久しぶりに歩く東京は京都とはまた違った暑さで、立っているだけでじわりじわりと体力が失われていく。それでも少し歩けば寒いくらいにクーラーの効いた場所が並んでいるからか、いくらかマシなのかもしれない。
忙しなく行き交う人々や、見る度に新しく変わっていく街並みは郷愁を感じるには変わらない物がないけれど、それでも「帰ってきた」と感じるのだから不思議だ。
「なまえさーん!」
弾むような声が自分の名を呼び、顔を上げる。桃色の柔らかな髪を高い位置でまとめたさつきちゃんは、走り寄る勢いのままに私へダイブしてきた。
「さつきちゃん!」
「昨日ぶり、ですね」
眉根を下げて笑うさつきちゃんに、胸が締め付けられる。ぎこちなく笑う私を、さつきちゃんは励ますように手を引いて歩き出した。
可愛らしい見た目とは裏腹に、彼女は敏く強い子だ。見ぬ振りをして逃げた私とは違う。さらさらと風に揺れる愛らしい桃色に涙が出そうになるのを止めようと、握られた手に力を込めた。
***
流行りのパンケーキやクレープが有名な明るいカフェを通り過ぎ、路地を少し入った所に小さな喫茶店に入る。程よくクーラーの効いた室内は心地良い室温に保たれており、身体を冷やさないようにゆっくりと汗が引いていくのを感じた。
コーヒーではなく紅茶を売りにしている此処は、こじんまりとした店舗ながら何組かの客が談笑しており和やかな空間だった。
「ここのミルクティーがすっごく美味しいんですよ〜」
「そうなんだ。じゃあそれにしようかな」
ニコニコとメニューを差し出してくれるさつきちゃんに勧められるがままにケーキセットを注文し、それらが届くまで他愛もない雑談に興じる。
人の良い笑みを浮かべた店員さんがケーキと飲み物を机に置いて離れた後、どちらからともなく顔を見合わせて、苦笑が零れた。
「インターハイ優勝、おめでとうございます」
「ありがとう。選手の努力が実って私も嬉しいよ。
さつきちゃんも、準優勝おめでとう」
喉まで出かかった「桐皇も強かったよ」は、飲み込む。エースである青峰くんが欠場した試合に対して言うには、他人行儀な気がしたからだ。さつきちゃんはそれもわかっているかのように、愛らしい顔で困ったように笑った。
角砂糖を一つ、紅茶に入れる。気泡を出しながらゆっくりと崩れていく様は、儚く寂しい。溶けきる前にスプーンでかき混ぜれば、初めから何も無かったように澄んだ水面が穏やかに波打った。
「赤司くん、凄いですね。まさか一年で主将になるとは流石に思いませんでした」
「私も流石に周りが許さないと思ったんだけど、征十郎だからなぁ……」
「ふふ、何だか想像できます。
……なまえさん、大丈夫ですか?」
優しい彼女はいつだって私を慮ってくれる。心配そうに揺れる瞳に映る自分が、情けなかった。
ゆるゆると首を横に振り、力なく笑うことしか出来ない。
「青峰くん、怪我は大丈夫?」
「はい、無理しなければ少し安静にしていたら治るみたいです。
練習、やっぱりあんまり来ないので……」
「そっか……」
弱々しく笑うさつきちゃんは、どうしたら良いかわからない遣る瀬無さに疲れ切っているようにも見えた。
彼らと同い年の彼女は、私以上に辛い思いをしてきた筈だ。才能の開花と共に道を違えた瞬間を間近で見たショックは、私には計り知れない。
それでも幼馴染みを見限らずに、笑顔でチームに尽くす彼女は、とても強く、眩しい。
「ごめんね、さつきちゃんに全部嫌なものを背負わせてしまって」
「そんなこと……!」
豊かな感情を宿す瞳に微かな涙を浮かべて、さつきちゃんは頭を振った。可愛い後輩を泣かせてしまう自分の不甲斐なさと、その根底にある"キセキ"の存在が、いつまでも胸の奥で燻っている。
彼らのしたことは褒められたことではない。決して少なくない数の選手が、彼らのしたことによって深く傷付き、夢を諦めた。
けれど、彼らだって葛藤があったのだ。大人顔負けの体格、技術、圧倒的な才能を持つが故に忘れられがちだが、彼らとて中学生。一人で生きていくには幼く、自らの葛藤を自分で処理できるほど大人ではないのだ。
「周りにいた私や……監督が、もっとしっかりするべきだったんだわ」
彼らの周りにいる大人や、一番近くで見て変化に気が付いた先輩が精神的な面をフォローできていたら、結果は違った筈だ。
それなのに、私や監督は自分が傷付くことを恐れ、彼らの変化を受け入れる振りをして逃げた。
「……なまえさんが謝ることなんて一つもないです」
それでも、征十郎もさつきちゃんも、そして黒子くんも、私を責めない。貴方は悪くないと、口を揃えて言うのだ。
優しい彼らに甘えていた私は、今度こそ彼らの支えになりたいと思う。
「皆変わったけど、なんて言うのかな、別人になったわけじゃないのよね。根は変わってなくて、ボタンを掛け違えちゃってるような感じ、なのかな」
大好きなスポーツに向き合う真っ直ぐな彼らなら、違えたボタンも掛け直すことが出来る。ただ、一介のマネージャーとして何が出来るのだろう。
負ければ何か変わるんじゃないか。そんなこと何千何万回も考えた。けれど彼は何をしても負けることはなかったし、「もしかして」と淡い期待を抱いたインターハイすら危なげなく優勝と言う絶対的勝利を収めてしまった。
チームを支えるべきマネージャーなのに、少しでも敗北を願ってしまうなんて、選手に対する最低の裏切りだ。けれど私はいつものようにスカウティングで対戦校を分析しては対策を選手に話し、一切マネージャー業の手は緩めなかった。矛盾していると思う。
きっとさつきちゃんも同じなんだろう。チームが勝てば嬉しい。でも心の奥底では、勝利を手にしてもそれは当たり前だと冷めた瞳をする幼馴染みに笑ってほしいと願う。
「……また、皆で笑ってバスケしたいですね」
「……そうだね」
ただひたすらに眩しい彼らが心から笑って欲しい。手付かずのショートケーキに乗る宝石のような真っ赤な苺に、祈るような気持ちだった。
(170624)