そう言えば母にいかりまんじゅうを頼まれていたとなまえが思い出したのは、突発的なジョウト観光を初めて三日程経った頃だった。
初日にコガネを経てエンジュで旧友と再会したなまえは、互いに積もる話も崩れ落ちんばかりに積み上がっており、その後たっぷり二日ほど滞在していた。スイクンを追ってアサギ方面へ向かうミナキが居なければ、もう少し長く居座っていたかもしれない。それ程にマツバの家は居心地が良く、何だかんだなまえに甘いマツバの上げ膳据え膳は至れり尽くせりだった。
マツバの「何時まででも居たらいいんだよ」と言う甘言に後ろ髪を引かれつつ、ミナキの「いい加減マツバ離れをしろ」と言う厳しい意見に、なまえはぐうの音も出ずに大人気なくミナキに突っかかりマツバに止められたのが数時間前。
そして、せめてもの反抗としてミナキと反対の方向へ進みながら、思い出したのだ。冒頭の、いかりまんじゅうのことを。
「今日日どこでもお取り寄せ出来るのにね」
隣を歩くバクフーンに話しかけながら、山間の細い道を進む。話しかけられた彼はと言うと、なまえとのお散歩にご機嫌らしく道端で花を摘んではなまえの頭に乗せてニコニコと笑っていた。その様子に堪えられない感情がなまえの口元を緩め、バクフーンの柔らかな毛を撫で付ける。
雲間から程よく差し込む日差しは暑くも寒くもなく、絶好のお散歩日和だった。時折髪を攫う風も、どこか優しい。
母はなまえが旅先から送ってくるお土産が好きだった。旅先から直接送られてくる荷物は、自宅にいながらその土地の空気を運んでくるのだと言う。だから彼女は気に入ったお土産は必ず、なまえに頼んで買ってきてもらうのだ。
人使いの荒い人だとなまえは呆れ半分に笑うが、使いっ走りにされることに異を唱えたことはなかった。
「まぁ、たまには親孝行しないとね」
バクフーンから花束を受け取りながら、なまえは優しく笑う。
このまま穏やかに観光旅行を終えたいと思ったなまえはしかし、チョウジタウンに足を踏み入れた瞬間、強い違和感に襲われた。
チョウジタウンと言えば、ヤナギ翁がジムリーダーを務める山間の静かな、けれどどこかほっとする空気に包まれた穏やかな街だった筈だ。
しかし今なまえが感じるのは、張り詰めたようなどこか重苦しい雰囲気。数年ぶりに訪れたにしても、ただならぬ様子に、そっと眉を顰める。隣を歩くバクフーンも先程とうって変わり、何かを警戒するように低く唸り声を上げていた。
パッと見は変わった様子はない。道行く人々も、元々人口が多くはない為に疎らで、街全体は静かなものだった。
この張り詰めた空気は何か、考える。そしてふと手に触れた鞄から下げたポケギアを開き、ラジオを起動した。野生のポケモンが大量発生して暴れているのではないかと、各地のニュースを伝える番組を聞こうとした時だった。
「ーーっっ!!」
超音波のような不協和音がポケギアから響き、なまえは突然のことに咄嗟に両手で耳を塞いだ。顰めた顔を地面に向けると、思わず落としたポケギアの画面は、確かに「ポケモン講座」にチャンネルが合わせられている。となると、電波ジャックの類で謎の電波が飛ばされていると言うことか。
その時、遠くから聞こえた咆哮に、なまえは考えるより早く駆け出した。
***
「な、にこれ」
ポツリと零した呟きは、視界を遮るような暴風雨に掻き消された。立っているのもやっとな風と叩き付けるような雨が、なまえを容赦なく襲う。最早傘も雨合羽も無力と化すような悪天候だった。
しかしなまえは悪天候も然る事乍ら、その奥にある存在に目を見開いた。豪雨で視界が霞む中、湖の奥に見えた赤い影と、吹き荒ぶ風の音を裂いて聞こえる哀しげな声に、考える暇なく腰に付けたボールに手をかける。
「ラプラス、お願い!」
赤い閃光から姿を現したラプラスは、多くを語らずとも状況を把握しているようだった。賢い彼女は悪天候に顔を顰めながら、なまえを乗せて慎重に湖の上を進む。
腕を額にかざして目を凝らすと、次第に大きく鮮明になる赤い影。激しい風雨を切り裂くように響く鳴き声は、"苦しい""悲しい"と訴えている。
なまえは伊達に年齢の半分以上を旅先で過ごし、それなりに色々なことに巻き込まれてきたわけではない。経験は知識に、知識は予測として今に繋がっていた。だから、目の前の赤いギャラドスが"どうしてこうなっているのか"も、凡そ検討がついてしまった。心の底から沸き上がる怒りに歯噛みしながら、眼前を見据える。
大切なのは優先順位だ。まずすべきことは、苦しむギャラドスを救うことだった。
「さいみんじゅつ……は届かないか」
元々命中率の低い技を、この悪天候かつ安定しない水上で混乱し暴れている標的に当てるのは至難の技だ。
目の前の赤いギャラドスは、恐らくレベルとしては然程高くはない。多少の攻撃であれば、なまえの手持ちきっての耐久型であるラプラスの痛手にはならないだろう。
とは言え我を失って暴れるギャラドスは時折自分自身にも攻撃しているのも含め、多少手荒でも早く決着を付けなければならないだろう。
「ちょっと加減が難しいけ……ど!」
水には電気。トレーナーの基礎知識を頭の中で復唱し、なまえは紅白のボールを一つ、ギャラドスへ放った。薄暗い視界に眩い光と共に現れたデンリュウが、ギャラドスの背にしっかりとしがみつく。
「デンリュウ、そのまま"かみなり"!気持ち弱めに!」
無茶苦茶な指示を、しかしデンリュウは慣れた様子で頷く。デンリュウはギャラドスにしがみついたまま天を仰ぎ見、パリパリと電気を纏う。
次の瞬間、分厚い雲から放たれた稲妻がギャラドスを襲った。普段より"気持ち弱めなかみなり"は、それでも四倍弱点のギャラドスにしてみればたまったものではないだろう。あれほど暴れていた巨体が静止し、ぐらりと傾く。
なまえは片手でデンリュウをボールに戻すと同時に、もう片方の手で空のハイパーボールを投げた。投げられた球体は一度ギャラドスの背に当たり跳ね返り、何倍もの大きさのギャラドスを吸い込んだ。
ボールが湖に落ちないようにラプラスを真下に移動させ、なまえはまだチカチカと点滅するボールを捕まえる。暫しの間点滅と微かな揺れを伴ったそれは、やがて静かに動きを潜めた。
なまえは張り詰めていた緊張を吐き出すように大きく息を吐くと、掌に収まったボールを見て、ポツリと呟いた。
「赤いギャラドス、ゲットだぜ」
(170731)