紺桔梗の恋文


柔らかな風の吹くそこは、今と昔が綯い交ぜになった空気にどこか懐かしさを感じた。空に向かって真っ直ぐ伸びる古びた塔を見上げ、なまえはほうと息を吐いた。
瞬間、びゅうと一塊の強い風が過ぎり、なまえの髪を宙に舞う。

「もしかして、なまえさんですか?」

ピジョットから降り立ったまだどこか幼さの残る青髪の青年は、頬を紅潮させ弾むように問いかけた。
なまえは青年の顔とピジョット、それから彼の奥に聳え立つ荘厳な建物を見つめ、一つの名前をどうにか記憶の片隅から引き摺り出す。数年前に会った時よりも随分と背も伸びて大人びた雰囲気に、時の流れを感じた。

「……ハヤトくん?」

確信は持てなかった為に語尾が上がり、答えを伺うように青年の顔を覗き込む。青年──もといハヤトの顔に浮かぶ隠し切れない喜色になまえはホッと胸をなで下ろした。どうやら、正解だったようだ。

「何年ぶりかしら。お父様はお元気?」
「はい!少し前にオレにジムを譲って、今は楽隠居です」

父のことを話す彼からは、心の底からの敬愛を感じて知らず穏やかな気持ちになる。
なまえが旅を始めた頃、当時のキキョウジムリーダーであった彼の父に挑んだ際、目を輝かせて二人のバトルに魅入っていたのがハヤトは、当時まだ10にも満たない齢だった。
何度目かの挑戦の末にジムバッジを獲得したなまえは、父が敗けたことを我が事のように泣いて悔しがる少年に、酷く動揺したことを覚えている。
トレーナーとてジムに挑戦し、勝利することは誰もが目指すものだと思っていた。負ければ悔しい、勝てば嬉しい。そして勝てば喜ばれるものだと思っていたなまえにとってハヤト少年の涙は罪悪感を抱かせるには十分な衝撃だった。

「あの時の男の子がジムリーダーなんて、時の流れは早いわね」
「あれはその……もうこの話はやめて下さい」

なまえが揶揄うように笑えば、ハヤトはばつが悪そうに顔を顰めて頭を掻いた。
マダツボミの塔を囲むように造られた池で遊ぶニョロモ達の声がする以外は何も聞こえない、静かな空間だった。
幼い頃とは言え自らの癇癪を掘り起こされて気不味く顔を背けていたハヤトは、チラリとなまえを盗み見る。長い髪を風に泳がせ、目を細めて空を見上げる姿に魅入られ、視線を外せなかった。
ジムリーダーに就任して少しは追い付けたのではないかと声を掛けた少し前の自分を嗤う。
ずっと憧れていた女性は、遠い存在の人だった。ハヤトより数年早く生まれた彼女は、初めてキキョウシティに訪れた時から既に才能と活気に溢れていた。尊敬し敬愛して止まない父以外で初めて憧れたトレーナーだった。
密かに恋慕の情すら抱いていたのは、しかしハヤトだけだった。なまえにしてみたら、ハヤトはせいぜい後輩トレーナー止まりだろう。
それでもハヤトはどうにかこうにか理由を付けてはなまえとの繋がりを保とうと、季節毎に色彩を変えるキキョウシティの風景を絵葉書にしてなまえに送り続けた。律儀にもなまえは旅先のポストカードに二言三言付けて返してくる。二人の間にあるの一方的な恋情だけだった。
本人に会ったのは、数年ぶりだ。けれど、こんなに近くにいるのに、手を伸ばしても届かない。埋まらない隙間に、ハヤトは歯噛みした。

「キキョウは綺麗な街ね。いつ来ても穏やかで、落ち着くわ」

生まれ育った街を褒められて、ハヤトは我が事のように嬉しく、また照れ臭く思った。
内に秘めたるこの恋情を伝えるには、度胸も気概も足りない。けれど、敬愛していることを滲ませる程度ならば。
後押しをするようにハヤトの背を叩くのは、父から譲り受けたピジョットだった。

「なまえさん」
「うん?」

なまえの髪に落ちた葉を掬い、向き合う。ハヤトと落ち葉を交互に見て目を瞬くなまえに、自然と柔らかな表情が浮かんだ。

「ずっと、憧れていたんです。
バトルの時に見せる好戦的な瞳も、パートナー達に向ける優しさも、ブレない芯の強さも、全部」

大空を自由に羽ばたく鳥ポケモンのように、何処へでも行く捉えどころのない人だと思った。
それなのに、まるで巣に帰るかのようにふらりと目の前に訪れては屈託のない笑顔を浮かべるのだから、諦めることは出来なかった。
くすりと小さく笑う声に顔を上げると、なまえが口元に手を当て、眉尻を下げている。ほんのり色付いた頬に、ドキリと胸が跳ねた。

「ハヤトくん、それじゃ告白みたいよ」
「告白だって言ったら、聞いてくれますか」

ほんの少しの戸惑いを滲ませた揶揄うような声音に、ハヤトは殆ど無意識の内に口を開いた。
途端になまえから揶揄いの色が消え、火がついたように染まっていく頬にハヤトが淡い期待を抱いてしまうのはごく自然なことだった。
悠久の歴史を見守ってきたマダツボミの塔だけが、彼ら二人の成り行きを静かに見下ろしていた。



アンケートコメントより『HGSSに因んでトレーナー夢』で連載でさらっと飛ばしてしまったキキョウのハヤト
『Replace』の主人公でもそうでない主人公でもどちらとも取れるよう形で書いてみました。

(170704)