「あらなまえ、今日生徒会は?」
「昨日で一段落ついたから、今日から部活に参加するよ」

授業を終え荷物を纏めていると、同じように通学鞄を肩にかけた玲央ちゃんに声を掛けられた。つい先日まで生徒会の後、ほぼ練習の終わり頃にならないと参加出来ていなかった私が教室で髪を括っているのが珍しかったのだろう。
年度始めの仕事も一段落した今、ようやく書類だらけの埃っぽい生徒会室から開放されると思うと、答える声もつい弾んでしまう。
荷物をまとめ終わるのを待ってくれた玲央ちゃんにお礼を言い、二人並んで廊下を歩く。

「でも驚いたわ、なまえの幼馴染みが征ちゃんだったなんて」

水臭いじゃない、とぷりぷり怒る彼は正直女である私よりも可愛いと思う。他の女友達よりも女性らしい玲央ちゃんに苦笑を零しながら、当たり障りのない返事をする。
けれどそれで追求の手を休めないのが玲央ちゃんだ。案の定征十郎との関係を聞き出そうと質問攻めにされてしまった。当たり障りのない言葉で躱し、掘り返されないようにとさり気なく部活の話へ誘導する。どうやらこの選択は正解だったようで、積もる話もあるのか上手く乗ってくれた。

「征ちゃんが主将になったのもビックリだけど、黛さんも驚いたわー
なまえ、知ってた?」
「監督から話を聞いたくらいかな。
……玲央ちゃんは、征十郎が主将になったのどう思う?」
「そうね、手放しで賛成……って訳では無いけど、あんな実力見せつけられちゃね」

恐る恐る、隣を歩く玲央ちゃんの顔を覗く。肩を竦めながら微笑む姿に、ちくりと胸が痛んだ。
"無冠の五将"とは、それすなわち"キセキの世代"の影に埋もれた存在だった。賞賛する言葉なのに"無冠"とは、なんて皮肉なのだろう。努力では埋められない才能の違いを見せつけられ、試合に出ないマネージャーには知り得ない苦悩もあった筈だ。軽率な言葉選びをした自分に内心舌打ちを零した。
不意に頭に降ってきた優しい感触に、目を瞬く。横目で窺うと少し困ったような、けれど優しい眼差しに喉の奥がつんと軋んだ。気にしていないと、優しく触れる掌が語っていた。逆に気を遣わせてしまったと罪悪感が蝕むが、誤魔化すように曖昧な笑みを浮かべる。

「おっ、レオ姉になまえー!部活なら一緒に行こうぜー!」
「なまえー腹減ったー」
「もう、アンタいつもそれね!」

がらりと変わった空気に、救われたような気になった。そっと玲央ちゃんを仰ぎ見ると、いつもの穏やかな微笑みが降ってくる。洛山に来て良かったな、と自然と浮かんだ笑みは、小太郎と永ちゃんの笑い声に溶け込んだ。

***

淡々と日々の練習を熟す選手達の横で、久しぶりのマネージャー業に専念できる喜びを噛み締めた。生徒会だってそれなりにやり甲斐はあるが、やはり部活に比べると退屈だった。
選手のように吐き気を催すほどの練習に打ち込むことはないけれど、ドリンク作り、タイムキーパー、スカウティング、休憩中のモップがけ、山のような洗濯物……と帝光中に負けず劣らず仕事内容は盛り沢山だ。
やることが沢山あればある程、それに没頭出来る。心の内に燻るモヤモヤとしたものに蓋をするには、それが一番だった。
入部して一月も経っていないのに、征十郎は既に部内を掌握していた。つい先日の騒動などなかったように、初めからそうであったように、征十郎を中心に纏まっている。誰も疑わない、何も変わらない日常。言い様のない違和感を抱きながら、けれどその正体は見えない。

「なまえ、大丈夫かい?」
「、!ごめん、ちょっとボーッとしてた」

じっと見つめ返してくるオッドアイは何でも見透かされそうで少し苦手だ。何でもないよ、と笑いかけ、外される視線に安堵したのも束の間、ボールペンを持つ手を掴まれ、反応が遅れた身体が征十郎に倒れ込む。
部活中に何をと詰問しようと上げた視線に、再度奥の奥を見据える赤い宝石が絡んだ。

「余計なことは考えるな。なまえは僕の傍にいればいい」

私にだけ聞こえるよう囁かれた言葉。掴まれた腕に感じる熱とは正反対に、氷水を浴びたような冷たさが肌を粟立たせる。振り払おうと力を入れた腕が、呆気なく離されだらりと揺れた。
傍から見たら、呆けてバランスを崩したマネージャーを主将が支えた、くらいに見えたのだろう。誰も気に止めることなく練習は続いており、掛け声やホイッスルの音が壁を一枚隔てたように聞こえる。何事も無かったように練習に戻る征十郎の背が、やけに遠くに見えた。

考えてみれば当たり前のことだった。チームメイトすら心からは信頼していない彼が、試合にも出ない一介のマネージャーの力を必要とするわけがない。薄々勘づいていたのに、心のどこかでまだ必要とされていたいと思っていたのだ。

「優しさと甘さは違う、か」

先日言われた言葉を反芻し、自嘲的な笑みが零れる。どんなに努力しても同じ土俵にすら立てないのに、何を期待していたんだろう。
暗く底の見えない闇に飲まれそうになった時、頭に過ぎったのは優しく淡い水色の彼と、可愛い桃色の後輩だった。彼らが弱音も吐かず自分の為すべきことをしているのだから、年上である自分が弱気になってどうする。
絶望しそうになる心を振り払うように、頬を叩く。じんじんとした痛みと共に、遠くに感じた練習風景と、そこに溶け込む紅色がすぐ目の前に現れた。

「自分の為すべき役割を考えろ」

涙を流す暇なんてないのだ。



(170421)