□ □ □


 小さな子供のような、自制心のない嫉妬だというのは自分でもわかっていた。そんな感情を何の罪もない彼女に抱いている自分がどうしようもなく醜いもののように思えて、腹の底から込み上げてくる吐き気を抑えることは出来なかった。





 晴れて2年生に進級した春、星月学園には女子生徒がたった1人だけ入学してきた。名前は、夜久月子ちゃん。腰まである亜麻色の艶やかな髪に、同じ色をしくるりとまあるい大きな瞳。瞼はぱっちりとした二重で、睫毛も長くボリュームがあって可愛らしく上を向いている。肌は健康的に白く、吹き出物ひとつですらない、赤ん坊のようなすべらかさだ。スタイルも抜群に良くて、細くきれいなくびれにすらりとした脚はお洒落な制服を見事に着こなしていた。
 月子ちゃんは、とても素直ないい子だ。周りを元気にするような明るさがあり、周りを癒す優しさがあり、彼女の表情ひとつで周りを一喜一憂させるような魅力と、影響力がある。彼女はこの1ヶ月であっという間に学園のマドンナとして祭り上げられ、多くの男子生徒の憧れの対象となった。同じ女子生徒ということで彼女はわたしにもよく話しかけてくれるし、きっと仲は良いのだと思う。非の打ち所がない程に可愛らしくて素敵な彼女と出会えたことが、わたしは嬉しくて誇らしかった。そう、誇らしかった―――はずだった。

『月子の淹れる茶はまずくってなあ。もう半月も経つのにまったく上達しないんだぜ。可笑しいだろ!』

 一樹の口から、彼女の名前が語られることが多くなった。馬鹿にするようなことを言いながらも一樹の表情はとてもあたたかく緩んでいて、重くて冷たい大きな鉛を飲み込んでしまったかのように重く苦しくなった。

『夜久さんがね、弓道部に入部してくれたんだよ。彼女の射形、初心者とは思えないくらいとっても綺麗なんだ』

 誉の口から、彼女の名前が語られることが多くなった。いつも落ち着いていて大人びている誉がそのときは子供のように瞳を輝かせていて、胃のあたりがぎりぎりと酸っぱく絞め上げられるようだった。
 一度意識してしまえば、もう駄目だ。月子が、月子が、夜久さんが、夜久さんが。彼らが彼女の名前を呼んでいるのばかりがやけに耳について、ぎりぎりと胸が、胃が、喚くように悲鳴を上げる。まるで2人が彼女に奪われてしまったようで、胸の奥からどろどろとしたものが滲んでくるのがわかった。2人がわたしとの縁を切った訳ではない。ただ、今まで全てわたしのものだった2人の庇護が平等に彼女にも向かっただけのこと。それでもわたしは、身勝手なことにそれに嫉妬を燃やしているのだった。
 そもそも、一樹と誉はわたしのものではないのだから、2人が誰にどんな感情を向けようとそれは彼らの自由だ。だというのに、わたしはそれを否定して彼女へと感情を向けた彼らに苦しんでいる。それだけでも、自分が嫌で仕方がなかった。2人はわたしを親しい友人として大切にしてくれているというのに、自分勝手に嫉妬している自分がとても恥ずかしかった。
 それに何より、わたしは何の罪もない彼女に、月子ちゃんに、理不尽な嫉妬心を向けているのだ。今まで散々自分が理不尽なことをされて苦しんできたというのに、わたしは理不尽を振りかざす側の人間になってしまった。何もしていないというのに嫉妬を向けられる月子ちゃんに、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 自室の布団の中で丸くなっていれば、ごちゃごちゃに絡まった感情に次から次からぼろぼろと涙が溢れてくる。嫉妬していることが申し訳ない。嫉妬している自分に吐き気がする。2人が離れて行ってしまうようで、寂しい。つらい。苦しい。喉に何かがつっかえているようで、泣き喚くことも嗚咽を漏らすことも出来ず、ただただ苦しいだけだった。

「可愛い可愛いみつるちゃあん、オレにそのお顔を見せて頂戴なっ」

 びくり、突然頭上から聞こえてきた声に、驚いて肩が跳ねる。この声は、でも、此処、わたしの部屋だし、鍵掛かってるのに、なんで。突然のことで混乱して返事を返せないわたしに、その声の主はくひひ、と特徴的な笑い声を上げると、応えてくれなきゃお布団剥いじゃうよん、と告げた。これは本気だ、あいつなら絶対にやる。そう確信したわたしは布団を強く握り込むと、恐る恐る口を開いた。

「おう、しろう……なんで、ここに」
「おっ、やっと応えてくれたねえ。なんでってそりゃあ、俺たちのお姫様が泣いてる予感がしたからさ!」
「……おふざけとか、今求めてない」
「わあお、みつるちゃんの辛辣さはこんなときでも健在なんだねえ、ちょっと安心したよ。で、おふざけなしで言うと、最近みつるちゃんなんか可笑しかったから心配で、ちょっと様子見に。インターホン出てくれないから寮母さんに頼んで鍵借りちゃった」

