新幹線に揺られること二時間半。夏ぶりに降り立った地は、師走の文字通りただでさえ落ち着きのない街並みを更に忙しなく人々が行き交っていた。
冬の木枯らしが冷たく頬を撫で、寒さに目を瞑る。京都の底冷えするような寒さとは異質なソレは、空を狭めるビルの隙間から吹き荒ぶ風が背を押したり、はたまた道を阻むように顔に吹き付けるのだからひどく勝手なものだと思った。
今年最後の大舞台。夢を掴むための場所で、勝利以外の別のものを望む罪悪感に、刺すような冷たい風が身に染みた。
***
WCの会場に着いて暫く、監督の頼まれごとで体育館の事務所で手続きをしていた。予め登録した選手の名前の漢字が誤っているからその修正をするだけなのだが、年末で人手が足りないのか、事務所内は慌ただしい。普段事務仕事をしない人まで駆り出されているようで、バケツリレーのようにぐるぐると回される書類を見守っている内に開会式は終わってしまっていた。
「─うん、今終わったからすぐに合流するね。……うん、うん。わかった、ありがとう」
通話を切って、溜息を一つ。マネージャーは開会式に出なくても支障はないが、何となく気疲れしてしまった。
人でごった返す会場を走るのも億劫で、普段よりも歩幅を狭めてトボトボと歩く。中学の頃も何回か来たことがある為、玲央ちゃん達の待つ場所まで迷うことはなかった。現金なもので、見慣れた白いジャージの集団を見つけると安心感からか、笑みが零れる。
「なまえ、お疲れ様。大丈夫だった?」
「うん、何か手続きに時間かかっちゃって……開会式間に合わなくてごめんね」
申し訳なくて頭を下げると、玲央ちゃんは「大した話なかったわよ」と柔らかく微笑んだ。ありがとうの意を込めて笑い返し、そこで漸く物足りないことに気が付いた。
「玲央ちゃん、征十郎は?」
「あら?一緒じゃないの?」
「え?」
「征ちゃんなら中学の仲間に会ってくるって言ってたわよ?てっきりなまえも一緒だと思ったんだけど……」
口に手を添えて首を傾げる玲央ちゃんに首を振りながら、内心上がる心拍数に息が詰まりそうだった。
中学の仲間──キセキの皆に会いに行くなんて一言も聞いていない。勿論征十郎が誰にいつ会おうと本人の勝手だ。いちいち私に報告する義務などないし、私もそこまで望んでいない。
けれど、WCの試合開始直前と言うタイミングが胸をざわつかせた。「征十郎」になってからの彼は、言葉の選び方が挑発的だった。それは彼にとっては絶対的な自信からくる事実を話しているだけでも、受け取る側には挑発や見下されていると捉えられる。
キセキの彼等であれば、あるいはある種の挑戦状として受け取ってくれるかもしれない。それでも、かつての仲間と仲違いする姿を見たくない私は、玲央ちゃんに荷物を託し、賑わう会場を駆けた。
***
中学の後輩がカラフルなものだからつい感覚が麻痺してしまうが、赤い髪は早々いるものではない。人混みを縫うように進み、会場の入口に差し掛かった所で見慣れた赤い髪を見つけた。声を掛けてすぐに気が付いた征十郎は、涼しい顔でこちらへ向かってくる。
そして面と向かった時に、私は驚愕した。
「征十郎、どうしたのその髪!」
「前髪が邪魔だったから切ったんだ」
「何故今ここで切ったの……」
鏡も見ずに然程違和感なく切られた髪は流石の器用さだと思うが、突っ込みどころが多過ぎて言葉に詰まる。当の本人は「少し切りすぎたかな」と呑気に前髪を触っていた。
確かに目にかかるくらいには伸びていたので、随分スッキリしたと思う。整った顔を惜しげ無く晒す眉上の髪が、元より童顔気味の征十郎を更に幼く見せていた。
「征十郎、鋏なんて持ち歩いてたの?」
「いや、真太郎に借りたんだ。ラッキーアイテムらしい」
生真面目な顔で鋏を片手に闊歩する緑の後輩の姿は、悲しいかなすぐに思い浮かんで苦笑する。
