血塗れの柘榴
お腹が空いたからご飯を食べる。それだけの話だと枢は考えている。枢にとって、自分の抱えるそれはたいしたものではない。自分の好む食べ物が、普通の人間とは違う。たったそれだけのことなのだ。もっとも、彼女の場合は、その対象となる食べ物が倫理や道徳に反するものではあるのだが、彼女は気にしない。食べなくては死んでしまう。だから、食べる。食欲という本能に従うことのなにが悪いというのか。生きとし生けるものが共通に行為ではないか。それをしているだけで咎められる謂れはないはずである。
「おなかすいたあ」
校舎から少し歩いた所にある公園。多くの人が行き交う姿を眺めながら、枢はベンチに座っていた。左目には医療用の眼帯が付けられており、右側の袖が不自然に揺れていた。ひらひらと風に煽られ、ときおり中に空気が入り込んで膨らむ袖に、中身はないのだろう。その欠陥に、奇異の視線を向ける人間はいない。仮にいたとして、彼女はさして気にしなかっただろう。枢がこのような身体になったのは何も最近の話でない。そのため、物珍しそうな視線にも慣れている。
ぐぅ、と可愛らしい音を鳴らす腹を左手で擦り、力なく背凭れに体を預ける。空腹と太陽の光で眩暈が起きそうだ。少しの空気でも腹にいれたいのか、吐き出しそうになった吐息を飲み込んだ。背凭れに体を預け、空を見上げるような体勢を取ると、枢は目を閉じた。
耐え難い空腹に枢の口から情けない声が漏れる。言葉にもならない小さな呻き声は、雑踏の中では誰の耳にも届かない。必死に食事以外のことを考えようとしている枢本人にすら、その声は届いていないかもしれなかった。再度、お腹が空腹を訴える音を鳴らし、枢は深く息を吐き出して、その隻眼を緩やかに開いた。そして、徐に立ち上がると、焦点の定まらない虚ろな瞳を揺らして、覚束ない足取りで歩き出した。
◆
枢の欲する食べ物は、人だった。自分と同じ人間である。故に、彼女はこの社会で肩身の狭い思いをしていたと言えるだろう。人が人を殺すという行為は犯罪であり、法に裁かれてしまう。許されざる行為なのだ。ましてや、その死体を食べるなどと、死者への冒涜だと罵られようとも仕方のないことだろう。人を食べるなどということは、周りには受け入れられがたいことなのだ。
しかし、枢から言わせてもらえば、周りの人たちが豚や牛などの家畜を殺して食べることと、自分が殺して人を喰らうことの何が違うというのかがわからない。同じ人間だから罪だというのだろうか。牛も豚も鳥も魚も、人間と同じ命を持った生き物じゃないのか。命を奪って生きていくのが、生き物ではないのだろうか。同じ姿をし、思考をし、言葉を喋り、社会というコミュニティでコミュニケーションを取りながら生きていく“人”という存在だから、食べることが罪だと言われたところで、枢には到底理解できない。同じだ。命を奪い、食料として咀嚼して嚥下し、消化したそれらを生命エネルギーとして取り入れるという行為という面においては、同じであるべきだ。
枢にこの社会で生きていく上での常識を教えた少年は、枢が口にした不満を聞くと困ったように笑った。枢が抱く疑問は当然のことなのかもしれない。しかし、人を殺してはいけないというルールが存在しているのがこの世なのである。人を殺せば罰せられる。殺人犯というレッテルを貼られる。枢にとってはただの食事であっても、他からすれば許されざる行為でしかない。それを、彼女が理解するのは難しいのかもしれない。
「人間は人間を食べない。それが、誰もが持つ理解なんだ」
「わたしは食べるよ?」
「だから君は日陰者だろう?」
「ただ、わたしのご飯が人ってだけなのになあ」
枢は己を異常だと思ったことはない。生まれたときから人を食べて生きていたわけじゃないが、自然と人の肉を好んで食べるようになったということにおいて、彼女は単純に味覚の変化だと認識している。そして、その考えは決して間違ってはいない。それが一般的に受け入れられる食べ物であれば、の話にはなるのだが。
ぼんやりとしたように呟く彼女がここで生きていくのは過酷だろう。青年はそう思うも、それを口にすることはなくふわりと枢の頭を撫でた。
「君は生きていく上で必ず殺人という行為をするだろう。だけど、大丈夫。此処に、君を咎める人はいないよ」
◆
滅多に人の訪れることのない廃れた倉庫の中に、枢はいた。ドラム缶の上に腰をおろし、落ち着いたようにそっと息を吐き出す。
枢の足元には赤い色が広がり、彼女の衣服にもそれらがべったりとこびりついていた。しかし、その液体を全身に渡らせていたはずの肉塊はどこにも見られない。
「ご馳走様でした」
満足気な枢の言葉だけが、倉庫の空気を揺らした。
18/02/21
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