運命の渦に呑まれて

  足首ほどまで伸びた草を踏みしめながら、数歩先を歩くオレンジ色の髪の女の子、ナミさんを見つめる。
 それにしても、よくあんな怪しい説明と今の怪しい事情で、わたしの事案内してくれるようになってくれたな、と我ながら思う。今思い出しても挙動不審もいいところだと、数十分前の出来事を思いだす。

◇◇◇

「本当に大丈夫? 見ない顔だけどどこから来たの?」
「あ、えっとあの……あ、いやその、おぼ、おぼえてないんです……いつの間にかここに」
「覚えてない? どういう事?」

 そこからはもう勢いだった。いきなり自宅から浜辺にいると言う現象、そして目の前にいる友達が話していた漫画に容姿、服装ともに偶然というにはあまりにも酷似しすぎている女の子。夢と言っめ終わりにしてしまうにはあまりにもリアルすぎる手についた砂の感触、全身を優しくさらっていく独特の生暖かく湿った潮風、鼻腔を突き刺すは塩辛い海の匂い、そして体を焼かんばかりに照りつける太陽、全てを知っているはずなのに全く別物に感じてしまう五感は、脳よりも遥かに優秀に世界が違う事を叩きつけてくる。
 目の前の人物の特徴から、非現実的で頭のおかしい仮説だけれど、友達が力説していた漫画の世界、もしくは違う世界、それか自宅に誰か押し入って誘拐されて浜辺に捨てられたとして、いや、もう何もかもがおかしいんだけれども、とにかく、友達が話していた内容を思い出そうとしても、友達の興奮具合の方が記憶に残っていて、記憶に残っているのは『海賊』『海賊王』と言う名前くらいしか思い出せない。理解の及ばない状況に対しての、記憶喪失と言う判断だったけれど、あれだけ混乱した状態で冷静に判断出来たことは奇跡に近い。なにより目の前の人物の名前がナミさんと言うことから、余計に友達が力説していた漫画が頭をよぎる。ナミさんの名前力説してたような気がするし。でもどうしよう、本当に記憶が曖昧すぎる……ちゃんと内容を聞いておけばよかった。友達の力説していた名前と、見せてもらった表紙のカラーリングや見た目、服装が一緒だから勝手に主人公的な人? と予想を立ててしまっているけれど、自信がなくなってきた……覚えてないよそんなに。
 とにかく、今わたしがいる場所がどこにしろ、優しげな人に出会えたのは良かった。誤算だったのは手に持っていた携帯とリュックの方だった。本能的に携帯は制服のポケットにバレないうちにすぐ隠したけど、リュックは無理だった。記憶喪失と言う設定にした以上、リュックなんてものは情報を握るということにおいて、一番の重要な手掛かりになる。勿論ナミさんもリュックの方に目を向けていてて、わたし自身も何もしないでいるわけにもいかなくて、図らずもリュックの中身を見られてしまったけれど。

「なにこれ、本よね? なんて読むの?」
「え? 現代文ですよね?」

 まさか日本語を話しているのに日本語が読めないとは思わなくて、ナチュラルに行ってしまったけれど、次の瞬間に瞬間しまった! と血の気が引いた。一度答えてしまったことを覆すことが出来るほど、わたしの頭の回転は早くはない。完全に後の祭りだった。
 けれど日本語を話しているのに、日本語を知らないと言う摩訶不思議な事態に、いよいよここはわたしの知らない場所だろうが、漫画の世界だろうが、はたまた別の世界だろうが、とんでも無いことに巻き込まれていることだけは、理解できた。
 心臓は早鐘を打って壊れてしまいそうだったし、異常事態でおさめるにはどう考えても気が狂いそうな状況に心身ともに限界がきそうではあったけれど、今はとにかくナミさんにこれ以上怪しまれるわけにはいかないと、何とか文字については、不思議と読めると、もしかしたらわたしの住んでた所特有のものかもしれないと言うのを、ナミさんと意見を出し合いながら何とか誤魔化した、いや、誤魔化せたと思うけど……どうやらここは日本語圏ではないみたいだ。現在進行形でわたしはがっつり日本語で話してるし、ナミさんの言葉も日本語で聞こえるけれど。謎すぎる……謎現象ばかりだ。
 幸いなことにリュックの中身も、他は、教科書と筆記用具、空のお弁当箱と水筒、ポーチなどの小物しか入っていなかったのは本当に良かった。携帯は制服のポケットに入れておいたから良かった。他に携帯以外の電子機器なんか入っていたら誤魔化せる自信が無かった。