しかし、と言うことは征十郎はキセキの彼らと話しながら皆の前で髪を切ったのだろうか。ますます状況がわからない。
「……皆、元気だった?」
「あぁ、良い目をしていた」
目を細めて不敵に笑う征十郎は、けれどどこか諦観しているようにも見えた。「そっか」と短く返し、胸の内に渦巻くモヤとまだ落ち着かない心臓を沈めたくて胸元をギュッと握る。
勝利に対する絶対的な自信の他に微かに滲む懇願にも似た渇望に、かつての彼の影を感じた。もしかして彼は、彼もまた、変わることを望んでいるんじゃないかと、都合の良いことを考えてしまう。そして同時に、結局私は「征くん」を望んでしまっているのだと、我ながら呆れる。
変わるきっかけとなった彼らと同じ場所にいるからだろうか、ここへ来てから心が掻き乱されっ放しだ。
「髪、ちょっと直そうか」
「あぁ、頼む」
誤魔化すように征十郎の前髪に触れる。所々長さがちぐはぐなっているのを見てそう言えば、征十郎は元よりそのつもりだったようで、あっさりと頷いた。
***
「はい、これ」
「わざわざすみません」
「ううん、こちらこそ勝手に持ってっちゃってごめんね。ラッキーアイテムだったんでしょう?」
「一応予備があったので然程問題はありません」
まあ、驚きましたが。そう続けた後輩に、苦笑する。再度謝っても、「先輩のせいではありません」と返されてしまう。
あの後緑間くんに借りっぱなしの鋏で軽く前髪を整えてから、ちょうど近くを通りかかった緑間くんに返しに来たわけなのだが、タイミング悪く借りた本人は監督に呼ばれて何処かへ行ってしまった直後だった。
緑間くんとは夏は会う機会がなかったので、実に一年半ぶりの再会だ。相変わらず端正な顔に生真面目な表情を浮かべている彼は、しかし最後に会った時よりも幾分雰囲気が柔らかくなったように思う。
「……緑間くん、変わったね。何か吹っ切れたみたいに良い顔してる」
正直にそう言えば、彼は少し驚いたように目を瞬かせる。しかし言わんとしていることを読み取ったのか、すぐにふ、と表情を緩めると口元に小さな笑みを浮かべた。その様子に、ここまで変わったのかと、今度は私が目を見張る番だった。
「敗北を知りました。……二度と、味わいたくないと思いました」
「……うん」
「貴女は変わりませんね。赤司も、あの時から変わっていない」
「…………」
緑間くんは、征十郎が変わったことを知っていた。それは他のキセキのように漠然と感じているのではなく、中学時代、征十郎の一番近くにいた彼だからこそ本質的な変化を感じ取っていたのだろう。
緑間くんは変わった。緑間くんだけじゃない、黄瀬くんもそうだ。そしてきっと、これから黒子くんと当たる青峰くんも、紫原くんも、小さくない変化が起こる。不思議とそんな予感を抱いていた。
けれど、どうしても征十郎が変わる未来は想像出来なかった。「したらいいな」と言う願望は幾らでも湧いて出るのに、想像は出来ない。それはもし何も変わらなかった時に必要以上に傷付かないようにと言う、臆病な予防線だった。
「みょうじ先輩」と落ち着いた声に、顔を上げる。エメラルドグリーンの瞳が、レンズ越しに真っ直ぐと私を居抜き、思わず背筋が伸びた。
「心配しなくとも、みょうじ先輩は何時でも人事を尽くしているのだよ。
それに、赤司は──洛山は、俺達秀徳が絶対に倒します」
選手や観客で賑わう体育館内なのに、緑間くんのよく通る低音は心地好く私の鼓膜を揺らす。彼らしい励ましと、選手としての宣戦布告。
決して好戦的ではない後輩の挑戦状を、返すことなんてできなかった。
「……ふふ、私が人事を尽くしていたら洛山は負けないよ?」
緑間くんの口元に微かに浮かぶ笑みに、せめて慕ってくれる後輩に対しては「先輩」であろうと、笑みを深めた。
(170729)