今度はわたしが救う番

 アーロンパークに助けに来てくれたトウシンさんの姿を最後に、精神的にも肉体的にも限界を迎えた私の意識は完全に暗い意識の底に落ちた。次に目を開けた時には、多分ナミさんあたりだろう、ボロボロの体は包帯とガーゼが目に見える体の部位の大半を占め、わたしの身体からは消毒液の匂いが漂っていた。
 起きて初めて自分の身体を見た時は、治療されていたのもあって、もしかして助かったのかもしれないとも思った。けれど周りの景色を見て、淡い願いはガラスのように砕け散った。
 最初に目に飛び込んできたのは、オシャレを目的としたコンクリート打ちっぱなしの家とは真逆の、中に囲ったものが脱出出来ないようにするのが主目的のコンクリートの壁だった。右、左、背後の壁には窓すらなく、目の前には中に居るものの脱獄を阻む、ギラギラとした趣味の悪い鉄格子。牢屋の内部は隅っこの方に、鉄格子の外側の廊下からは見えないように、ベニヤ板のお粗末な壁で隠れている簡易トイレとシャワー。シャワーの下には一応排水口はあるけど勿論小さすぎて逃げられそうにはない。天井からぶら下がっている電球は、埃を被っていて鈍い光を弱々しく発している。
 見るからに犯罪者を収容しておくようなテレビで見た牢屋──いや、それよりもきっと酷い。床には虫の死体のようなものがところどころ落ちていて、天井の隅や、床の隅には埃や蜘蛛の巣が張っている。あまりの不衛生すぎる空間に咽こんでしまうけれど、咽こむたびに衝撃が身体の傷に響いてしまって、まさに悪循環としか言いようがない空間だった。
 地獄の巣窟のような牢屋で一際異彩を放っている場所が一つだけあった。トイレの反対側に位置する形で設置してあった、刀や包丁など、刃物を打つ鍛冶場だった。部屋の大半を占める鍛冶場は、明らかに誰かが使っていた痕跡があって、見た瞬間に背筋が凍ったのを覚えている。多分ここでわたしが幽閉される前に知らない誰かが刀などを作らされていたのかもしれない。
 そして────。

「おい。今日のノルマはこなしただろうな。こなせなかった時は分かってるだろうな?」

 ──今はわたしがここに捉えられている。

 今日の仕事の進行具合を見に来たのだろう。忌々しい鉄格子越しにこちらを見る魚人に、鍛冶場特有の暑さに肌と喉を焼かれながら答える。ただでさえコンクリートでまともな排気口すら無い空間での作業は、体力も気力も大幅に削がれる。
 その上だだでさえ鍛冶場は鍛冶場の環境は最悪の極みだ、声を発するたびに余計に咳き込んでしまう。

「今日のノルマはこなしました……ゲホ、昨日渡したわたしの刀は一体いくらくらいに、」
「うるせぇ!! お前は黙って刀を打ってりゃいいんだよ! 妙なこと考えるなよ、ココヤシ村の奴らとナミが酷い目に合いたくなかったらな」

 下卑た笑みを浮かべながらわたしに脅しをかける目の前の魚人に、怒りと憎しみが心の底から湧き上がって、きつく唇を噛み締める。ココヤシ村の人達、なによりナミさんの事を出されたら強く出るわけにはいかない。
 ここに閉じ込められた一か月以上前の事を思い出して、自分の不甲斐なさとアーロン一味への燃え盛るような怒りを思い出す。

 牢屋に幽閉されてわたしは直ぐに刀を打つように命令された。トウシンさんがどういう方法を使ったかは分からないけれど、わたしがお祖父ちゃんの実の孫と言う事を証明してくれたらしい。そしてわたしを生かす条件として提示されたのが、アーロン達魚人海賊団の為に、刀をひたすら打ち続ける事だった。初めて聞いたときは死んだ方がマシだったんじゃないかと本気で思った。だって、これから一生日の当たらない牢屋の中で、刀を打ち続けなくてはならないのだ。なんでお祖父ちゃんから受け継いだ大事な技術を、トウシンさんやココヤシ村の人達を傷つけるアーロン達の為に使わなくちゃならないのだと、腸が煮えくり返る気持ちだった。
 最初は勿論抵抗しようとした。だけどトウシンさんやココヤシ村の人達と、ナミさんの事を出されては抵抗する事も出来なかった。
 特に抵抗しようとする気持ちが微塵も無くなったのは、幽閉されて五日後に牢屋へと現われた、ナミさんから聞いた話が決定打だった。

