白の葬列

白いドレスに身を包んだ彼女は、「今だから言える話なんだけどね、」と前置きをしたうえで、俺の目をまっすぐに見つめて口を開いた。

「私ね、昔観音坂くんのこと好きだったんだ」
「…は、」

ほとんど無意識のうちに吐息のような声が零れ落ちた。
告げられた言葉を頭の中で反芻し、かみ砕き、漸く意味を理解したころにはもう何を言っても不自然に感じてしまうような間が空いてしまって、結局何も言えずに口を閉じる。
そんな俺の様子に彼女は悲しそうに眉を下げて、「ごめん、いきなりこんなこと言われても困るよね」とつぶやいた。
――それはそうだ、そんなこと、今ここで告白されて、俺にどうしろっていうんだ。こんな、晴れの場で。隣には、彼女と同じように白い衣装に身を包み、同級生と談笑している男が座っているというのに。なにを今更。
衝動にままにそう告げれば彼女は傷つくだろう。もしかしたら泣いてしまうかもしれない。
そうすれば、それを見咎めた誰かが俺を攻撃する。俺はこの会場の人間全員に軽蔑され、非難され、そうして会場をたたき出される。
そんなことは想像するまでもない、大人としてTPOをわきまえた振る舞いを。
ぐらり、と沸き上がった思いを飲み下し、俺はハゲ課長から散々陰気くさいとダメだしされた下手くそな笑顔を顔に貼り付けて、首を振った。

「いや、俺こそ悪い。突然でビックリしただけだから、気にしないでくれ」
「そっか、それなら良かった…困らせたいわけじゃなかったから」

ふっ、と彼女が安心したように顔を緩ませた。その表情が、学生時代に何度と見たそれと重なって、十数年の内に忘れたふりをして奥底に押し込めたはずの感情がついうっかり顔を出しそうになる。だからやめろ、出てくるな、お前はもうお呼びじゃないんだ。

「観音坂くんは覚えてるか分かんないけど、ほら、委員会が一緒になったことあったでしょ」

勿論覚えてる、当然だ。彼女を意識するようになる切欠だったんだから。

「私、それまで男子って騒がしくて少し苦手だったんだけど、観音坂くんはそんなことなくて、落ち着いてて、委員会の仕事も面倒がらずにきちんとやってて、そういうの、すごく良いなって思ってた」

それは俺もだ。当時から暗くて、一二三ぐらいしか友人が居なくて、当たり前みたいに俺を気味悪がって必要以上に近寄ろうとしない女子たちの中で、彼女だけは違っていた。最初は挨拶や事務的な会話だけだったのが、打ち解けるうちに世間話もするようになって、彼女が俺に笑いかけてくれたことが、俺にとってどれだけ幸福な時間だったか。

「それで、観音坂くんのこと意識するようになって、でも当時は告白なんて恥ずかしくて絶対無理!って思ってて。当時の関係を壊すのも恐くて、結局何もいえないまま卒業しちゃって、すごく後悔したんだ。どんな結果になったとしてもきちんと伝えておけば良かった、って」

長年溜め込んだものを全ての吐き出すように、一気にそう言い切った彼女はそれはそれは晴れ晴れとした顔をしている。それをみて、これはもう彼女のなかでは終わった話なのだということを悟った。たった今抉られた俺の傷は、未だにだらだらと血を流しているというのに。

「…そ、うだったのか……俺、鈍いから、そんなの全然気がつかなくて…」
「ううん…気づかれてなかったから、自然に話せたのもあると思うの。いや、確かに、私の気持ちに気づいてよってやきもきしたこともあったけど…」
「でも、それで良かったのかもな。それで、こんな良い人と結婚できたんだか。…もしその時なんかの手違いで俺みたいなのと付き合うことになってたら、きっと、かなり苦労してただろうし……俺、知ってると思うけど、暗くて地味で陰気で、仕事も全然で、本当に結婚相手には向かないようなダメな奴だからさ」

