



……ベッドに沈んでしまった。これで切原に私の姿は見えない。
そういう催促やめてほしい。からかってるでしょ。


『文面で私相手なのに先輩用の口調になってるって、切原も相当な先輩っ子になったね』
『話逸らしてんなって』



あ、直った。たまに私にも出てしまう先輩に対する口調、生意気にも取れるけど可愛くて好きだったりする。
ていうか話題変え失敗した。
今日の切原はなんだか冴えていて調子が狂う。
既読スルーしてるのに返事の催促も来ないことに怒らせてしまっただろうかと心配になり、ようやく体を起こして切原の部屋を覗くも、そこはもぬけの殻だった。



「怒って部屋にすら居たくなくなったとか……!?」
「な訳ないっしょ」



聞えるはずのない声が聞えるのは私の幻聴だろうか。背後に感じる人の気配。うわぁ振り返りたくない。お母さんめ、切原だからって簡単に家に入れちゃって。一応年頃の娘なんだけど。


「いい加減こっち向けば?」
「急に来るのはどうかと思うよ?」


半袖のTシャツに緩いスウェット。部屋着だ。多分、部活終わりで直ぐお風呂に入ったんだろう。髪も乾かし終わって、セットをしていないふわふわの状態が目に見えてわかる。


「久しぶりにアンタの家、っていうか、部屋入った」
「入れないようにしてたし」
「何でだよ。なぁ、そろそろ俺こういうの嫌なんだけど」
「ほら、おかしいじゃん? 幼馴染とはいえ男女がこう親しくし続けるのもさぁ」
「だからその認識がおかしいんだって。俺は学校でも普段からももっとアンタと居たいっての」


切原が近い。私と居たいって、どういう意味なの。
これ以上切原と居たら、きっともっと好きになる。そんなの、何かあったときに今までの関係に戻れなくなるのが怖いに決まってるじゃない。家族ぐるみで付き合ってきたのに、そんなの、壊せない。


「切原、近……」
「アンタそこまで馬鹿じゃなかったよな?
何年の付き合いだよ、いい加減わかれよ。アンタのことなら俺わかってるつもりなんだけど」


ベッドのスプリングが揺れる。切原が腰かける動きがゆっくりに見えた。強い力に手が引かれて、更に切原との距離が狭まる。



「部活で疲れて直ぐ寝ちまいたいときだってあんのに、毎晩毎晩カーテン開けてる意味ぐらい考えてみればいいんじゃねぇ? 少なくとも俺、お前と同じ気持ちで開けてたつもりなんす、け、ど……」
「どこかの先輩に言った?」
「言ってねぇし! あー、締まんねぇ!」
「……そんな赤也も良いと思うけどね」


それまでは真剣な表情だったのに、顔を真っ赤にして照れる切原が可愛くて仕方なくて、赤也って呼んでみる。数年ぶりに呼んだその響きは懐かしくて、とても馴染んだ。


正直、赤也に言われたことで心臓は破裂しそうだしさすがに本人にそこまで言われてしまえば、色々覚悟はつくもので。
赤也は、私が赤也のことをわかっている以上に、私のことを理解してくれているのかもしれない。そう思うと、嬉しさで浮かれてしまう。



「明日、また夜聞くに来るから。それまでには色々考えて答え出しといて、かさね」



そう言い残して赤也は部屋を出た。
私が久しぶりに赤也の名前を呼んだように、久しぶりに赤也が名前を呼んでくれたことが嬉しくて、更に顔が緩みそう。

私が苗字呼びをするようになってから、対抗するみたいに”アンタ”としか呼んでくれなくて、こっちからやり始めたのになんだか他人になってしまった感覚があった。


そんな日々に寂しさを抱えることもなくなるのだろうか。
窓を見れば、もうカーテンは閉められて、部屋の電気は消されている。
明日の夜が、楽しみになった。



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