鼻を刺すツンとした匂いと、忙しい足音。そして、誰かが私を呼ぶ声。


「…、……!……名前…!」

薄い視界の中いっぱいに広がるのは、銀髪の男性。何かを必死に言っているみたいだが、酷く歪む世界のなかで聞き取れない。あぁこの人知ってる…。けど…、誰だろう…?少し視界が晴れたところで、その人が泣いていることに気付く。

「………泣い、てる…」
「……お前が、生きていてくれたから、かな。」
「…」

どういう、意味だろう。分からないまま、医師と看護師のような人が集まってきた。…どうやらここは病院らしい。私はなんでここにいるのだろう…?あ、そういえば友達と飲んでて…酔っ払って、車に轢かれたんだったっけか…

でも目の前にいる男性はその友達ではない。知ってると思うのだけれど、誰だか分からないのだ。例えるならもやが掛かっていて分からない感じ。

「名前、気分はどう?…大丈夫?」
「……大丈夫、です…。…あの」
「ん?」
「あなたは…?」

その言葉に、酷く悲しい顔をした彼がそこにいた。その表情に、胸の奥がチクリとなることが不思議で仕方なかった。…なぜか知っている痛みだったから。その後彼はやさしく微笑んで、はたけカカシです。と言ってくれた。…ペンネームだろうか?日本人離れがすごすぎる。だって髪銀色だよ。

***

お手洗いからなかなか出て来ない名前に、異変を感じたのは血の匂い。ドアを壊して突入すれば、手首を切った彼女がそこにいた。…理解ができなくて、一瞬動作が止まった。その瞬間酷い鈍痛がして、意識を失いかけた。

「―……?」

―――そう思っていたのは、俺だけだったらしい。次に目が覚めると、病院にいた。看護師によると、あのまま倒れていたらしい。すぐに血塗れの彼女を思い出して、名前は、と聞けば隣の病室にいるという。慌てて足を運ぶと、出血が多かったが一命は取り留めたようだ。だが目を覚ました彼女は俺を覚えていなかった。

「重度の記憶障害、ですね…。木の葉で生まれたことも全て、お忘れになっています」
「……戻り、ますよね?」
「………断定はできないですが……。」

名前は木の葉で生まれて、歳はかなり違うが幼なじみのように育った仲だ。忍ではないが、家が近所だからかよく顔を合わせていた。多分、戦争で両親を亡くしているせいもある。なんとなく俺は名前の保護者のようだった。昔に好きだと言われたこともあって、その時はもちろん断った。けれどあいつを見守る視線が変わったきっかけだったと今なら思う。

「はたけさん、いつもお土産の量が多すぎますって」
「ハハハ。いいじゃない多い分には」
「まだこんなにあるのに!」

何度か病室に通って、やっと名字で呼んでくれるようになった。それでも名字。いつもは名前で、もちろん敬語もなかった。…それでも。お前が生きていてくれたら、それでいい。なんであの時手首を切ったのか、それを俺から聞ける勇気はなかった。医師から聞いた話によれば、それも覚えていないそうだった。…きっとそれでいい。

「あ、シュークリーム…」
「名前好きでしょ?」
「はい…バレてました?」
「そりゃね。あんな美味しそうに食べるから」
「恥ずかし…」

小さく笑う姿は、やはり可愛い。周りからシスコンと言われようがどうでもいい。記憶が全てなくたって、名前は名前だ。この子を守ることが、俺の使命だったのだと。だから今まで独身だったのか、と納得さえできた。…ただたまに、何か重要なことを忘れている気がした。それはもう、思い出せないほど深い所にいるのだが。

「明日、退院だね」
「あ、そうでしたっけ。やったー嬉しいな」
「ごめんね、任務で夜遅くまで帰れないから立ち会いできないんだ。」
「え?全然気にしないで下さい。私の家…までの地図、書いてくれたじゃないですか」
「……それ、なんだけどさ。」
「?」
「…一緒に住まない?」

左手に握っていたそれは無駄に冷たい。息を飲んで、机の上に鍵を置いた。名前は目を点にしている。

「………はい?」
「そもそも一緒に住んでたようなもんでしょ?」
「……え、っとですね…ごめんなさい覚えてなくって」
「知ってる。だから、一緒にこれから思い出増やしていこうよ」
「………えっと、それは」

その先を言わせないように、ぐしゃぐしゃと彼女の頭を撫でた。ちょっと!と怒る姿が微笑ましい。ちょっと顔が赤いから、きっと嫌じゃないはずだ…よな?こんな歳になって外堀から埋めていくことになろうとは、俺もまだまだだな。

「て、ことで。明日の退院何時?来るから。」
「い…いやいやいや待って話の流れ早い!!え!?拒否権…「なーし。」
「ええええうそ!?え、いや願ってもない話ですけど」
「そ?ならいいじゃない。で、何時よ」
「じゅ、11時…」
「ん、じゃあ迎えに来るね」
「あ、はい…。ってそういえば任務あるってさっき!!?」
「アハハ」

元気な名前が久しぶりに見れて幸せだ。ある意味。…そんな感じで、これからよそよそしさなんて捨ててしまえばいい。そりゃ昔の記憶は少し思い出して欲しいところもあるが、逆にない方が俺的にはいいかもしれない。そしたらこんなおじさんでも、もしかしたら、。

「じゃあ任務行ってくるね。」
「あ…行ってらっしゃい」
「ん?寂しい?」
「ち、違います!!」
「ハハハ。素直でかわいーね名前は」
「…!!」

こんな幸せの形だって、あっていいと思った。