「遅くなってごめんねヒノデ」
「ナミさん……」

 鉄格子越しに見たナミさんは、とりあえず目で見える範囲では身体的な外傷が無いことに安心する。けれど五日前に助けてもらった時よりも、顔の表情に出るほど憔悴しきっていて、身体的な部分は無事だとしても精神的な部分はひどく疲れていることが伺えて、その表情がわたしの心を切り刻んだのを覚えている。元々はわたしのせいなのに、ナミさんに負うべきない責任を背負わせているようで、悔しくて、情けなくて、血が滲むほど手を握った。
 わたしの命が無事な事を確認したナミさんは、鉄格子の前にしゃがみ込むと、話しかけてきてくれた。久しぶりに話す自分への悪意を感じない人との会話は久しぶりで、うまく声が出ず、喉がはりつく。
 まさか二度目の会話がこんな場所だとは思わなかったけれど。

「アーロンとはトウシンさんが話を付けたのは知ってるわよね」
「はい。それは知ってます……」

 牢屋と言う地獄でたった独り刀を打ち続けるという事実が、わたしの心を引き裂く。ナミさんの無事を確認したのが更に拍車をかけてしまったのかもしれない。
 じわじわ溢れ出しそうになる涙を耐えようとするけれど、一度濁流のように流れ始めた感情を止めることは出来なかった。

「わた、わたし……どうなっちゃうんでしょうかっ! わたし、ナミさんやトウシンさんに、ひど、ひどいこと……なのに、わたし……!!」

 大粒の雨のように流れ始めた涙を止める術は無くて、最初に来て来た服ともう一着しか用意されなかった簡素な服はすでにどちらもボロボロで、服の袖で瞼を拭うたび、繊維が硬くなってしまってごわごわになっている布がわたしの瞼と肌を傷つける。
 情けなくも、問題を起こした加害者側であるわたしが、問題に巻き込まれた被害者側のナミさんの前で大泣きするなんてどうかしてる。そう思うのに、久しぶりに人に会ったと言う喜びが、わたしが必死に抑えてきた感情の蓋を壊した。馬鹿みたいに大泣きして、不安や恐怖をナミさんにぶつけてしまっていた。
 本来ならナミさんに責められてもおかしくないのに。
 グズグズと大泣きしながら泣き言を言うわたしに、ナミさんは鉄格子越しに優しく私を抱きしめてくれた。鉄格子の冷たさと、ナミさんの優しさが服越しに伝わってくる。

「大丈夫よ。必ずわたしがヒノデをこの牢屋から出してあげる。だからあと、あと少しだけ待ってて。あと少しでココヤシ村ごとヒノデをアーロン達から買ってあげる」
「買う……?」

 ココヤシ村とわたしを買うという意味が分からなくて、反射的に聞き返してしまったけれど、ナミさんの表情を見て、わたしはまた酷い事を言ってしまったんだと直ぐに分かった。憎しみも悔しさも悲しさも、すべて含めたような悲痛な表情を浮かべているナミさんに、自分の頬を殴りたくなる。

「──わたしがアーロン達の仲間になっているのは、ココヤシ村を買うためなの……一億ベリー。それでこの村を買える」
「そんな……!! 一億なんて……」

 到底十代の女の子が払えるような額じゃない。それこそ宝くじに当たるとか、何万分の一と言う奇跡的が起こらないと貯まらない額だ。
 まさかこんな形で、こんな地獄のような場所でナミさんがアーロン達側に付いている理由を知るとは思わなかった。本当はゲンゾウさんに言ったように、もっと皆さんとの信頼関係を、絆を築けてから……なによりナミさん本人から話してもらうのが一番だと思っていたのに。まさかこんな形で、こんな最悪な形でナミさんの口から話してもらうなんて絶対に嫌だったのに。
 悔やんでも悔やみきれない思いが、わたしの心の中で嵐のように吹き荒れる。なんてわたしは無力なんだろう。まるで自分がこの世で一番不幸みたいに思って、最低じゃないか。違う……本当に最低なんだ。
 ナミさんの温かい腕の中で、自分の愚かさを痛感して動くことすら出来ない。
 一向に言葉を発しないわたしに、恐怖に支配されて動けないと思ったのか、ナミさんが穏やかな凪のような優しい声で話しかけてくれた。

「……大丈夫よ。絶対大丈夫だから。絶対にベルメールさんの二の舞になんかさせないから」
(ベルメールさん?)

