「えっ赤司となまえって付き合ってねーの!?」
「えっそうなんじゃない?」
「なんで他人事なのよ」
午前中の授業を終えた昼休み、午後の授業で使う数学の教科書を貸してくれと教室を訪ねて来た小太郎くんは、本来の目的を忘れている気がする。なんでなんでと小さな子供のように肩を揺らす彼を、周りのクラスメイトは慣れた様子で生温く見守っている。出来れば助けて欲しい。
ゆさゆさ前後に振られ若干気持ち悪くなってきた頃、見兼ねた玲央ちゃんが助け舟を出してくれた。
「やめなさい小太郎、それじゃ答えられるものも答えられないわよ」
「あ、そっか」
漸く解放されて、とりあえず小太郎くんのお目当ての数学の教科書を取り出す。「問三ってもう解いた?」という問いに、解いてないよと返せば絶望したような顔をするものだから思わず笑ってしまう。後ろの席に座る玲央ちゃんは、呆れたように大きなため息をついた。
「アンタ教科書じゃなくてそっちが目当てでしょ」
「今日当てられんだってー!頼むよなまえー!」
「それは自分で解きなさい。それよりなまえ、上手いこと躱したつもりかもしれないけどさっきの話、忘れてないわよ」
「うっ……玲央ちゃん手強い」
数学の宿題を早々に諦めたらしい小太郎くんまで身を乗り出してくるので、今度は私がため息を吐く番だった。その手の話題が好物な玲央ちゃんが逃がさないとばかりに目を光らせるものだから、いい加減降参すべきなのかもしれない。
「で、征ちゃんと付き合ってないってどういうこと?」
「特に深い意味はなく言葉そのままの意味なんだけどなぁ」
いざ話すとなると、どう言葉を選んでも男女間の好いた惚れたは避けられず、とても恥ずかしい。人の恋話を聞くのは好きだけれど、いざ自分のこととなると打算のない正直な自らの胸の内を晒す行為に羞恥心が拭えない。今まで私に恋話をしてくれた子達はこんな気持ちだったのかと、遠く離れた東京の友人達に尊敬の念を送る。
「付き合ってって、言われてないし」
「……は?」
ぽつりと呟いた言葉は、それでも二人の耳には届いたようだった。重なった呆れたような返しに、所在無く視線をさ迷わせる。しまった、これでは征十郎に振り向いて貰えずに拗ねてる女みたいじゃないか。
「でも好きなんでしょ?」
「そりゃあ、まあ」
多分、征十郎と付き合っているのかと浅い付き合いの人間に問われていたら、私は笑って「幼馴染みだから」とはぐらかして終わっただろう。
話の流れとは言え、聞かれたのがこの二人となると妙な誤魔化しは効かない。それは中途半端な嘘を付きたくないという信頼関係と、誰よりも近くで私達を見ている二人には「ただの幼馴染み」は通用しないのがわかっていたからだ。
私も征十郎も、公私は分けている。けれど『征十郎』になってから彼は時折酷く独占欲…いや、所有欲を見せるようになった。ふとした時に見せるそれは、鈍くない人なら気がつく程度に強い。
「ただの幼馴染み…にしては、近いわよね」
「ってか赤司はぜってーなまえのこと好きじゃん!?オレすっげー牽制されたもん!」
「アンタは人との距離が近過ぎるのよ!」
机に手を付き跳ねる小太郎くんと、目を釣り上げて怒る玲央ちゃんを宥める。
口止めされているわけではないし、この二人には言っても問題ないだろうと考えている時、玲央ちゃんが心配そうな顔で覗き込んできた。首を傾げて言葉を待つと、「ごめんなさいね」と前置きをして玲央ちゃんは口を開く。
「何か事情があって付き合えないとか?」
予想していなかった言葉に目を瞬かせる。
申し訳なさそうに眉尻を下げる玲央ちゃんは、聡い人だ。きっと赤司家という大き過ぎる存在が、私や征十郎の意思を無いものにさせているのだと思ったのだろう。
彼を安心させるように笑って首を振り、口を開く。
「ごめん玲央ちゃん、ちょっと小太郎くんの口押さえててくれる?」
「なんで!?」
「わかったわ」
「私と征十郎は彼氏彼女じゃなくて、婚約者。元々親同士の戯れ言だったけど、去年正式に許婚になったの」
事前に口を塞いでもらって正解だったと、元から大きかった目をこれでもかと見開いてくぐもった呻き声を漏らす小太郎くんを見て思った。お昼時でザワザワと騒がしいけれど、恐らく口を塞がなければ教室中に響く声で注目を集めていただろう。
目を輝かせて「まあ」なんて呟く玲央ちゃんは、けれど次の瞬間眉根を寄せて再び心配そうな顔になる。
「でもそれって…二人は納得してるのよね?」
「もちろん、お互い合意の上だよ」
安心させるように笑えば、玲央ちゃんは少し逡巡したようだったが、納得したのかいつものように綺麗な微笑みを浮かべた。
笑い合う私達の間で、口を塞がれ限界を迎えた小太郎くんが玲央ちゃんの手を振り払い、口を尖らせ怒りを顕にした。憤慨する小太郎くんに対して、玲央ちゃんは涼し気な顔だ。
「あら、忘れてたわ」
「ひっでーよレオ姉!」
「ごめんね、周りにはあまり聞かれたくなかったから」
憤る小太郎くんは、けれど自分の性格上大声を出していたからと軽やかに笑った。直情的に見えて一歩引いて物事を見られるのは彼の良いところだと思う。
「でもすげーな、高校生で許婚とか本当にいるんだな」
「うちはともかく、征十郎の家は名家だからね」
「二人が両想いって言うのがロマンチックね〜」
そこいらの女子に負けず劣らず目を輝かせてうっとりする玲央ちゃんに苦笑しながら、「両想い」の言葉に胸が痛んだ。
征十郎も私も、直接的な言葉は口にしたことがない。ただ幼い頃からずっと傍にいることに慣れてしまって、お互いにそれが自然であると思っている。征十郎に想われているのは自惚れではないと思うし、私も彼を一人の人間として好いている。
けれど「赤司征十郎」を想う時、どうしても美しい輝きを宿す二つの宝石を思い出してしまう。
どちらも合わせて好きだと言う気持ちに嘘はないのに、取れない棘が胸に刺さったようにいつまでも小さく傷んだ。
征くんも征十郎も、同じ赤司征十郎だ。私の愛する大切な人。自分に言い聞かせるように反芻するようになったのは、いつからだっただろうか。
(170517)