なけなしの愛でよければ
write : 2017.10.21
幾つもの前世を記憶する女とキャスターの距離感
カルデアに設置されている喫煙室というのは、少し凝った造りをしている。小さな人口庭園の中央に広々とスペースを設けられた、無色透明、ガラスの箱。恐らく、ストレスに対するリラックス効果を狙ったのだろう。煙たいその部屋は、鮮やかな緑の中に鎮座する。
その少し凝った造りの喫煙室は、私がカルデア内でよく訪れる場所の三本指には入っている所だった。
愛用する煙草を咥えて火を点けながら、かの魔術王に人理を焼却された頃のことを思い出す。
あの時はカルデア以外の現在が全部なくなってしまったものだから、初期の頃は食料の調達にそれはそれは苦労した。そして食料を得るのが難しかったのだから、当然のことに趣向品でしかない煙草の調達がされるわけもない。二進も三進もいかない状況の中で私たち喫煙者は元々ストックしてあった分を仲良く少しずつ崩し、しばらくの間はひもじい減煙生活を強いられたものだ。
喫煙所に落ち着いてまず頭に浮かぶことが毎回これであるのは、最早癖なのだろう。それ程までに人理修復に関しての記憶は濃く深く、この私の意識にも刻み込まれているのだ。
「おっ、なんだ、先客かい」
何か考えるでもなく呆けていたところに、突如として声が割り込んでくる。
それまでに一切気配など感じなかったが、その声の主を目にしたところでいつもの如く当然か、と納得した。振り返るまでもなく事実として、私が今までもこの人の気配に気付たことなんてありはしない。
「どうも、キャスターさん」
「おう。相変わらずだな、嬢ちゃん」
杖を持たずマントも羽織っていないだいぶラフな格好をしたキャスタークラスのクー・フーリンが、紅玉を持つ目を親しげに細めてゆったりとこちらに向かってくる。
ランサーの彼と違って結われていない青い髪を足取りで揺らす彼は、私と同じくこの喫煙室の常連であるサーヴァントだった。
私しか居なかった喫煙室には空いている場所など幾らでもあるのだが、キャスターさんは迷いなく私の方へと足を運んで遠慮も何もなく隣に腰を下ろす。そのまま慣れたように煙草を咥えると、大袈裟なアクションを起こすでもなくごく自然に、煙草の先を私の方に向けて少しだけ顔を寄せてきた。
この人は、どうにもパーソナルスペースが平均よりも狭い。毎度のことながら、そう強く思わせる。
知的さが増しているらしいキャスターの彼であっても、元々の性格としてこの人は欲には中々忠実だ。気儘なところも多く、誠実な男ではあるが奔放な部分が多分にあることは否定できないだろう。
そんな彼がこの仕草を私に向けてくることは初めてではないしむしろほぼ毎回のことなのだが、なんとなしに親密さを感じさせるこの遣り取りが実のところ、私は少し苦手なのだった。
「ん。……んん」
「はいはい、只今」
黙っていても雰囲気のある男から遂には流し目で促され、元から根比べをする気もなかった私は彼の煙草の先に人差し指を近付ける。
"feuer"そう呟けば魔術回路に記憶された経路が反応して、指先に小さな火が灯った。自分の魔力の性質からか青く揺らめいている火は差し出された煙草の先だけを燃やし、他の物質に移っても尚その色を保っている。
しっかりと火が点いたことを確認してから指先の火を消せば、寄せていた顔を離した彼はしっかりと煙を吸って、長く吐くと満足そうに目を細めた。
「本当、いつも言ってますけど、もの好きですよね」
「否定はしねえな。ま、いつも言ってるが、酒だとかセックスだとかそういうモンと同じようにコレだって女にしてもらうと更にうまいって話だよ」
「立香ちゃんも大変だ」
「マスターは魔術はからっきしだからなあ……コレに関しちゃあ、アンタが一番だぜ?」
「メイヴさんに殺されるんで誤解を招くような言い方は遠慮願いたいですね」
「おっとそりゃすまん。アイツならやりかねんな」
悪戯に軽く絡んでくるキャスターさんに同じように軽く返しながら、私も吸いかけだった煙草に口を付ける。