◇◇◇

 改めて思い出しても挙動不審な自分の行動に、わたしがナミさんの立場だったら間髪入れずに逃げ去るだろう。まあ、多分ナミさんからしたらわたしなんかすぐ倒せると思っての事かもしれないけど。少年漫画らしいから。わたしなんきっとパンチ一発で倒されると思う。
 万が一にもそんな事にならなくて良かったと、胸をなで下ろしながら、ずり落ちたリュクをかけ直し、ナミさんに気付かれないようにに溜息を吐く。
 わたしの名前を知ったナミさんが、わたしの事を知ってるかもしれないと言う人の所に案内してくれると言い出したのはその後だった。どうやら学生鞄に付けていたみーちゃん達とお揃いの、ネームプレートに英語で彫られていた名前を読んで気づいたみたいだ。
 だとしても、わたしの事を知っているってどういう事?わたしはこの世界の人間じゃないのに知ってるなんておかしい。誰かと勘違いしているという事もあるけれど。
 脳裏にこちらの世界に来る前に読んだお祖父ちゃんの『航海日誌』という名の『物語』に書き記されていた『海賊王』という言葉が思い出される。最初友達から海賊王と言う話を聞いた時、偶然だろうと思ってたのに……。

(今の立場になって分かる。偶然で収まるような事じゃない)

 今まではお祖父ちゃんが、孫娘のわたしを楽しませるための『架空の物語』と思っていたけれど、思い出してみると、お祖父ちゃんはいつか必要になるからと言って、わたしに英語を教えたりしていた。ただ、お祖父ちゃんには申し訳ないけど、お祖父ちゃんの英語力は低くて正直勉強にならなかった。言っては悪いけど大雑把すぎるし、お祖父ちゃんの英語力自体、中学生ぐらいだったのもあって。これに関してはお祖父ちゃんの生きていた時代が時代だから仕方ないけれど。
 今までの思い出を振り返って、胸の内でいくらお祖父ちゃんの言動と、行動を否定しても、考えれば考える程気持ち悪い位にお祖父ちゃんの昔話と航海日誌、そして、わたしの今の現状が似すぎていて、言いようのない吐き気がわたしを襲う。わたしが一体何をしたって言うの? 明日はみーちゃんにシュークリームをあげる予定だったのに。それに数学の宿題もあるし、明日は体育でダンスの発表だった。それ以外にも学校の出席日数はどうなるの? 家の管理は? わたしが居なくなったのにはどういう理由がつくの? もしかしたら──。

(死んでたり、もともと居ない存在になってたりなんてことはないよね……)

 『死』や『消失』と言う言葉がわたしの脳内をぐるぐるとまわり始める。感じたことの無い、自分が存在すら無くなってしまっているんじゃないかと言う、圧倒的恐怖。気候は温暖な春のような気候なのに、どっと冷や汗が体から流れ出てきて、寒気が止まらない。急に自分の周りの酸素だけ薄くなったように感じて、息が短く切れ始める。

「ちょっと!!」
「あ……」

 いつの間にわたしの方を向いていたのか、ナミさんがわたしの両肩を掴んで、険しい顔つきでわたしを見ていた。

「本当に大丈夫なの? 記憶喪失って言うのは……確かに不安かもしれないけど、今から会う人は多分あんたを探していた人だから、きっとあんたの事もしってるわ」
「そうですよね……。すみません迷惑かけてしまって」
「いいわよ、別に。それにいつまでも海岸に居たら怪しまれるから」

 怪しまれるというのはどういう事なのだろう? 気にはなったけれど、なんとなくナミさんの口ぶりから質問するのは憚れた。
 その後はお互いに無言のまま、ナミさんの後を追って辿り着いたのは、腰ぐらいの位置の白いベニヤ板の塀に囲まれ、庭には家庭菜園とガーデニングが趣味なのだろうか、家の玄関まで続く石畳で割る様にして、向かって右側は沢山の野菜が実っている畑、左側には色とりどりの花が咲いていた。家もレンガ作りで、家の左側に煙突がある絵本に出てくるような家で、とても可愛い造りだった。

「じゃあ、わたしはここで帰るわね」
「え? あの……帰っちゃうんですか……」

 てっきりこのまま玄関まで行って、その、私を探していたと言う人を紹介してくれるのかと思っていたから、まさかここでお別れしてしまうだなんて思ってもいなくて、思わず引き留めてしまう。
 出来るなら一緒に居てほしい。一方的で、少しだけだけだけれど、知っている人物が居てくれるのはとても心強いし、なによりその人が本当にわたしの事を言っているのかどうかなんて分からない。もし違っていたらわたしはこの先どうしていけばいいの。
 勝手だとは自分でも思う。だけど本当にわたしはこの世界に身寄りが無いのだ。元の世界でも一人ではあったけれど、完全に身寄りが無いわけではなかった。だけどこちらの世界では身寄りが無いどころか、わたしが生まれたと言う事実すら存在していない。この世界がどういう仕組みになっているかは詳しくは分からないし、記憶喪失と言う嘘をついてしまった事もある。なにより、今はまだ混乱していて、まだ実感が伴っていないから変に冷静ではいるけれども、この後実感してしまったら、自分でもどうなるか分からない。