 最後に消え入りそうな声で呟かれた知らない名前に、誰ですか? と問いかけそうになった口は、寸前で踏みとどまった。
 あまりにも愛おしげに呟かれた名前は、同時にひどく悲しげに聞こえたからだ。
 それに今の呟くように零れ出た様は、もしかしたら今ナミさんが紡いだ名前の人物はこの世には居ないのかもしれない。そして──。

(もしかして、アーロン達に殺された……)

 考えたくはないけど、今のわたしの状況で『二の舞』なんて言葉が出てくるのは、絶対にアーロン達が関係してるに決まってる。聞きたい気持ちが無いわけじゃないけど、これだけ切ない声で零れ落ちた名前の人物だ。きっとナミさんにとってとても大切な人なのかもしれない。だからこそナミさんには絶対聞いちゃいけない。
 何も発しないわたしに、ナミさんはゆっくりとわたしを抱きしめていた体を離すと、固く閉ざされた鉄格子越しにわたしを見る。

「わたしなら大丈夫だから、今は自分の心配をして。トウシンさん達には会えないけど、わたしならここに会いに来ることは許可されたから、なるべく来るようにするわ。服も下着もすぐに持ってくる。だから――」

 生きることを諦めないで。
 声自体は小さかったけれど、心から私に生きることを望んでくれているナミさんの言葉は、わたしの体の中にするりと入りこみ、心の奥底まで届いた。
 そうだ。諦めちゃいけない。生き抜くことだけは。

(なにより、こんなにわたしなんかの為に必死になっているナミさんが居るのに、わたしが先に生きることを諦めちゃいけない)

 何度も何度も自分の胸に拳を当てながら言い聞かす。
 そうだ。絶対に諦めちゃいけない。それにわたしは絶対に元の世界に帰るんだ。こんな所で死ねない。死ぬわけにはいかない。元の世界でわたしがどうなっているかは分からない。でも、何も言わずにこちらの世界に来てしまった、何もかも置いてきてしまった。
 深呼吸を繰り返し、目の前に居るナミさんを見つめ直す。

「──分かりました。頑張ります。でも、もし、わたしが本当にアーロンさん達に見切りを付けられたときは、その時は……見捨てて下さって構いません……わたしが蒔いた種ですから。ナミさんが背負う事ではありません……」

 これだけは言っておかなくちゃいけない。多分ナミさんは凄く優しい人だ。自分を犠牲にしてでも人の事を優先するような人。そんな人に自分で自分を追い込んだわたしの命まで背負わせるわけにはいかない。

「あの、一つだけ質問良いですか……?」
「なに?」

 わたしが自主的に質問してきたのに驚いたのだろう。少しだけ身構えているナミさんには悪いけど、どうしても気になっている事を質問させてもらう。

「本当にわたしとココヤシ村を買うお金は一億ベリーですか?」
「っ!!」

 驚きに肩を震わせたナミさんに、やっぱり自分の考えていた事が正解していたのだと、溜息とも安堵ともどっちつかずな息を吐く。
 おかしいと思ったんだ。最初ナミさんはココヤシ村とわたしを買うのに一億だと言ったけれど、その後にアーロンさん達の仲間になっているのはココヤシ村を一億で買うためだと言っていた。そしてその後にわたしも追加されたんだろう。なら──。

(金額がそのまま一億ベリーなわけがない)

 アーロン達にとって例え使いこなせない力だとしても、悪魔の実の能力者のわたしは、脅威と判定されているだろう。そんな中で元が一億ベリーのココヤシ村の値段に、悪魔の実の能力者が追加されて、そのまま売買の値段が変わらない訳がない。
 多分ナミさんも気づかれるとは思っていなかったのか、元々綺麗な色白の肌を青白くさせ、微かに震えている。

