春の京都はとにかく人が多い。国内外問わず観光客、修学旅行生、そして勿論京都に住む人々。街全体が観光地なだけあり、そこかしこに行列が出来ている。地図を広げれば所狭しと歴史的建造物や史跡が記されているが、あまりにも多過ぎるが故に観光客の殆どは有名所に集中し、大通りを一つ二つ離れた通りは案外人影も疎らだった。
景観条例で背の高い建物は限られている上に外装にも制約があるため、京都の見た目は一部の観光名所を除けば地味なものだ。築百年の建物も珍しくなく、外見はそのままに中を改装した所謂町屋カフェは年々どころか日に日に増えていっている気がする。
「良い雰囲気だね」
「でしょ?昔と現代が混ざったような空気って好きなんだ」
「なまえは良い趣味をしているね」
年下と言えど一人の人間として尊敬している人に褒められて悪い気がする筈無かった。だらしなく緩む頬を隠そうともしない私に、征十郎はフッと笑みを浮かべる。
障子で区切られた個室からは、外からは見えない小さな箱庭と、それに面した縁側に日が差し込んでいて、そこだけ外の喧騒から切り取られ、独立した世界のようだった。
店主の趣味でやっているというこの店は、定休日も営業時間もその日の気分という気紛れなもので、宣伝も積極的ではない。あまり大勢に来られては困ると、商売人らしからぬ発言に思わず笑ってしまったのはもう一年近く前の話だ。オーダーをとり、注文の品を出す以外は放っておいてくれるため、一人で読書を楽しんだり、誰かとゆっくりと話すのに最適だった。
征十郎と会うのは半年ぶりだった。東京と京都と離れていたのもあるが、お互い学校以外は殆どを部活に当てていたため、もし仮に私が都内に進学していたとしてもロクに会えなかったと思う。メールや電話はそれなりにしていたけれど、やはり直接会って話すとなると会話が弾んだ。表情の機微を間近に見ることができるだけで、言葉が止めどなく溢れる。初めはお互いに学校での出来事や京都という土地について、学食はアレが美味しいなどを話していたが、やはり自然と部活の話に流れていった。
「洛山のバスケ部はどうだい?」
「帝王の名に恥じない強さはあると思う。去年無冠の五将が三人入ったことでさらに強化されて、部全体の空気も引き締まってる」
ただ、とそこで一旦言葉を切る。一年間マネージャーとして見てきて感じたことを、上手く言葉にできなかった。ただ漠然とした不安は、何が原因なのかわからない。そして、選手でもない一介のマネージャーがそれを言うには失礼な気もした。
そんな私の心情を読み取ったように、征十郎は透き通った宝石のような瞳を私に向ける。何でもいいから言ってみろと、その目が語っていた。目は口ほどに物を言うとはこのことだと苦笑を漏らし、「上手く言えないけど」と前置きをして口を開く。
「良くも悪くも無難で、大きな弱点もなければ最大の武器もない。征十郎が入ることで攻守共に作戦の幅は広がるけど、」
「まだ足りない、と」
「…………帝光の時と、同じような不安があるの」
圧倒的な才能を持つ選手と、彼らに負けずキツイ練習に耐えて着実に実力を延ばす層の厚い控えがいた帝光時代。それでも、危うい状況は何度かあった。
曖昧だけれど過去に体感した不安を漏らせば、征十郎は考え込むように顎に手をやった。ふと目に入ったその手が、前に会った時よりも大きくなっている気がして、場違いにもドキリとしてしまう。
「テツヤのような6人目か」
「うん……黒子くんは特殊な存在だから、同じようなことを出来る人はそうそういないと思うけど、それでも何か一つ他校にはない洛山だけの強みが欲しい」
「こういう話をするという事は、検討がついているんだろう?」
さらりと零された言葉に瞠目する。本当に、彼には隠し事が出来ない。自分ですら隠し事ではなく「言葉を纏められない不確定要素」だと思っているのに、こうも的確に突かれると最初から私が出し惜しみをしていたように感じてしまう。驚いて止めた息を吐くと、自然と口には苦笑いが浮かんだ。
「征十郎には敵わないね」
「なまえのことなら何でもわかるよ」
「私そんなにわかりやすいかなぁ」
「ずっと傍にいたからね」
征十郎は時々、必要以上に私達の関係を強調する。他の人が気が付かない程度でも、魚の小骨のように胸の奥につかえた。
小さな違和感を振り切るように、バッグから部員のデータを書き記したノートを取り出す。付箋を貼っているページを開き見易いように征十郎の方へ向けると、意を汲んだようにノートに書かれた選手の情報をじっと見つめた。お世辞にも綺麗とは言い難いから、あまり見ないで欲しい。口に出さず考えていると、ノートから顔も挙げずに「見易く纏まっている」と褒められて、心の読まれっぷりに恐怖すべきか有難く照れるか真剣に悩んでしまった。
「なるほど、確かにテツヤのような意表を突くプレイができそうだ」
暫く思案するように顎に手を当てていた征十郎は、ノートから顔を上げてそう言った。私の考えていたことをみなまで言わずに汲み取ってくれたことに安堵の息を吐く。
きっとこれから彼が考えることは、黛先輩にとっては諸手を挙げて賛同できることではないのだろう。一軍にすら入れなかった人間がいきなりスタメン入りだなんて、人によっては大出世だけれど、今の征十郎にとっては使える駒の一つに過ぎない。きっと上手くいかなくなった時、黛先輩を傷付けることになる。それをわかった上で進言する私も、同罪だ。
窓を叩く水音に目をやれば、いつの間にか雨が降り出していた。小さな箱庭に植えられた木々が雨粒を弾き、水面を模した白砂に吸い込まれていく。光を失ったそこは、やっぱり外の世界とは切り離された小さな世界のようだった。
(2017.4.3)