『すみません、約束は冬になりそうです』
要件だけ書かれた短いメールが届いたのは一月ほど前だった。一見不明瞭に見えるその文面は、けれどこれ以上ないほど彼の気持ちが滲み出ていて、胸が詰まった。
儚い雰囲気を纏う彼は、その実誰よりも強い。心の底から好きな物で深い絶望を味わったのに、彼は折れることなく前を見て歩いていく。その姿に私やさつきちゃんはどれだけ勇気付けられてきただろう。彼は自分のことを影だと言うが、私には彼の心の強さこそ眩しく輝く光のように感じた。
インターハイの出場こそ叶わなかったものの、彼は彼のバスケで確実に周囲に影響を与えている。それは黄瀬くんからの電話でもハッキリとわかった。
気の利いた言葉も浮かばずに、返事を書いては消しを繰り返した末、結局「楽しみにしています」と一文だけ打ち込む。表立って応援することはできないけれど、それでも人の感情の機微に聡い彼になら伝わる筈だと、祈りのような願いを込めて、送信ボタンを押した。
***
季節はじめじめとした梅雨も明け、日差しの眩しい夏へと移り変わっていた。
インターハイはなんの滞りもなく、それが当たり前であるかのように危なげなく勝ち進んだ。選手も喜んではいるが、努力の末の勝利を噛み締めると言うよりは、用意されたシナリオを無事にこなした安堵の表情と言った方が的確だと思った。決まり切った結果だと無感動にこなされる試合に、私も次第に感覚が麻痺していくのを感じた。
「……征十郎、今なんて言った?」
「僕は決勝戦に出ない。そう言ったんだ」
「何故?」
「それではつまらないからだよ」
何の感情も含まない表情と無機質な声とは正反対に、頭に血が上るのを感じた。ぎり、と奥歯を噛み締め、高ぶる感情を押し込めようとゆっくり息を吸い、吐く。感情的にならないよう、冷静になれと心で念じる。開いた口は、少し震えた。
「いくら洛山が強くても、青峰くんのいる桐皇相手に征十郎抜きで勝つ余裕なんてないわ」
「大輝は試合には出ない。海常との試合で負った怪我を桃井が見過ごすとは思えない。なまえがそう言ったんだろう?」
「……彼が大人しく控えに回るとは思えないけど」
「僕が出れば、な。僕が試合に出なければ桃井なら引き留めることが出来る。違うかい?」
淡々と返される言葉に、何も言い返せない。正論だった。
洛山は強い。征十郎を抜きにしても、全国随一の強豪だ。青峰くんのいない桐皇であれば、五将の三人がいれば勝つことはそう難しくないだろう。
けれど、例え相手チームのエースが欠場したとしても万全の体制で試合に臨むのが礼儀なのではないか。どうせ勝つから、つまらないからなんて、端から相手を見下して行われる試合に意味などあるのか。
征くんならそんなことしない、と喉から出かかった言葉を飲み込む。戸惑い、悲しみ、怒りと渦巻く感情を押し込め、目の前の人を見据えた。
「……駄目ね、今度こそ貴方を支えるって決めたのに」
意識的に普段より明るい声を出したのに、口からは情けなく震える音が洩れただけだった。
『征十郎』を否定したくない。それは『征くん』の弱さと私の頼りなさが生み出した存在だと思っているからだった。『征十郎』の言うことはいつだって正しい。彼は大言を吐くだけの実力があったし、論理的で反論の余地がない正論を話す。
けれど、私達はまだ未熟な子供だ。正論だけ受け止め人間らしい感情を否定出来るほど大人ではない。
チームとして勝利すれば良いだけだと主将に言われたら、それまでだ。そう頭ではわかっていても、やはり"キセキ"の彼らに出会い、年相応に笑っていた彼を望んでしまう。
「なまえ、僕がこうして表に出てきたのはなまえのせいじゃない」
そっと頬に手を添える征十郎の瞳は、愛しさと執着の色を浮かべる。征くんも大概私に甘かったが、征十郎はそれに輪をかけて甘い。どろどろに甘やかされて依存してしまいそうで、少し怖かった。あるいは、それが目的なのかもしれないが。
征十郎は私は悪くないと言う。けれど、征くんは私を恨んでやしないだろうかと、気が付けば変わる前の彼のことを考えてしまっていた。
「……それでも私は、皆と笑ってバスケしてた征くんが好きだったよ」
私が征十郎に対して否定的なことを言ったのは初めてだった。彼の母に似た美しい顔を歪め、次の瞬間、目の前が紅く染まる。
触れるだけと言うには長く数度押し付けられたそれに、キスをされたのだと頭が理解する頃には、痛いくらいに抱き締められて身動きが取れなくなっていた。どこか縋るようなその仕草に、先程までの怒りや悲しみが綯い交ぜになった感情とは別に、戸惑いが生じる。
「全てに勝つ僕は全て正しい。なまえを生涯の伴侶に迎える者として相応しい生き方だろう?」
「……勝っても負けても、強くても弱くても、どんな貴方でも構わない。ただ、笑って欲しいの」
義務感でなしに、純粋にバスケを楽しんでいたあの頃のように。今の征十郎は勝利を当たり前のことと拘ってないように見えて、誰よりも勝利に執着している。彼が本当にそれを望んでいるのなら、何もいうことは無い。
けれど、私には彼が望むものは勝利ではなく、年相応に接することの出来る友人、仲間、そして純粋にバスケットと言う競技を楽しむことに思えるのだ。幼い頃から大人でも音を上げるプレッシャーの中で育ってきた彼が、唯一心から楽しめるもの、場所がバスケと仲間だった。安息の場所はいつからか勝利への義務とプレッシャーに覆われた窮屈なものになってしまったのだろう。
「……例えもう一人が心に居ようと、なまえは僕のものだ。全てに勝利する僕こそなまえに相応しい人間だ。
だから僕を受け入れろ」
「……貴方が変わったようには私は変われない。征十郎が否定しても、私は"征くん"みたいに笑って欲しいと思うわ」
背中に回される腕に力が篭る。それは拒絶されることを恐れ、離れていかないように引き留めるような、力の強さに反して脆さを孕んでいた。
結局私は"赤司征十郎"に依存しているのだ。そしてそれは私に執着する彼自身のせいでもあった。初めに好きになったのは"征くん"でも、彼の弱さと勝利への権化として表に出た"征十郎"を愛おしいと思うのもまた、本心だ。
卒業式のあの日、「逃げられない」と漠然と感じたものはこれだったのかと、どこか他人事のように思う。
昔二人で泣き合った時のように、征十郎の背に腕を回し、「でも」と口を開いた。
「きっとどちらも合わせて"赤司征十郎"が好きなの。これからもそばに居たいと言うの気持ちに偽りはないわ」
いつの間にか背も追い越され、幼い頃のように弟のようにはとても見れなくなったのに、どこか脆さを感じる彼から離れることなんて出来ない。
抱き合いながらどちらからともなく触れた唇は、夏なのに少し冷たかった。
(170617)