ポケットからハンカチが落ちる瞬間を見た。すごいタイミングだな、なんて思いながら、拾ったハンカチを手に落とし主を見上げ、その人の服に一瞬、そして端正な顔に浮かぶ闘志にもう一瞬、動きが止まる。
その人物が角を曲がったタイミングで我に返り、慌てて後を追う。

「これ、落ちましたよ」
「あぁ、ありがとうございます。……君は確か、」
「あらら〜?なまえちんじゃん〜」

久しぶり〜と間延びした喋り方と独特の呼び方に振り返ると、予想通りの人がいた。相変わらず大きな両手いっぱいに抱えたお菓子を食べながら近寄ってくる紫原くんに、へらりと締りのない笑みが浮かぶ。

「紫原くん、久しぶり」
「一人なんて珍し〜、赤ちん一緒じゃねーの?」
「飲み物買いに行っただけだからね」

まるでいつでも一緒にいるような物言いに、苦笑した。征十郎は意外と心配性なのかどこへ行くにも自分か、玲央ちゃん達を付けたがる節があるのであながち間違いでもないのだが、流石にお手洗いや飲み物を買いに行くくらいは一人で行かせて貰えないと困る。
ふと視線を感じて視線を横にずらすと、先程ハンカチを拾った黒髪の青年──氷室くんが目を丸くしつつ、どこか所在なさげに眉を下げていた。そう言えば自己紹介もしていないと思い、口を開こうとした時だった。とめどなくお菓子を食べていた紫原くんが私と氷室くんを交互に見て、思い出したかのように言葉を発した。

「あー、室ちん会うの初めてだっけ?
なまえちんはねー、赤ちんとこのマネージャーで、中学一緒だった人。なまえちんはどうせ室ちんのことも知ってるんでしょ?」
「アツシ、そんな投げやりな紹介初めてだよ……」
「あはは……相変わらずマイペースだね……」

ざっくり過ぎる説明に氷室くんと顔を見合わせて苦笑ってしまう。当の本人は一仕事終えたようにどこか満足気な顔でお菓子を食べることを再開する。
仕方なしに補足も兼ねて、再度自己紹介をしようと氷室くんに向き直る。氷室くんも改まってこちらに向くと、穏やかな笑みを浮かべて私の言葉を待ってくれた。ううん、噂通りの紳士っぷり。

「ええと、ご紹介にあずかりました洛山高校二年のみょうじなまえです。紫原くんと同じ帝光中出身で、今は洛山のマネージャーをしてます」
「あぁ、通りで見たことがあると思ったよ。
俺は陽泉二年の氷室辰也。そうか、帝光中の人だったのか」

「アツシと親しい女性なんて初めて見たからビックリしたよ」と笑う氷室くんに目を瞬く。次の瞬間、くすくすと堪えきれなかった声が漏れる私の横で、紫原くんが不機嫌そうに顔を歪めた。

「室ちんケンカ売ってんの〜?」
「はは、珍しいな、否定しないのか」
「なまえちんお菓子くれるから仲良くしてるだけだし」
「紫原くん、その理由はちょっと悲しいよ」

面と向かってお菓子目当てで仲良くしているなんて言われると、切なさな身体が揺らぐ。つーんとそっぽを向きまいう棒を食む耳に赤みが差していなかったら、わりと本気で悲しみに暮れたと思う。大きな体躯と反比例して中身は幼い彼は、時折鋭いことを言うものの、基本的には本能に忠実な自由人だった。彼の発言をいちいち間に受けて傷付いていては付き合っていけないと言うのは、中学で学んだ。
彼の新しいチームメイトである氷室くんは、短い付き合いながら早くも紫原くんの扱いに長けているようで、彼の発言を窘めつつも「本人の前で言っちゃダメだよ」なんて言っていた。

「なまえちん、何か持ってない?」
「ちょっと待ってね……あ、チョコあった」
「あ、これ期間限定のやつじゃん。秋田で見つかんなかったのに」
「関東が先行発売みたい。美味しかったよ」
「んー、ありがと〜」

手提げに入れていたチョコを箱ごと受け取り、ぽわぽわとお花を咲かせる彼は、大きな妖精だった。中学の頃、紫原くんのあの幸せそうな顔見たさにお菓子を持ってくる子が多かったなぁと、微笑ましい気持ちになる。

「うわ、これマジで美味いんだけど」
「口に合って良かった!すぐそこの売店でも売ってたよ」
「試合までまだ時間あるし、買いに行くかい?」
「行く〜」

早速お気に召したらしい紫原くんは、氷室くんの誘いに目を輝かせて売店の方へ足を向ける。「じゃあね〜」と手をひらひらさせる様子に、氷室くんと顔を合わせて笑った。初対面で数分足らずの間に、早くも二回目である。
紫原くんは体格も才能も恵まれた選手だが、如何せんキセキの中でもとりわけ癖が強い。歯に衣着せぬ物言いでチームメイトと衝突したことも少なくない。だから、氷室くんとのやり取りを見た時とても安心したのだ。

「紫原くんは陽泉でも変わらずマイペースなんですね」
「アツシの良いところでもあり、欠点でもあるね……それはそうと、同い年だろう?敬語じゃなくていいよ」
「ありがとう。氷室くんが紫原くんのチームメイトで良かったよ。包容力ありそうで」
「はは、そう言ってもらえると嬉しいよ」

何処までも穏やかで柔らかく笑う。今日初めて知り合っただけなら、ただ「良い人」としか思わなかっただろう。
"キセキの世代"を獲得した出場校は飽きる程に分析してきた。その中でもインターハイ三位の強豪校で夏以降の入部にも関わらずWエースと言われる彼は、長くアメリカに滞在していたらしく、試合記録も殆ど無くとても印象に残っていたのだ。
そして調べていく内に、誠凛の火神くんとの因縁を知ってしまった。先程ハンカチを拾って声を掛ける直前に見えた、瞳の奥の静かな闘志。才能を持て余して道を違えてしまった"キセキ"と、才能の壁にもがく彼が同じ場所で相対することに、運命めいたものを感じた。どうか、かつての彼らのように仲違いしないで欲しいと、勝手な想いを、抱いてしまった。
そんなことを考えていたから、「それじゃあ俺も」と軽く会釈をして紫原くんを追う氷室くんに、殆ど反射的に声を掛けていた。

「氷室くん」

首を傾げながら振り向いた氷室くんに、言葉が詰まった。初対面で言うべきことではないかもしれない、と今更ながら思う。けれど、呼び止めておいて何も言わない私を急かさずに待っていてくれる彼なら、もし的外れでも笑って流してくれるのではないかと淡い期待を込めて、口を開いた。

「I’ll cross my fingers for you.」

驚いて目を丸くする氷室くんに気恥しさが勝り、彼が何か言う前に誤魔化すように笑い、踵を返す。喧騒の中から呼び止める声が聞こえたが、今更振り返る勇気もなく、そのまま選手控え室へと走った。





氷室情報は虹村主将から仕入れました。
主人公は元祖情報通。

(170812)