 桜士郎の言葉に、いつの間にか止まっていたらしい涙が不覚にもまた零れそうになった。桜士郎、わたしが可笑しいこと、気付いてたんだ。皆の前ではちゃんと今まで通りに振る舞えている自信があった。現に一樹だって誉だって気付いていなかったし、保健室へ行くのも控えていたから琥太先生にも気付かれていない。だというのに、桜士郎はちゃんと、わたしの異変に気付いてくれていたんだ。それがわかると、現金なわたしは強張っていた体の力が抜けてぐったりしてしまった。
 桜士郎が彼女のことを周りの男子生徒たちのようには見ていないということは、わたしも知っていた。彼が彼女の名前を自ら口にするのは決まって新聞部関連のときであったし、彼女に人並み以上の興味はあったものの一樹たち程感情を向けている様子は見られなかった。一樹と誉が彼女の元へ行っていていないときは、決まって桜士郎が傍に居てくれたと、今になって気付く。桜士郎はまだ、わたしの手をしっかりと両手で掴んでくれている人だった。

「ねえみつるちゃん、顔を上げて?このままじゃ俺の心配は解消されないよぉ?」

 いつものふざけたような口調だけれど、その声は気遣うようにとてもやわらかく、優しい。その声に誘われるままそろりと布団から顔を出せば、ゴーグルを外していた桜士郎が鋭い瞳の眦をゆるく下げて笑っていた。そっと両手を掴まれて、少し強引に体を引っ張り起こされる。その勢いと反動でぐらりと体が傾けば、わたしはぽすんと温かいぬくもりに包まれていた。
 目元で揺れる青のリボンタイ。頬を擽る真っ赤な髪。大きな手にゆっくりと背中を撫ぜられてやっと、桜士郎の腕の中にいると気付く。そうすればわたしは、縋るようにその背に腕を回していた。

「お、しろ……っ!」
「よしよし、頑張ったねえ、みつるちゃん。もう大丈夫だよ」
「お、しろ、も、やだ……っ、やだよお……!」
「うんうん、そうだね、やだねえ。もーなんで一樹も誉ちゃんも気付かないのかねえ。自分の大事なお姫様がこんなになっちゃってるっていうのに」

 桜士郎の体温と落ち着く匂いに、張り詰めていた気が緩んでぶわりと涙が溢れてくる。今度はちゃんと嗚咽も出てきてくれて、久しぶりにやっと息が据えたかのような気がした。ゆっくりとあやすように背中を撫ぜる手が心地良くて、喉の奥でつっかえていたものがぼろぼろと吐き出されていくようだった。

「さみ、しい……っ、かず、き、と、ほまれ、が、はなれて、いっちゃう」
「2人共最近はマドンナちゃんのことよく気にかけてたもんねえ。寂しかったよねえ」
「さみ、し、だけじゃ、ない、の……っ、つきこちゃ、の、せいだって、わた、わたし、しっとしてた……!」
「うん、うん、取られちゃったような気分になっちゃったんだよねえ。そりゃあ嫉妬もするよ」
「わた、し、わがまま、だから……っ!かずき、も、ほまれも、わたしのじゃ、ない、のに……っ」
「勝手に独占欲を抱いちゃってる自分が嫌なんだねえ、みつるちゃんは。ほんとに優しいねえ、キミって子は。あの2人なら、みつるちゃんに独占されてもむしろ喜ぶだろうに」
「ううう、おーしろぉ……!」
「はあい、よーしよし」



♂ ♀ ♂ ♀



 ぎゅう、と力強く抱きついてくるみつるちゃんに、俺も応えるようにぽんぽんと背中を撫ぜてやる。この子は、深く考え過ぎなのだ。みつるちゃんがこんなに泣きじゃくっているのなんて俺は初めて見たし、それが一樹や誉ちゃんを想ってのことだというのだから、俺だって2人が羨ましいと思うし嫉妬してしまう。嫉妬なんて、そんなレベルの話だ。それを生真面目に考えてぼろぼろになっていくみつるちゃんの姿は痛々しくて、健気で、それどいてどうにも可愛らしくて、愛らしかった。

「うううおうしろうだいすき……おうしろうは離れていかないでね」
「あったりまえだよー?俺のお姫様は、いつだって変わらずみつるちゃんだからねえ」

 俺の胸に顔を埋めてくぐもった声で告げるみつるちゃんに、自分の顔がだらしなく緩んでいるのがわかってしまう。
 一樹も誉ちゃんも、大馬鹿さんだねえ。あの子が入学したばかりのときのみつるちゃんに被って見えるからって、そんなに気にかけるから。しばらくみつるちゃんはずっと俺にくっ付いてると思うけど、お前たちの自業自得だからな。……ナーンチャッテ。

きらびやかな嫉妬、爪を磨いて

ALICE+