「いくらですか、いくら……わたしの値段はいくらですか……」

 自分の値段なんか聞きたくない。人を売買するなんて頭がおかしい正気の沙汰じゃない。なによりわたしは物じゃない。でも今は、不快な気持ちをあらわにしている場合じゃないんだ。これ以上ナミさんに重い物を背負わせちゃいけない。
 言いにくいのかもしれない。ナミさんはわたしから視線を逸らし数秒言いよどんだけど、わたしの決心が伝わったんだろう。真っ直ぐ私の目を見据えてくれた。

「────五千万ベリー。ココヤシ村と合わせれば一億五千万ベリーにまで跳ね上がったわ」
「五千万ベリー……」

 その金額が安いのか高いのか分からない。人の命を金額で表すような国で生きてきてない。そういう国がある事もテレビでは知っていて、酷いとは思っていたし、どうにかならないのかとも思っていた。でも所詮は他人事だったのかもしれない。結局遠い国の話だと思っていたから、勿論可哀想とか酷い人達だとか無くなればいいと思っていた気持ちは嘘じゃないけど。でも、まさか……自分がそんな立場に置かれるなんて。

「それは、ナミさんが払うんですか?」
「……そうなるわね」

 一億と言う金額だけでも相当だ。いつからナミさんがアーロン達の仲間になってお金を貯めているのか分からないけど、きっと凄く危険な方法だ。ナミさんにこれ以上危険な真似はさせられない。

「それ、わたしが稼ぐことは出来ますか?」
「どういう事……」

 きっと何を言ってるんだと思っているんだろう。だけど、わたしには今自分で稼ぐ方法が一つだけ残ってる。

「武器を、刀を打てと言われました。それを……売るんです。わたしが打った刀を全て使うとは思えません。余る筈です。それをナミさんに売ってきてほしいんです……。ナミさんに迷惑をかけてしまうかもしれませんが……それでもっ!! ナミさんにわたしの事まで背負ってもらいたくありません……」

 自分で言ってても何言ってるんだとは思う。でも、今ナミさんにこれ以上重荷を背負わせないためには、これ以外方法が無いんだ。泣いてばかりはいられない。泣いてる場合なんかじゃない。自分に今できる最大限の事をしなくちゃいけないんだ。
 
「お願いしますナミさんっ!! 多分、ココヤシ村を買うお金の足しにもなるかもしれません!」
「……」

 色々考えているのだろう。わたしの視線から隠す為か、ナミさんは片手で顔の上半分を覆うと、暫くしてから大きくため息をついて、片手を顔から外す。

「分かった。アーロン達にはわたしが交渉してきてあげる。ただ、さっきのともう一つ約束して、絶対に無茶だけはしないで」
「はい。分かりました……だから、あの、ナミさんも無茶だけはしないでください。それだけは約束してください」

 ナミさん同様、わたしがナミさんに望むのはそれだけだ。この世界に来て初めて会った同年代の女の子。漫画のキャラとかそんなの関係ない。わたしにとってはトウシンさん達と同じく特別な女の子だ。会話だって全然してない。でも、それでも分かる。ナミさんは凄く優しくて、良い人だ。だってあんなにゲンゾウさん達に想われてる。ゲンゾウさん達が、ナミさんがアーロン達の仲間になっている理由を知っているのかは分からないけど、あの態度から見るに本心から嫌ってることは無い。
 助けてもらうのを待ってるだけじゃ駄目だ。もう何度も助けられてるんだから、今度は──。

(わたしが助ける番だ)

 強く、強く、わたしの中の心に決意を刻み込む。
 わたしの想いがナミさんに伝わったのか分からないけれど、恐る恐ると言った雰囲気で鉄格子の隙間から、小指を差し出された。

「じゃあ、約束ね。ほら、小指出しなさいよ」
「あ、はい……」

 いきなり小指を突き出してきた意図が掴めなくて、言われるがままに小指を差し出すと、優しくナミさんの小指が絡ませられた。

「指切りしましょう。約束するんだから」
「はいッ!」

 牢屋の冷たい空気の中で歌った約束の歌は、冷たいコンクリートに反響して寂しかったけれど、とても温かくて嬉し涙が流れたのを覚えてる。
 小さな子供のように指切りをして約束をした、一か月以上前のナミさんとのやりとりを忘れることは決してないだろう。
 今、わたしがこの牢屋で願うのは、ナミさんの無事と──わたしの体が最後まで持ってくれることだけだった。


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