見上げても眩い程の星空は見えないけれど、地上の明かりに負けず明るく光る月が、夏よりも澄んだ空に浮かんでいた。夜の買い出しは褒められたものでは無いけれど、ソワソワと落ち着かない気持ちを紛らわす為にも、夜風に当たりたかったのだ。
考え事をするからと一人で来てしまったが、ドリンクの粉末など備品を詰めた袋を両手いっぱいに持つと、流石に誰かヘルプを頼めば良かったと苦笑する。自分自身思っている以上に、今日の試合に心が動かされているようだ。冷めない熱が、熱い程の感動が、何度も脳内で蘇る。火照った身体に当たる冷たい夜風が心地好かった。
妙なテンションで気持ちが高ぶっているからか、後ろから伸びてきた手に、上の空だった私は咄嗟に反応が出来ず、あっさりと荷物を奪われてしまった。

「──え?」
「よくこんなん一人で持ってたな」
「え、あ、……え?」
「ハッ、すげぇ間抜け面」

空になった掌と見上げるほど高い人を交互に見て、目を擦る。呆れたように鼻を鳴らすその人は、確かに今しがた私が考えていた人の一人だった。あまりに何度も思い出していたから、ついに目の前にいる錯覚だろうかと考えた矢先、容赦なく摘まれた頬がこれは現実であると告げていた。

「はほひへひゅん、ひひゃひ」
「あー?なんてー?」

面白がって引っ張られるが、されるこちらは面白くないどころか普通に痛かった。
一頻り弄り終わって満足したのか、漸く解放された頃には本気で顔の形が崩れたのではないかと思った。

「ひどい……」
「こんな夜に一人で何やってんだよ。赤司はどーしたんだ?」
「ただの買い出しだよ。征十郎は自主錬してると思う」
「洛山はこんな買い出しも女一人にやらせんのか」

眉を寄せる青峰くんは、元々の顔立ちと平均を遥かに上回る長身のせいで非常に威圧感が凄い。けれど言葉の端々に見え隠れする優しさがこそばゆかった。

「考え事したかったから私一人で出てきたの。いつもは他の人もいるよ」

聞いた割に「ふーん」と詰まらなさそうにそっぽを向く青峰くんに苦笑が零れる。プレイスタイルに表れているように、彼は基本的に自由奔放だ。何方かと言えば型に嵌った考え方をしがちな私とは正反対だが、等身大の自分を曝け出す彼はわかり易くて好きだった。
現に今も、興味がない体で荷物はしっかり持っているし、ちらちらと私が進む方を確認して歩いてくれている。

「試合、観てたよ」
「……そうかよ」
「青峰くん、凄く格好良かった」
「ハッ……負けた奴に言うセリフかよ」

吐き捨てるような言葉とは裏腹に、その声は彼らしくない力の篭らないものだった。
以前黄瀬くんが電話を掛けてきた時と同じ、同世代の選手が零す「負けた」とは違う重みの言葉に、掛けるべき適切な言葉が思い浮かばずに歯噛みする。万感の想いが篭ったそれは、とても大切なもので、安易な言葉を掛けることは戸惑われた。
言葉を探して口をもごもごとする私の横で、青峰くんはポツリと、辛うじて聞き取れるくらい小さな声で呟く。

「……お前の言った通りだったよ」
「ん?」
「高校入ったらもっと凄い選手が沢山いるって、なまえが言ったんだろ」

──言われた途端、先程から頭を過ぎる既視感の正体に気が付く。確か、ちょうど今くらいの寒さに身を震わせていた冬の事だった。
当時受験や引越しの準備に追われていた私は、部活の引退もあって青峰くん達も会うことは殆ど無くなっていた。だから余計に、あの時学校外で偶然出会った彼との会話を鮮明に覚えているのだろう。
夕暮れ時とは言え、バスケ部はまだ活動中である時間帯だった。公園のバスケットゴールに向かい合ってぼうっと立ち竦むその姿に、無意識の内に声を掛けていた。

「青峰くん?」
「!……おう」

普段ならば近寄ればすぐに気が付く彼が驚いたように肩を跳ねさせるのを見るに、よほど上の空だったようだ。私の姿を視界に捉えると、素っ気ない返事と共に再度視線を戻してしまう。
青峰くんと二人で話したことは殆ど無かった上、薄々勘付いていたことが事実として目の前に提げられているようで、気不味さと罪悪感から彼を真っ直ぐと見ることが出来なかった。
私が引退する前から燻っていた不穏な空気、そして校内ですれ違う後輩達から減っていく笑顔。その答えが今の青峰くんのように思えた。
視線を彷徨わせる私に、彼らしくない小さな声が鼓膜を震わす。顔を上げて彼を見るも、視線は変わらないままだった。