ゆっくりと深く吸って味をしっかり感じてから長く吐いて、増えていた先に増えていた灰を軽く叩いて灰皿に落とした。なにやらキャスターさんからの視線を感じるが、何か言おうとするような様子はないので特に反応を返すことなく煙をふかす。
なんとなくで吸って吐いてを繰り返していれば、吸いかけのそれはすぐに短くなってしまった。
「なあ嬢ちゃん」
「はい?なんですか」
「お前さん、確かマスターとそこまで歳は離れてないって言ってたよな?幾つだ?」
「何故今更そんな質問が出てくるんですかね……どうかしました?」
「問いを問いで返すのはなっちゃいないぜ?だが……まあ、御尤もな疑問だわな。付き合いも短くはねえし」
「はあ」
「単純に、ただの興味だ。それ以外の意味はねえよ」
次の煙草を手に取った途端の問い掛けに、そこにある真意はなんとなくだけれど察せられる。
自分の指に挟まれたまだ火の点いていない煙草を一度だけ目に留めて、それから間を置くこともなく私は答えた。
「今年で20歳ですよ」
「問い返しする割にはあっさり答えんだな?」
「はい、隠してませんからね」
私が躊躇わず答えたことに拍子抜けしたのか、キャスターさんはやや勢い良くツッコミを入れてくる。それに対して当然だと頷きながら、私は煙草を咥えて先程と同じように火を点けた。そんな私の様子をよく見ていたキャスターさんの表情は呆れているのか、それとも面白がっているのか、私にはよくわからない。けれどそこに良心的な非難の色はなく、それがない限りは私にとって彼の表情の真意はそう気になるところではなかった。
ふと、頭に浮かんだ。
そういえば、私はいつから煙草を吸っているのだろうか。
それを少し考えてから、すぐに私はその疑問がとてもあやふやであることに思い至る。
いつからの【いつ】がまず【どれ】を指しているのか、それすらもわからない。
今世の今までを一本の筋として記憶しているかといえば、それは否。所々に無意識のまま【前】のものが組み込まれていることも珍しくはないし、私も自分の記憶に絶対の自信はなかった。別のところに意識を向けていながらも滞りなく煙草を吸う動作ができているのだから、今の体でもそれなりに長く吸っているのだろう。産まれる度に体は別物になるのだから、行動や言動はともかくとして、前まで体が憶えていた癖なんかは絶えることなく続いたりはしない。
意識の記憶をアテにするよりも体の記憶の方が事実を語ると理解したのは、一体いつのことだっただろうか。……なんて。
「嬢ちゃん」
何故だかきつい声で自身を呼ばれて、不意に視界が開ける。
自分の肩が跳ねていたことに気付いて、おかげでいつの間にやら思考に沈んでいたのだと察することができた。
私を呼び戻した声の主に目を向ければ───紅い瞳がこちらを見下ろして、いる。
「すみません、キャスターさん。ぼんやりしてました」
「嬢ちゃん。お前さんは、俺が他所で何て呼ばれてるか……知ってるか?」
咄嗟に謝罪を入れたが、どうしてだか、彼はほとんど被せるようにまったく脈絡のない言葉を返した。些か困惑す私を他所に、キャスターさんはテーブルに肘をつくと顔も体もこちらへ向けてしっかりと紅い視線を注いでくる。
「光の御子、ですよね」
「おう、そうだ。俺の親父は太陽神ルー、つまり俺は半分とはいえ神の血を引いてる、ってことだな」
「はい、それは知ってますけども」
「まあ、つまりだな。あー、なんつーか……俺も一応半神だからな、純人間よりもみえたり感じたりするとこがあんだよ」
「……そう、ですか」
「お嬢ちゃん、お前さんさっき───何を考えていた?」
陰りのない、裏も打算もない、澄んだ問いかけだ。
その問いから薄らと漂う緊張感に畏怖するよりも先に、私はそんな根拠のない確信を抱いた。いつもの軽妙な姿をすっかり潜めてしまった彼からの視線は、驚く程真摯に私を貫いている。