平常心を装おうために癖のように染み付いた自虐を吐くと、彼女は真剣な眼差しで俺を見つめて、大きく首を振った。

「そんなことない!観音坂くんの良い所、私はいっぱい知ってる。だから、いつかきっと素敵な人に出会って、幸せになれるよ…!」

でもそれはお前じゃないんだろ。だったら何も意味がないんだ。

「俺のことそんな風に言うのお前ぐらいだ、でも、ありがとう」薄っぺらな感謝を舌に乗せると、俺の内心なんて知る由もない彼女は幸せそうに笑った。


そのあとはどうやって過ごしたのか、あまり覚えていない。自分の席に戻って、なんとかやり過ごしたんだろう。
体質上こういった場に出るわけにはいかない一二三(勿論こいつは俺の片思い歴を知っている)から出かける前に「独歩ちん…大丈夫?」と問われ、「まあ精々、お前の代わりに滅多に食えないような美味い料理でも食ってくる」と強がって嘯いた手前、出された食事を残すことだけはなけなしのプライドが許さなかった。
そのおかげで目の前の皿は空になったが、何を食べたのか、どんな味だったのかといったデティールは全く思い出せない。
いつの間にか披露宴は終盤になっていたようで、彼女とその相手の男が式場のスタッフに促され椅子から立ち上がった。
周りから拍手が起きて、その中を、仲睦ましく腕を組んだ二人が歩いていく。
俺も周りに合わせて、両手を打ち鳴らす。ああ、この姿、まるでタンバリンを鳴らす猿の玩具に似ているな。全くもって、今の俺にはお似合いの間抜けな姿だ。
俺と目があって、彼女が小さく手を振った。それに振り返すことはできず、ただひたすら馬鹿みたいにぱちぱちと音を鳴らす行為を繰り返す。最低な気分だ。


引き出物の入った紙袋は、俺の気持ちをあらわすかのようにずしりと重たい。家の最寄り駅まではなんとかそれを持って帰って、駅を出る前にゴミ箱に放り込んだ。中身は確認していないけれど、幸せの象徴みたいなそれをとてもじゃないが家にまで持ち込む気にはなれなかった。
今でもなお、あの時の彼女の言葉が耳を離れない。
好きだった、なんて。そんなあっさりとした過去形の一言で語れてしまうほどに、俺が彼女につけた傷は浅かったのか。たった十数年で癒えてしまうほどに、些細なものしか彼女の心には残せなかったのか。こんなことならもっともっと、俺のように深くもて余すほどの傷を彼女につけてやればよかったのか。そうすれば何か変わっていたのか。例えば今日、彼女の告白を聞いたときに、俺もそうだったと伝えていれれば、あるいは。
そんなもしもの話をどれほど考えたところで、現実は変わらない。昔も今も、俺は彼女を傷つけることを恐れてなにもできなかった臆病者なのだから。
今日この日、俺の初恋は他ならぬ彼女の手によって丹念に葬られた。あの華やかな会場でただ一人俺だけが、葬式に参列していたんだ。
道化のようにそれを受け入れていた今日の自分を思い返すとあまりの滑稽さに吐き気が催してくる。
ぐ、と胃がせりあがる感覚に従って、俺は道の端へふらふらと移動するとそのまま中身を吐き出した。
恐らく端正込めて作られた、美しかったであろう料理の数々が、みるも無惨な姿で地面に撒き散らかされる。
何人かが、そんな俺の様子を遠巻きに眺め、その場を足早に立ち去っていった。
繁華街から外れているとはいえ、夜シンジュクで吐いている奴なんて珍しくもないから当然だ。
どんな面倒事を抱えているかもわからない他人になんて、関わらない方が良いに決まっている。そんな都会の無関心さが、今は俺を更に惨めな気持ちにさせた。
ああ、早く帰って眠ってしまいたい。そしてそのまま目覚めなければ良いのに。

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