久しぶりに部活もない休日は、身に付いた早起きの習慣でいつもと然程変わらない時間に目が覚めた。
征十郎の誘いで出掛ける予定はあったものの、待ち合わせまでは充分過ぎる程の時間がある。身支度もそこそこに、普段なかなかゆっくりと過ごせない朝を味わおうと、フレンチトーストを焼き始めた時だった。
ピンポーンと、凡そ早朝に似つかわしくない呼び鈴が鳴り、こんな早くに宅急便だろうかと玄関モニターを覗いた私は、そこに映った人物に二度三度瞬きをし、目を擦る。
もう一度鳴らされた呼び鈴で我に返り、慌てて玄関まで走ると、そこに居たのは涼しい顔をした幼馴染みだった。
「おはようなまえ。すまない、料理中かい?」
「お、おはよう……どうしたのこんな朝早く」
「なまえに頼み事があってね、朝のランニングがてら迎えに来たんだ」
「頼み事?……あぁでも待って、焦げちゃう」
「取り敢えず上がって」と伝えて、まだよく回らない思考を巡らせながら、火にかけたフライパンの元に走る。色良く焼けたフレンチトーストにホッと息を付き、玄関にいる征十郎に声を掛けた。
「征十郎、朝ご飯食べた?」
「いや、これからだよ」
「フレンチトーストでも良かったら食べてく?
シャワー浴びてる間に作れるから」
「それじゃあ、お言葉に甘えようか」
頼み事とやらは、食べながら聞こう。我が家のように慣れた様子で家を歩く征十郎にむず痒いものを感じながら、卵を手に取った。
一段落ついたところで、征十郎が置いていった荷物を持って脱衣所に向かう。以前テスト前の勉強会を開いた際、知らぬ間に征十郎が置いていった小さなボストンバッグには、着替えやアメニティと言ったお泊まりセットが詰まっていた。疑問符を飛ばす私に征十郎は「いずれ必要だからね」と微笑んだのだが、今日のこの日を予想していたならあまりの用意周到ぶりに恐れ戦く他ない。
「征十郎、入るね」
呼びかけながら脱衣所の扉をノックしようとした手は、しかし扉を叩くことは叶わなかった。虚しく空を切った右手がたどり着いたのは、丁度扉を開けた征十郎の手の中だった。どうやら少し遅かったらしい。
腰にタオルを巻いただけの非常に男らしい姿に、制服も私服も品のある着こなしをする征十郎とのギャップを感じて目を瞬く。男の子なんだな、なんて今更意識してしまい、けれどそれを悟られないように平静を装う。
「ごめん、ちょっと遅かったね。これに着替え入ってるよね?」
「ああ、ありがとう」
「もう朝食も出来るから、リビングで待ってるね」
そう言って荷物を渡しリビングに戻ろうとするも、掴まれた右手が抜けない。色の違う瞳がジッと見下ろしてくるから何かあるのだろうかと言葉を待つ。
神様が神経を尖らせ、細部まで丹念に、時間をかけて構築したのではないかと本気で思う程にも美しく整った顔は、彼の周りと比較すると幾分幼さを残している。それは彼の内面の成熟具合と反比例しているようで、本人に言ったら機嫌を損ねるのが明白で口にしたことはないが、私はそこが可愛くて堪らないのだ。
未だ言葉を発さない征十郎を見つめ返し、ぼんやりと思考を巡らす。私を見る瞳は、彼にしか出来ないコートの未来を見通す為に大きく、長い睫毛で縁取られ、瞳にほんの少し影を落としていた。
物心つく前からの仲だけあり、恐ろしいことに征十郎の顔に慣れてしまっているが、改めて見ると本当に端正な顔立ちだと感心してしまう。
「征十郎って本当に綺麗な顔だよねぇ」
「……男が綺麗と言われても反応に困るな」
思ったことをそのまま伝えると、どこか不満そうな表情を浮かべた征十郎は、しかし毒気を抜かれたようにゆるりと表情を和らげてそう言った。口元には苦笑いが浮かんでいる。
不意に掴まれたままだった右手を引かれ、前のめりに征十郎へと重心が傾いた。呆けた顔をしているであろう私とは真逆に、征十郎は真面目な顔で掴んだ手を自身の口元まで掲げると、手の平に一つ、キスを落とした。
驚きに固まった私を他所に何度か繰り返す。
状況を理解して沸き立つように顔に熱が集まるのを感じるものの、手の隙間から見える瞳に、言葉も行動も時が止まったように動けなかった。
「キスはする場所によって意味が異なるんだ」
瞼を伏せて再度唇を寄せる征十郎が言葉を発する。手の平に息がかかり擽ったさに小さく吐息をした。征十郎の声音は淡々としているようにも、小さな子供に言葉の意味を諭すようにも、何かに縋ろうと嘆願しているようにも聞こえた。
「場所によって意味が異なる」と伝えたその真意は、その事実を初めて聞いた私には図りかねる。けれど、私を見つめる宝石のような瞳に宿る熱い程の熱情が、言葉にするよりも強く訴えてくるようだった。
征十郎は狡い。何時だってどんな事まで見透かして何でも知っているのに、肝心なことは言葉にしてくれない。それなのに、こちらが勘違いだと思えないほどに、その強い光を宿す瞳で真意を伝えようとするのだ。目は口ほどに物を言うとは、征十郎の為にあるような言葉だと半ば本気で思う程に、その瞳の物言いは口よりもよほど強かった。
私が彼よりも年下、いや、せめて同い年だったら可愛らしく甘えて言葉をねだることが出来たのだろうか。征十郎を前にして年の差なんてないと思っていたが、自分の奥底に眠る「幼い頃弟のように接していた男の子」と言う認識が殊の外強く根付いていることに、今更自覚して愕然とした。
そして同時に、彼にこれほど強く懇願させるくらいに想われていることに、強い喜びも感じる。それは「弟のような男の子」と思う一方「一人の男」として見ていると言う確かな答えでもあった。
「征十郎は、」
続く言葉を探して口を噤む。手を握ったままじっと見下ろしてくる征十郎は、急かすことなく待ってくれているようだった。
その様子を、纏まらない曖昧な思考の靄を吹き飛ばすかのように"愛おしい"と思った。大したことではない。ただ何となく目の前の男に求められたいと、本能でそう感じた。
握られた手の平を、征十郎の頬に寄せる。湯上りの少し湿り気のある頬は、添えた手が吸い付くように滑らかだった。彼の表情は変わらないけれど、ピクリと微かな反応に目を細めた。
「征十郎は、狡いわ」
「狡い、か。確かにそうかもしれないね」
「自覚あるなんて尚更タチが悪い」
漸くクスリと笑みを零した征十郎に、口を尖らせて不満を顕にする。
一枚も二枚も上手な年下の幼馴染みをやり込めようとすること自体が間違いなのかもしれない。それに、こうして明確な言葉を口にしないと言うことは彼自身もまた私を手中に収めきれずに居るのではないかと思う。
「湯冷めする前に着替えて、朝ご飯食べよっか」
「……なまえも大概狡いな」
「お互い様、でしょ?」
頬に添えた手を征十郎の手から抜いて、着替えを押し付ける。苦く笑う征十郎に同じ笑みを返せば、納得したのかそれ以上は引き留められなかった。
お互いに確信に近い答えを分かっているのに、私達は臆病だ。
湯上り半裸見られてせめて赤面くらいして欲しい赤司と動揺を悟られたくない主人公の(内面での)攻防。
手の平へのキスはおググりください。
(170702)