キャスタークラスのクー・フーリン。彼との付き合いは長いのか短いのか、マスターではなく人類最後のマスターのサポート役でしかない私には、よくわからない。けれど、立香ちゃんやマシュちゃんと共に冬木に飛ばされた時から、明確な関係性がなくても現在まで縁が続いているのは確かなことだった。
私は彼のマスターではないし、彼と同じサーヴァントでもない。私は立香ちゃんのサポーターであって、サーヴァントである彼のサポーターではないし、私たちは本当に、ただ英雄様と一職員でしかない。互いに唯一でもない、一年近くだけレイシフトを共にしている、喫煙室での束の間の話し相手。それだけだ。
けれど、それだけでも彼が私を自身の庇護下に入れる者として認識していることはなんとなく、わかっていた。
改めて意識的に煙草を吸って、吐く。黙って私の返事を待ちながら、キャスターさんも同じように煙草を吸って、吐いた。
「自分がいつから煙草を吸い始めたのか、思い出そうとしていたんです」
「へえ。そんで、いつからだったんだ?」
「わかりませんでした。でも確か、3年前には始めていたような気がします」
「3年ってお前さん、マスターよりもちっこい時点でか?」
「意外、ですかね?」
「そりゃ大いに意外だな、不良娘さんよ?」
さっきとは違い、今度は正真正銘呆れの表情だった。キャスターさんの目元がやわらいで、どうしようもない子でも見るような色が一瞬だけ浮かんで、消える。
そういえば、この人も過去に子どもがいた父親なのだったとふと思った。彼はその存在を生涯知りはしなかったそうだが、若い色男の姿をしていてもやはり彼は過去に生きて座に迎えられた英雄なのだ。多くの記憶も記録も持つ彼は、どうしたって普通の人間とは存在が異なっている。
そんなことを考えていれば、不意にキャスターさんの手が私に向って伸びてきた。突然のことに軽く肩が跳ね、私の顔に迫った男性の手に距離を取ろうと咄嗟に身を引く。けれど気付いたのが遅かったらしく、サーヴァントの動きに勝てるはずもなかった私は当然のように彼に捕まった。
キャスターさんの手はしっかりと私の顎を掴んでいて、一瞬で体に大きく震えが走る。その震えを感じただろうに顔色を一切変えないキャスターさんは、今度はもう片方の手を伸ばしてくると私の口から煙草を引き抜く。
そして代わりに突っ込まれた甘いものに拍子抜けして呆けた頃には、既に彼の両手は何事もなかったかのようにすっかり離されていた。
「あまい」
「ガキンチョ共が配り歩いてたんでな。お前さんも食いな」
口の中で、甘いものが歯にあたってはカラコロと音を立てる。
煙草でスモーキーになっていた中に放り込まれた甘さは、変に混ざり合ってお世辞にも美味しいとは言えない。キャスターさんもその味を知っているのか、彼は奪った煙草を魔術で燃やしてみせると悪戯に笑った。
そしてまた、いつもの軽妙さで告ぐ。
「ま、本質なんざ気にしちゃいねえがよ。お前さん、もうちょいと能天気のツラはしといた方がいいぜ?タチが悪がのに捕まったら、そりゃあもう厄介だからな」
クー・フーリンという英雄が冷酷極まりない側面を持つことは、勿論知っている。それでも彼の全てが冷酷だなんていうことは勿論なく、その反面の甘さや誠実さや優しさは"自分の気に入りの者(みうち)"に与えられるということも、私は知っていた。
私がそれを向けられるなど、擽ったいにも程がある。けれどどれだけ突き返したって、彼がその対象に私がいるということを覆すことはない。いつの間にか経験済みだし、学習済みなのは少し悔しいところだった。
「そうですね。気を付けておきます」
何やら愉しそうにこちらを見てくる彼は、私の煙草は奪って燃やしたというのに2本目を咥え始めている。早速忠告(アドバイス)に従うことに決めた私は、人差し指の腹上に小さく火を灯して自分から彼に近寄った。
「点けて差し上げますね、キャスターさん」
大袈裟なくらいに笑って小さく首を傾ければ、キャスターさんは一瞬きょとりと間の抜けた顔をする。そしてそれからすぐに好戦的に笑うと、先程よりもぐっと顔を寄せて煙草の先を差し出したのだった。
「上出来だぜ、お嬢さん」
そりゃあどうも、ありがとう!