部活も終わりいつものように征十郎と共に家路に着いた頃には、もう夜も八時を回っていた。簡単に食事を済ませ、お風呂に入りやっと一息つく。一日の中で貴重な自由時間を、さて何をして過ごそうかとお茶を啜っている時、マナーモードを解除した携帯が軽やかなメロディと共に揺れた。ディスプレイに表示された名前に数回瞬きをしてから、通話の文字に触れる。

「黄瀬くん?」
『あっ出た出た!久しぶりっス!』
「久しぶり。珍しいね、電話なんて」
『いやー久々になまえさんの声聞きたくなって。今、赤司っち傍にいるっスか?』
「征十郎?ううん、流石にもう家に帰ってるよ。征十郎に用なら直接……」
『あー逆っス、赤司っちいたらゆっくり話せないっしょ』

困ったような笑みを浮かべているのが見えるようで、思わず同じような苦笑をする。彼の言わんとしていることは誰よりも私自身がわかっているからこそ、何も言えなかった。
黄瀬くんは意外とマメなのか、私が卒業した後も定期的に連絡をくれる。その殆どは他愛もないメールだったが、こうして時々電話がかかってくる時は、彼の感情が大きく揺さぶられた時だった。勿論彼本人が言ったのではなく、私の推測なのだけれど。
初めは入ったばかりの高校生活やモデルの仕事について話していたが、やはり本題は別にあるのか話すにつれ徐々にどこか上の空になっていく。

『それでその時笠松センパイが、』
「黄瀬くん、その話さっきも聞いたよ」
『えっ!?あー……』

既に三回目になるその話を遮ると、気まずそうに口を噤む。本当に無意識だったようで思わず笑っていると、電話越しの雰囲気も少し緊張が解れたような気がした。
すぅ、と小さく息を吸う音が聞こえ、携帯を持つ手に力を込める。

『……負けたっス』

誰にとは言わない。けれど、その一言に今日の落ち着かない黄瀬くんの全てが篭められているのを確かに感じ取る。溜めたものを吐き出すように呟かれたその言葉は、同年代の選手が零すものと違った重みがあった。

「……そっか。悔しかった?」
『そ、っスね。初めて負けたし』

それからぽつりぽつりと、今日あったことを話し始めた。
相手は黒子くんのいる誠凛高校だったこと、監督すら舐めていたのにブザービーターで負けたこと、緑間くんにも会ったこと。相変わらず緑間くんは片手にラッキーアイテムを持っていたらしく、その姿を容易に想像できて笑ってしまう。

『それでオレ、黒子っちに聞いたんス。何で全中終わった後に姿を消したのかって』
「黒子くん、なんて?」
『それが、本人もわからないって……ただ、帝光の方針に疑問を持ったって。
オレ、勝つのが全てだって思ってたし、今でもそう思ってる。だから黒子っちのことがわかんねーんス』

帝光中は、勝つことが全てだった。チームプレーよりも勝つためなら個人プレーを推奨さえするその方針は、完全に才能が開花した"キセキの世代"によってより顕著になった。
彼らより一年早く引退した私は、その後のことは殆ど伝聞でしか知らない。それでも、引退前から燻る危機感はあったのだ。それを見ないフリをしてきたことを、そして結果として優しい彼と彼女を深く傷付けてしまったことを、心の底から後悔した。
大切なことから逃げた狡い私は、実の所黄瀬くんから黒子くんに負けたと聞いた時、少し嬉しいと思ってしまった。黒子くんが、いつかの約束を果たしてくれる。彼の努力が一つ実を結んだのだ。
だから、私も今度は逃げないで向き合おう。まずは一人では抱えきれない思いをぶつけてくれた眩しい彼に、私なりの言葉をかけようと息を吸い込む。

「私には勝利が全てって考えを否定はできないよ。でも、黒子くんの気持ちもわかる」
『……どうして』

縋るような声音に、彼の困惑した顔が浮かぶ。大型犬のような人懐っこさは、しかし彼が気を許した人にしか見せない素顔だ。貼り付けたような笑顔ではなく、自然体の感情を見せてくれることが嬉しいなんて、黄瀬くんに伝えたらどんな表情をするだろう。

「黄瀬くんは、」
『はい』
「バスケ、好き?」
『……は?』
「海常高校に入って、新しいチームメイトとするバスケは楽しい?」

畳み掛けるように質問を連ねた。黄瀬くんは思考外の質問だったのか、考え込むように言葉にならない唸り声を零す。急かさないよう、彼の言葉を待つと、ぼそりと呟くような答えが返ってきた。

『……考えたことなかった』
「じゃあ質問を変えるね。帝光でバスケ部に入った時、楽しかった?」
『……楽しかった、っス』

見ただけで何でも出来てしまう黄瀬くんが、初めて見ても真似出来ないプレイに憧れて入部したあの頃。何度やっても勝てなくて、それでも腐ることなく挑み続けた彼は、とても輝いていた。
それは部活中だけでなく、普段の学校生活でも同じだった。毎日飽きもせず同じメンバーでふざけ合っていた彼らは、試合中に見せる大人顔負けのプレイとは違い、年相応の中学生だった。

「もう一度聞くね。黄瀬くんは、海常でのバスケは好き?」
『……嫌いじゃ、ないッス』
「ふふ、今はそれだけわかれば充分じゃない?」
『ええ!?なまえさん〜』

さっきまで海常での生活を話す彼の声は生き生きとしていた。帝光中で、彼らの歯車が狂う前のように。彼はまだ気がついていないようだけど、嫌いどころか好きなんだろうと、電話越しにも伝わってきた。
まだどこか腑に落ちない様子だけれど、電話に出た直後から比べると声の陰りが消え、本来の彼らしい明るさが戻った気がする。

「もうこんな時間。黄瀬くんも明日朝練でしょ?」
『ええ、もうちょい……』
「また何かあったらいつでもかけてきて。
それに、次は誠凛を倒すんでしょ?」
『……はいっス!』

青峰くんに何度も挑んできたあの頃のようなやる気に満ち溢れた声に、安堵の息を吐く。
追いかけて追い越されて、互いに高め合える彼らを羨ましいと思う。彼らの悩み抱えるものを共有はできないけれど、こうして頼ってもらえるのは素直に嬉しかった。同じ部活でも、決して同じ場所には立てなくても、彼らを支え、近くで見ていたい。

『あ、最後に一つ……』
「?」
『赤司っちとなまえさんのとこも、ぜってー倒します』
「!勿論負けないけど、楽しみにしてるわ」

通話を終了し時刻を表示する携帯が、余韻のように暖かい。負けず嫌いな後輩からの堂々とした宣戦布告が、じわりと胸に染み渡る。

どうか、彼にもこんな気持ちを抱いて欲しいと願う。顔は見えないけれど、電話越しの彼はきっととても良い顔をしているから。年不相応の才能を持て余し、光を失ってやさぐれていたあの頃よりもずっと。
いつか征十郎が負けることがあったら、また『征くん』に会えるのだろうか。想像のつかない未来を夢見て、瞳を閉じた。



(170418)