女神様をみてる、あの子をみてる
write : 2016.11.06
宜野座執行官と分析官と女神さまとやら
「朱ちゃんって、かぁわいそう」
少しの酔いに蕩けて甘さを感じさせる声は、此の部屋にはよく響いた。親父が遺したものだと茶化して進めた酒をいつものように何の躊躇もなく口にした彼女は、泥酔した様子はなくとも普段よりか多少気分が良さそうな顔色をしている。ワンピース1枚というとんでもない薄着で男の部屋のソファの腕置きに撓垂れ掛かっているのだから、若い男であったならひと堪りもないだろう。よく自分の部屋に訪れては親父の酒を共に減らしていく女に、今更女の色を見ることはないのだが。
「お前、可哀想という言葉は嫌いだと昔言ってなかったか」
「宜野座さん、よく憶えてるねえ。それってもう何年か前じゃない?」
「さあな。というか、お前も憶えてるんじゃないか。同じことだろ」
「いやあ、宜野座さんと若さが違うから……宜野座さん、最近でもまた一気に老けましたしねえ……」
「誰がおっさんだ」
「誰もそこまでは言ってませんし」
からからと愉快を隠さず笑う彼女に、我に返ればまた彼女の軽口に乗せられていたことに気付く。彼女との付き合いはもう五年以上にはなるが、恐らく歳下であろう彼女の口に勝てたことは一度としてない。潜在犯に落ちて多少は渡り合えるようになったが、それでも気付けば彼女のペースに乗せられているのが常だった。
大人びていながら若々しく愛嬌のある、その顔には見合わないクエルド・エスペシャルを嗜んで塩を舐めた彼女は、腕置きに預けていた頭を起こすとそこで頬杖をつく。手持ち無沙汰でライムを摘んでいる姿は色があって、しかし自分がそれに情欲を抱くかと問われればやはり否。多少下世話な自分の目に気付いていようにも、彼女は気にした風もなく口を開いた。
「朱ちゃんは、女神サマなの。迷える子羊たちを魅了して惹き付けてしまう、女神サマ。ある意味では魔性かもね」
「っ、ふっ……常守が、魔性?あの仕事人間で色気のない、常守が?」
「へーえ、宜野座さんってば、笑っちゃうんだあ」
彼女の的外れな言葉に思わず吹き出せば、じとりと細めた目で嫌味たらしく返される。それに一度出た笑いを収められずにいれば、彼女は呆れたように息を吐くと些か興が冷めたように起こしていた頭をまた腕置きに預けた。そして絞ったライムの果汁を飲むと、体の力を限りなく抜いて此方を見据える。
「1番顕著な例は、鹿矛囲桐斗かな。あれは朱ちゃんに対して根底では酷く神聖を抱いていたように思うよ。全ての人々がクリアな世界。それを目指した鹿矛囲にとって、人や社会の闇と直面しながらも美しい色相を保つ朱ちゃんはマリア様にも等しかっただろうね。聞いた?軍用ドローン工場での事件の時、鹿矛囲が朱ちゃんに言った音声データ。裁きを見届けて欲しい、だってさ。一人の人間相手に、馬鹿みたいだよね」
「苗字?」
「東金朔夜、あれもそうだった。元々あれには絶対的な神的存在がいたんだろうね。そして朱ちゃんは、それに限りなく近い要素を持っていた。だから彼は朱ちゃんに異様な執着を持っていたんだよ」
「苗字、止めろ。色相が濁るぞ」
普段と声色は変わらないのに、その声に抑揚はなく淡々と語り続ける。その目が据わっていることに気付けば、彼女の色相の悪化と犯罪係数が上昇しているのは明らかだった。
少し強めに名を呼んで止めれば、彼女はすぐにかえってくる。流れるように自分で手持ちの色相チェッカーを起動すると、その結果を見て自嘲なのか乾いた笑みを浮かべた。
「あちゃぁ、ブルー・カナール……宜野座さんありがとう」
「まったくお前は……。いつも思考の一点集中はよせと言っているだろう」
「はい、ごめんなさい。宜野座先生」
「お前は……」
茶化すような答え方をするがそれでいて深く反省しているのは知っている。だからこそ強く突かず言葉を濁せば、今度は彼女が物言いたげに此方を見上げた。それに黙って視線を通わせれば、彼女はでも、とやけにゆっくりと口を開いた。
「宜野座さんはさあ……本当に、朱ちゃんを、常守朱を女神様だと思わないの?」
老成をを感じさせる声で紡がれる。その中には先程のような茶化しも下世話な興味も見て取れなくて、彼女がその言葉に何を抱いているのかなど皆目見当もつかなかった。
「わたし、可哀想という言葉が嫌いって前も言ったと思うけどさあ……今のわたしはそれを忘れた訳でも違える訳でもなく純粋に正気でそして悪意を以て、常守朱を可哀想だ、と言うよ」
いつだって愛嬌があろうと歪んでいようと笑みを絶やすことのない彼女の、本当に稀な無の表情。吐き捨てるように口から零されたその”悪意”が常守に対してではないことなど、一目一声で明らかだった。
睨んでいるようにも見える鋭い光が差す瞳は、真っ直ぐに此方を向いている。テキーラ・ショットを持つ指の爪は隠していても幾つか皸や割れが見えた。それを支える手首の細さは増し、元々雪のような白さだった顔色はそれを通り越しチークでも誤魔化せず青白い。それでも彼女は気丈を崩さず告げた。
「朱ちゃんの消耗は激しい。勝手な神聖化なんかで、あの子を限界に追い詰めないで」
もう限界なのは、お前だろうに。その美しい気丈さが可愛想で何も言わないでいる俺は、酷い男だろうか。