部長の暇潰し
「僕の目の前で、母さんは死にました。傷一つなかった滑らかな肌に幾つも紅い花を咲かせて、母さんは死にました。首を切って死にました。腹を裂いて死にました。心の臓を抉って死にました。四肢をもいで死にました。果てして、母さんはどうやって死んだのでしょう? 本当は薬を飲んで眠るように死んだのかもしれません。首を縄で括って天井から釣り下がっていたのかもしれません。屋上から飛び降りてぐちゃりと潰れてしまったのかもしれません。車に撥ねられて五体も何もかもが全てばらばらになって死んでしまったのかもしれません。どのようにして母さんが死んだのか、ぼくは知りません。ですが、僕は言います。僕の目の前で、母さんは死にました」
まるで何かに書かれた文章を読み上げるかのように訥々とその少年は言った。小学生の朗読の方がまだ感情が込められているだろう。そう思ったところで、皇は愉しげな色を宿した瞳を少年に向けるだけで、口を開く様子はない。
「もしかしたら、父さんが母さんを殺したのかもしれません。もしかしたら、兄さんが母さんを殺したのかもしれません。もしかしたら、姉さんが母さんを殺したのかもしれません。もしかしたら、僕が母さんを殺したのかもしれません。でも、わかりません。ぼくに父さんはいたのでしょうか? ぼくに兄さんはいたのでしょうか? ぼくに姉さんはいたのでしょうか? ああ、そうですよね。ぼくに、母さんは、いたのでしょうか?」
「親がいなければ、子は産まれないんじゃないかい?」
笑みすら含む皇の声に、少年は顔を上げる。薄暗い中に差し込む僅かな光でもわかるほどに、彼は美しい顔をしていた。成る程、あの子好みの顔だと彼は内心で呟いてみる。
「……かあさんはきっと、ボクを産んでなんていませんよ?」
「それはそうだろうね。あの子に君を産むことなんでできやしない。君を宿すことだって不可能だ」
呆れたような言葉とは裏腹に彼の声音は弾みを隠していない。少年は瞬きを一つした。
皇が少年に対して特別な興味を抱くことはなく、少年が彼を認識することはない。彼にとって少年は、自分の知る少女が拾ってきた生きた人間であると言うこと以上の意味を持たない。また、少年にとっても彼は、ただそこに存在しているだけの何か以上の意味を持たないのである。しかし、そのような二人であっても顔を合わせ、視線を交わらせれば、言葉を交わす。すぐに忘れてしまうような意味も理由も意義も何もないものであっても、会話をするのだ。たとえそれが、少女を待つ間の暇潰しにも満たない戯言であっても。
少年が音を発する為に浅く息を吸い込む。しかし、それは外に吐き出されることなく、少年の肺へと飲み込まれた。
「見付けた。もう、人の人形を勝手に持ち出すなんて酷いわ」
暗闇の中に現れた第三者は、子供特有の高く甘ったるい口調で彼に話しかける。彼は声の主へと視線を向けて、ちらりと少年を窺った。
「ごめんごめん。でも、俺に人形遊びをする趣味はないよ」
「そうだったかしら」
少年はぴくりとも動かない。睫毛が揺れることもない。呼吸をしているはずなのに、少年から生きている人間らしさを感じられることはなかった。当然、少年が人形になってしまったわけでもなければ、突然屍になってしまったわけでもない。それでも少年は、生きている気配を微塵も感じさせなかった。
「健気だよねぇ」
暗闇へと消えていく彼の言葉は、誰にも届かない。
その空間には少女と、生きた人形だけが、存在し続けていた。
18/02/21
back