黛先輩とは、部活では殆ど話したことがない。ただ一方的に、全体的に色素が薄く感情を表に出さない瞳と、一つ下の後輩に似たどこか儚い雰囲気を纏うその人に、少しだけ親近感を抱いた。
しかし先輩は私が「黛千尋」を認識していないと思っていたようで、半年ほど前に生徒会の用事で訪れた一学年上の教室棟で偶然出会い、挨拶をした時は大層驚かれた。
「お前、よくオレのこと知ってたな」
「?同じ部活ですよね?」
「いや、お前一軍のマネージャーだろ」
オレ二軍だし、と零した言葉は、自嘲的だった。こういう所も似てるな、と小さく笑った私を黛先輩は 怪訝そうに見る。
「部員のことを把握するのも、マネージャーの役割ですから」
「流石元帝光バスケ部のマネージャーサン」
皮肉が込められていることに少なからず嫌な気持ちを抱いたが、言い争う程の事でもないと苦笑いで誤魔化す。そんな態度もお気に召さなかったのか、眉間に皺を寄せさらに不機嫌そうになるのを見て、慌てて先輩を立てなければと口を開いた。
「中学の後輩に、少し雰囲気が似ていたので印象に残ってたんです」
「……そうかよ」
フイと逸らされた顔は見えなかったけれど、先程より幾分棘の取れた声音に安堵した。
そのまま当たり障りのない会話をしながら歩き、屋上に行くという先輩とは階段の手前で分かれた。私と黛先輩の交流と言えば、これくらいなものだった。
それからは私が一方的に部活での様子を見ていただけだ。それでも私が征十郎に黛先輩を推薦したのは、件の後輩に似ているから、というただその一点のみだった。
四月に入り退部届けを出してしまったその人を、征十郎は「僕が話を付けてくる」と一人で黛先輩がよく行く屋上へ向かったのを見送り、何となく落ち着かない気持ちで階段に座る。
十分も経たない頃、がちゃりと屋上に続く重いドアが開く音と共に、征十郎は先程と変わらない落ち着いた表情で現れた。
「黛先輩、どうだった?」
「なまえの言っていた通りだ。それと、林檎たんが可愛かった」
「え、征十郎?林檎……たん?」
「冗談だよ。なまえが一番可愛いから安心してくれ」
「何でだろう、征十郎が言うと冗談に聞こえない」
並んで話す征十郎は穏やかに笑っているけれど、昔から征十郎の冗談は笑えない。と言うのも「赤司ならまじでやりかねない」と中学の後輩が口を揃えて言っていた通りである。
黛先輩と一体何を話したんだろうと、部員の情報をまとめたノートをパラパラと捲る。渦中の先輩のページが目に留まり眺めると、趣味の欄に読書、その横に小さく「ライトノベル」とメモ書きが書いてあった。ライトノベル。読んだことはないけれど、聞いたことはある。漫画を小説にしたようなもので、一般的な小説よりも気軽に読めると、去年クラスメイトが話していたのを思い出した。
「彼が本を読んでいてね、読ませてもらったんだ」
「そうなんだ。面白かった?」
「そうだな……内容は些か陳腐なものだったが、千尋の言う通り気軽に読める中身の薄さだった」
それはつまり面白くなかったのだろうか。褒めているのか貶しているのかイマイチわからない評価を真顔でする征十郎に、この話題はもう振らないでおこうと心に決めた。
***
征十郎が黛先輩に会いに行った数日後。
お昼休みのために混雑する購買ではなく、少し離れた場所にある自動販売機の前に彼はいた。
「こんにちは、黛先輩」
「っ!……なんだ、お前か」
選ばれたお茶のペットボトルを取り出した先輩に並び、飲み物を選ぶ。フルーツジュースもいいけど、お茶も捨て難いな。自動販売機を前にして真剣に悩む私を見て「そんなに悩むことかよ」と小馬鹿にしたように鼻を鳴らす先輩にムッとし、生まれた反抗心を元にフルーツジュースのボタンを押した。ガコン、とそれなりに大きな音がして出てきた小さなペットボトルを手に取る。
自分から話しかけるタイプではないし、すぐに立ち去ると思っていたのに、その場に留まる先輩を不思議に思っていると、上から言葉が降ってきた。
「前も思ったけど、お前よくオレのこと覚えられるな」
「前も言いましたが、後輩に似ているので印象に残るんです」
かけられた言葉にそのまま返すと、難しい顔に見下ろされる。目立たないけれど、先輩も結構背が高い。私も平均身長より少し高いくらいだけれど、それでも少し見上げる形になる。
そう言えば、彼は私を知っているんだろうか。以前話した際に、帝光中出身であることは知られているようだったが、「お前」としか呼ばれたことがない。
「黛先輩」
「なんだよ」
「私、二年のみょうじなまえと言います」
「……知ってるけど」
「……知ってたんですね」
知らないかと思った、と呟けば何のことか察したのか「あー」と気不味そうに視線をさ迷わせた。
「お前三年の中でも結構有名なんだよ」
「えぇ?……一応生徒会だからですかね?」
「いやそうじゃなくて……まぁそれもあるだろうが」
何だか要領を得ない回答だ。
生徒会や部活動などで他の学年と関わることも多いため、一方的に知られていることには慣れてしまった。
けれど、歯切れの悪い先輩の言い方では、何か悪い噂でも流れているのかと勘繰ってしまう。怪訝な顔をする私を一瞥し、それでも口を開かない辺り話す気は無いようだった。
気になるけれど、話す気がないのなら無理強いするつもりもない。買ったばかりのフルーツジュースを一口飲み、そろそろ教室に戻ろうと改めて黛先輩を見上げる。
「部活、頑張りましょうね」
「オレ退部届け出したんだけど」
「私、黛先輩のバスケしてる姿、結構好きですよ。待ってますね」
暗に込めた『部活に来てください』。ふと視線を落とした際に目に入った時計が授業開始5分前を示していて、慌てて挨拶をして教室へ向かう。三年生の教室はともかく、次は移動教室だった筈。
察しの良い玲央ちゃんが教科書やペンケース持ってきてくれる事を祈りつつ、校舎を曲がる際に黛先輩を盗み見ると、片手で顔を覆って立ち尽くしていた。
(2017.4.10)