四月は年度始めなので、一年を通して最も生徒会の仕事が多い月だった。新しく編成された各委員会や新入生を迎えた部活動も含めた予算会議を筆頭に、年間行事予定の確定など毎日のように会議が行われる。
書記の仕事は目立たない分、地味に多い。飛び交う言葉を聞き漏らさぬように書き留めるのは勿論、会議前の資料を作成、人数分印刷しホチキスでプリントをまとめ……などと細かな作業に追われ、四月の半分を過ぎる頃までまともに部活に参加することが出来なかった。
監督には予め許可はとってあるから問題はないのだが、マネージャーの仕事を全て樋口先輩に押し付けている形になるので罪悪感が半端じゃない。それに、先日黛先輩に「部活来てください」と言った手前、自分が行かないとは説得力の欠片もないだろう。

「すみません、遅くなりました!」

扉を空けながら叫ぶように声を張ると、予想外に静まり返った体育館に響いた。一瞬、あまりの静かさに部活が終わってしまったのかと思ったが、あちこちに転がるボールや驚いたようにこちらを振り向く部員達が確かにそこにいる。異様な雰囲気に眉根を寄せながら、壁際でバインダーを持ったまま固まっている樋口先輩の元に近付いた。

「樋口先輩、長らく仕事お任せしてすみませんでした。それで、これは……?」
「みょうじ、お前すごいタイミングで来たな……」

部員の視線を辿り、入口からは見えなかった景色に瞠目する。
一軍のスタメンを含む部員が、四つん這いになって肩で息をしている。練習に疲れているとかそんな状況でないことは一目でわかる、異様な空気だった。
けれど、そんな彼らを見下ろすように佇む見慣れた赤色に、大体のことを察してしまった。

「やぁなまえ、遅かったね」

息切れもしていない涼しい顔がこちらを向く。何てことは無い、普段の征十郎の顔なのに、ゾクリと背が粟立つのを感じた。

「監督にも話はつけた。むしろ推薦してくれたよ。だが、」

良く思わない人間も多くてね、と冷めた瞳が地に這う部員を見下ろす。何人かが悔しそうに拳を握りしめたが、征十郎に反論する者は誰もいなかった。
大方、入学したての一年を主将にすることに反発した部員と1on1でもしたのだろう。いや、現状を見るに1 on 5くらいしていても可笑しくない。
確かに征十郎はバスケ選手にしては小柄な体型ながら、あの"キセキの世代"を束ねた人物だ。けれど、いくらなんでも全国の強豪から選りすぐった精鋭を一人で蹴散らすなんて。同じ体育館を走り回った頃とは明らかに違う力の差に、恐怖すら覚える。

洛山は実力主義の学校だ。それは勉強面でも部活動でも顕著で、学年問わず教師から推薦されたら一年生でも生徒会に入れるし、主将が二年と言うのも珍しくはなかった。それでも、一年生が入学してすぐに部長と言うのは異例中の異例。いくら"キセキの世代"を率いた主将と言えど、中学を卒業したばかりの一年が全国随一のバスケ部を背負うなど、三年間ここで地獄を見た部員からしたら憤慨ものだろう。
彼らの気持ちもわかるだけに、いつものように征十郎を見ることが出来なかった。成り行きを見守っていた白金監督がタイミング良く事情の説明と征十郎の主将就任を話し始めなければ、私の考えていることなどお見通しな彼に何か言われていたに違いない。

「……それと、今日から黛が一軍に入ることになった」

最後に告げた言葉に、静まり返っていた体育館がざわついた。所在なさげに監督の横に立つ黛先輩は、やはりどこか儚い雰囲気を纏っている。突然の昇格に物言いたげな部員も多かったが、監督の合図と共に散り散りになり、どこか落ち着かない淀んだ空気のまま練習が再開された。
先程の光景に未だ茫然とする私に征十郎の咎めるような視線が刺さるが、やはり彼を見ることは出来なかった。気が付かないフリをして隣に立つ樋口先輩に仕事を割り振ってもらい、ドリンクを作るべく体育館から逃げるように後にした。

『征くん』が『征十郎』になってから一緒に部活をするのは初めてだった。『征十郎』の勝利主義は言動から感じていたし、私が部を引退した後も折々で連絡をくれたさつきちゃんや黒子くんからも聞いている。だから予想はしていた。

「けど、やっぱりきっついなぁ……」

呟いた言葉は誰に拾われるでもなく、スクイズボトルを濯ぐ水流の中に吸い込まれていった。
征十郎の方針を否定する気はないし、彼の生まれ育った環境や、生来の彼の責任感の強さを考えるとそうならざる得なかったのだと思う。
実際に彼の言う通り勝利第一主義は強かった。勝敗のあるスポーツである以上、勝利に固執することは当然のことだ。
それでも、中学に入学して同等の才能を持つ"キセキ"と出会い、年相応にバスケを楽しむ彼とは違う。それが無性に悲しかった。

「なまえ」
「征、十郎……」

心地よい低さの声が鼓膜を揺らす。今一番会いたくて、けれど会いたくなかったその声の持ち主に緩慢な動作で振り向く。ぼんやりと歪む視界に初めて自分が泣いていることに気が付いた。

「なまえは甘過ぎる。優しさと甘さを履き違えてはならないよ」
「……征十郎は、変わったね」
「前の僕の方が好きかい?」

征十郎は自分が入れ替わった自覚があった。それはかつての彼が確かに存在したことの証であり、どうしようもなく苦しい。同じ人間なのに、違う。

「それでも、私は」

征十郎の傍に居たい。ぽろぽろと零れ落ちる涙と、小さく漏れた言葉。征十郎はその言葉に満足したように口元を歪めると、ただ無言で涙を零す私を優しく抱き締めた。




(2017.4.10)