「ごめん、わたし用事があるの。それにこの村ではわたしには関わらないで」
「あの関わらないでって何で」

 なんでいきなり関わらないでなんて寂しいことを言うのか分からなくて、縋るようにナミさんに手を伸ばしたけれど、手はナミさんに届く前に背中を向けられてしまった事で、行き場をなくしてしまった。

「とにかく今回は特別だから。この村で目立たず生きていきたいなら、わたしとは他人のフリすること。いいわね?」

 背中を向けられたまま紡がれた言葉は、私を突き放しているように見えるけれど、どちらかと言うとわたしを気遣っての言葉のような気がしてならなかった。
 拒絶の色を全身から醸し出しているナミさんを呼び止めるようなことは出来なくて、遠ざかるナミさんの背中を見つめることしか出来なかった。
 ナミさんの背中が完全に見えなくなって、いよいよ自分は本当に一人なのだと思い知らされて、泣きたくなった。

「本当なんでこんな事に……」

 疑問に答えてくれる声はなく、涙で歪み始めた視界を制服の袖で拭って、案内してくれた家を見る。

「行かなくちゃ、行かなくちゃ始まらない」

 どんな人が出てくるのか、その人が知っていると言う『ヒノデ』と言う人物は本当にわたしなのか、だとしたら何故わたしを知っているのか、探しているのか――この悪夢から覚める方法はあるのか……。聞きたい事は山ほどあるんだ。立ち止まってる暇も、泣いてる暇もない。こうしている間にも時間も進んでいて、長引けば長引くほど、どうなるか分からないんだから。
 何度も同じことを言い聞かせて、自分を鼓舞して、意を決して敷地内へと足を踏み入れた。石畳を、悪いことをしているわけではないけれど、妙な緊張感からか、足音を立てない様に慎重に歩きながら、眼前に迫ったヨーロッパ風の扉の真ん中についている、金色ライオンの口に輪っかが咥えられているドアノッカーを二回ほど扉に向かって叩き、ノックする。お家の中で誰かが動く気配がして、ゆっくりと、わたしにとって天国の入口にも、地獄の入口にもなりえる扉が開いた。

「誰だ?」

 お家の中から出てきたのは、白髪のオールバック気味の短髪に、深いシワが顔に刻み込まれた若干険のある顔つきをした、お祖父ちゃんと同じくらいの年齢のおじいさんだった。足が悪いのか左手には、漫画やアニメの中の怪盗が持っていそうな装飾がついている杖を突いていた。でもおなんだろう、おじいさんと言うには少し……人としてのオーラと言うのか、存在感と言うのか、とにかくわたしの知るおじいさんとはかけ離れていた。体つきはそこまで良さそうには見えないのに、なぜか一回りどころか、二回り以上大きく見える。
 目の前に立つ、わたしと同じ人間であって、同じ人間に見えないおじいさんに圧倒されて、ナミさんに出会った時以上の緊張と圧迫感に、言いたい事をまとめる前に勝手に口が動き出してしまった。

「あ、あの……わたしヒノデと言います。ナ──じゃなくて、ここの村の方に案内されて訪ねてきたんです。えっと、あの、わた、わたしのお祖父ちゃ、あっ……とアカツキイッセンの……その孫で、ヒノデって言うんですけど……わたしのこと知っている人が、ここのお家に居るって聞いて……」

 なんとか吃りながらも全部話し終えたけれど、うまく伝わったかが全然わからない。と言うよりも自分が話した内容さえ既にうろ覚えだ。極度の緊張と言うのは、思ったよりも自分自身の記憶を曖昧にさせるらしい。
 相手の反応を見るのが怖くて俯いてしまったけれど、なにも反応が返ってこないことに疑問を感じて、恐る恐る顔を上げてみると、視線の先にいたのは、まるで生き別れの子供に会えたような、感無量ともとれるような表情をしているおじいさんだった。
 なぜそんな表情をするのか分からなくて、声をかけようと口開けた矢先、突然強く抱きしめられて声をかけることは叶わなかった。

「ああ……まさか、この歳になってイッセンの孫に会えるとは……」

 骨が軋むくらい強く抱きしめられながら、耳元で聞こえた耳慣れた名前に、天国の入り口のように見えた扉は、地獄に突き落とす扉でもあったみたいだった。

(お祖父ちゃん、あなたは本当に何を知っていて、何をわたしに望んでいるの……?)

 もう、本当に何も考えたくなくて、わたしの意識はテレビの電源を落とすように、暗い闇の底へと落ちていったのだった。


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