「高校、京都行くって本当か?」
「……うん、親の仕事の都合で引っ越すことになっちゃって」

受験も大詰めの三年生に対し、当たり障りのない話題だった。あまり大っぴらにしてはいないが、さつきちゃんにでも聞いたのだろうか。肯定の言葉を返すと、「ふーん」と、興味を失ったような声が静まり返ったコートに落ちた。
ふと、僅かな街灯に照らされた薄暗いストバスコートは、青峰くんに似合わないなと思う。誰よりもバスケが好きで、見ている人も自然と笑みが浮かぶほど楽しそうにプレイする彼は、まさに光そのものだった。
──大好きなバスケを練習すればするほど、対等に戦える選手が居なくなる。天才にしかわからない葛藤と孤独、周囲の曖昧な態度。あの時の彼は、とても不安定だった。選手でも無ければ同性でもない私には、彼にかける言葉が思い浮かばなかった。
暫しの間口を開いたり閉じたり逡巡した後、意を決して顔を上げる。このまま何も無かったように帰ってしまえば、もうそのまま関係が終わってしまう気がしたのだ。「青峰くん」と強めに呼ぶと、視線だけこちらに寄越したのをみて、口を開いた。

「私の行く高校ね、高校バスケで最強って言われてる所なんだ」
「……オレに勝てるヤツなんていねーよ」
「そうだね、青峰くん程の才能持った人、私見たことないかも。
でもね、やっぱり高校バスケは凄かったよ。男の子は高校で背が伸びる人も多いし、中学で目立たなかった選手が急に開花することもあるみたい」

胡散臭げに見下ろす瞳の奥に宿る渇望に、少しでも希望を持てるように。落ち着いて話しているように見せてはいるが、頭の中で彼を傷付けない、心に留めてもらえるような言葉を必死で探した。痛い程に脈打つ心臓を抑えるように、小さく深呼吸を繰り返す。

「明日すぐには、難しいと思う。それでも、青峰くんを負かしちゃうくらい凄い人は絶対現れるよ」
「……何でそんなこと言い切れるんだよ」
「女の勘、かな?」
「はぁ!?何だそれ……」

呆れたようにそう言って大きな溜息を零す口元に浮かぶ小さな笑みに、嬉しくなる。
選手として同じ土俵にも立てない私には、彼の気持ちを理解することは出来ない。どんなに想像を巡らせても、それは所詮想像の域を出ないのだ。だから下手な慰めや励ましは無責任なのではないかと思った。

「私、青峰くんのバスケしてる姿好きだよ。だから中学でも高校でも、観たいな」
「……別に、辞めはしねーよ」
「そっか、ありがとう」

彼のバスケを観たい、彼らの、笑った顔が見たい。そう思うのは私のエゴだ。彼らを救うことなんて出来やしないくせに勝手なものだと思う。
それでも、あの時「ありがとう」と言った私に呆れたように笑ってくれた彼の瞳は温かかったから。時が解決してくれると、思ってしまったのだ。彼らの優しさに甘えた自分に後悔するのは、その半年後のことだった。


「あの時ああ言ってくれたの、結構嬉しかった」
「あれはその……私もなんて言っていいか分からなくて、無責任に偉そうなこと言ってごめん」
「何で謝んだよ。黙って受け取っとけ」

頭を押さえつけるように撫で付けられ、視界が揺れる。乱暴な仕草なのに、どこか優しさの滲む力加減に泣きそうになった。ずっと夢見ていたあの頃に戻ったような懐かしさと、何よりも桃色の可愛い後輩に対して愁眉を開いた。
そして同時に、大切な幼馴染みも目の前の彼のように、義務感や周囲のプレッシャーではなくて自分自身が楽しんでプレイしていたあの頃を思い出して欲しいと思う。観ている私が心動かされた試合を、征十郎が出来たら。今なら、可能なのでないかと、淡い期待を抱いてしまう。
優しくて温かい気持ちと、まだスッキリしない薄暗い想い。それでも、今朝と比べると前向きな気持ちが勝っていた。それだけの力が、誠凛と桐皇の試合にはあった。
不意に立ち止まった青峰くんを見上げると、取り上げられた袋を渡される。いつの間にか征十郎や玲央ちゃん達がいるであろう調整用体育館まで、あと数十メートル程の場所だった。

「帰るわ、じゃあな」
「征十郎に会ってかなくていい?」
「やめろよ、何言われるかわかったもんじゃねー」

顔を顰めて踵を返す青峰くんに、苦笑する。黄瀬くんにも言われたことを思い出し、幼馴染みの認識のブレなさに感心してしまう。

「青峰くん、ありがとう!また、バスケしようね!」

どこか小さく見える、けれど色んなものを背負ってきた広い背中に届くように声を投げかける。返事の代わりにひらりと掲げられた掌に、頬が緩んだ。



(170807)