偶像崇拝の対象→少女
貧しい生活。弟のやせ細った体を懸命に抱いて生きてきた日々。明日が来ることは奇跡で、当たり前ではなかった。毎晩、いるかもわからない神様に祈っていた。どうか、明日が来ますようにと。明日が来て、目を覚ました先で、弟が変わらずに笑ってくれますようにと。今日を生きることに必死だった毎日から抜け出すことができたのは、学園長先生がわたしたちを学園に招いてくれたから。あのとき、あの瞬間の出会いが、わたしを救った。
だから、わたしは彼を許すことはできない。認めることもできない。わたしを救ってくれた楽園を貶めようとする彼を、わたしは許容するわけにはいかないのだ。
「マリア様!」
「マリア様がいらしたわ」
「聞いてください、マリア様。ユダがまた問題を…!」
学園の中で騒ぎが起こっていると聞いて駆け付けると、人だかりの外側にいた生徒たちが口々にわたしを示す呼称を口にする。そして、自然と避けられた人の隙間を縫って中心に向かう最中で、擦れ違う生徒たちが事のあらましを説明してくれた。
騒ぎの首謀者はわたしの予想を外すことはなく、何度注意しても直らない問題行動に頭が痛くなる。首謀者たる彼、問題児であることを揶揄されユダと呼ばれるその少年は、わたしのひとつ上の先輩だ。
輪の中心にわたしが到達すると、その中央にいたせんぱいがわたしに気が付いてにっこりと笑う。こうなることがわかっていたとばかりの表情に思わず眉間に皺が寄るが、多くの生徒が集まる場所でそんなしかめっ面なんてできない。すぐに深呼吸をひとつして、改めてせんぱいを見遣った。
せんぱいの手に握られているのは、バトンのような筒状のもの。その先から垂れているのは紐かロープ、だろうか。そして、反対の手にはライター。
「……由汰、あなたは何度問題を起こすつもりなの?」
「さあな。何度でも起こすんじゃねーの?」
「マリア様になんて口の利き方!」
「これだから、ユダは…!」
「落ち着いて。いいわ、みんな、ありがとう。あとはわたしが話すから、みんなは授業に戻ってちょうだい?」
わたしに反論したせんぱいにすかさず生徒たちの咎めるような声が飛んだ。せんぱいはそれを気にした様子もなく笑みを浮かべている。反省の色なんて微塵もない。仮に、そのような色が浮かぶのであればこう何度も問題なんて起こさないのだろうけれど。
生徒たちになるべく優しい口調で告げると、彼らは心配そうな瞳を向けて次々と己の行くべき教室へ戻っていった。ひとり、ふたりと減っていく。そうすれば、自然とそこに残るのは私とせんぱいの二人だけだ。
「マリア様は相変わらずの影響力をお持ちなようで」
厭味ったらしい物言いがわたしの背中に投げられた。振り向くとせんぱいは至極詰まらなそうな顔をして、持っていたライターと筒状の何かを乱雑に、ビニール袋に放り入れていた。
「何をするつもりだったの。それ、」
「マリア様には知らなくていいことですよ。しかし、お前の信者はどこにいるかわかったもんじゃねーな」
「信者なんて言い方はよして。全員、あなたの行動が目に余るだけよ」
「……どうだかな」
「あ、ちょっと…!」
「お前も授業に戻った方がいいんじゃねーの?生徒たちの見本となるマリア様なんだから」
せんぱいは呼び止めるわたしの声を無視して、教室のある棟とは反対の方へ歩き去ってしまった。彼が持っていたものがなんだったのか、その目的がどういうものだったのか聞けずじまいだ。
本当は追い掛けて聞いたらいいのかもしれない。去っていく背中を見送らず、駆け寄ったなら、彼の腕を掴んで引き止めることだってできるはずだ。
だけど、わたしがそうできないのは、
「マリちゃん、何してるの?」
思考を遮るように話し掛けられ、わたしははっと顔をあげる。不思議そうな瞳でわたしを見つめる彼女に何でもないと微笑んで、わたしは考えることをやめた。
学園を害する彼について、考えたってどうしようもない。だって、彼はここが大嫌いだから、こういった問題を起こすのだ。学園に救われたわたしとは正反対。理解する必要なんて、ない。
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