番外4 一郎と椎茸

机の上で、画面を下にして伏せていたスマホのランプがちかちかと小さく明滅し着信を告げた。
この短さはきっとメールかメッセージか。電話ではないから緊急の要件ではないだろうけれど、退屈な講義の最中に、これを確認しない理由はない。
すり鉢状の講義室で、一番下にいる講師には私たちの手元は見えるわけがないとわかっていても、音をたてないようにそっとスマホを裏返す。
メッセージアプリの通知とともに画面に表示されていたのは一郎のアイコンで、こんな時間に連絡が来るなんて珍しいなと思った。
確か今日は仕事だと言っていた気がするけれど、今は休憩時間なんだろうか。
画面をタップしてアプリを起動すると、直ぐに表示された一郎とのトーク画面には「突然だけど、このうちでどこか空いていないか?」という言葉とともに、いくつかの日付に丸印と時間帯が書き込まれたカレンダーの画像が貼り付けられていた。
一度メッセージアプリを閉じて、スケジュールを開いて確認する。講義もバイトも入っていない日程があったのでそこにスタンプを押して、「こことここなら空いてるよ」と返事した。
私の返信を待っていたのか、秒で既読が付いたと思えば、1分もかからずに返事が来る。

「なら、この日。2時間ぐらい付き合ってもらいたいんだけど、大丈夫か?」

私がスタンプを押した日付の一つにさらに上からスタンプが押されている。

「勿論いいよ!」
「サンキュ、助かるぜ!詳しくは今日の夜話す」
「わかった」

私が一郎に頼み事をすることは多いが、一郎から頼まれごとをされるのは珍しい。
一体なんの用事だろう。見当はつかないけれど今までさんざんお世話になっている一郎の役にたてるのならそれは嬉しいことだなと思いつつ、私は再び講義に意識を戻した。


――そして当日。
一郎に連れられて私がやってきたのはイケブクロの中心街にあるカフェで、アニメコラボカフェ開催中というのぼりが風に吹かれてはためいていた。
コラボカフェ、というものの存在は知っていたけれど実際に訪れるのは初めてで、物珍しさからキョロキョロと辺りを見回してしまう私とは対称的に、一郎は慣れた様子で店員さんに「2時の回で予約してる山田です」と声をかけている。

「山田様ですね、それではこちらの席になります」
「行くぜ」
「あ、うん」

店員さんの先導で店内を歩く。そこかしこにキャラクターのパネルが置いてあったり、壁にイラストが飾ってあったりと、一般的なカフェとは随分違う内装は見ていて飽きることがなく、他のお客さんたちもみんなこの場所を楽しんでいるような笑顔を浮かべていて、こちらも思わず頬が緩んだ。

「こういうところ初めて来るんだけど、すごく凝ってるんだね…!」
「ここのカフェはコラボに結構力入れてるので有名なんだよ。前やってた作品もクオリティ高かったしな」
「へぇ、そうなんだ」

自分のことのように自慢げな一郎の様子に笑みを返しながら、店員さんが案内してくれた席に着く。
ふう、と一息ついてから一郎が口を開いた。

「それにしても、マジで助かったぜ。どうしてもこのメニューのノベルティが欲しくてな」

そう言いながら見せてくれたメニューには『実家からの愛の仕送り〜どデカ椎茸ステーキ〜』という文字とともに大きな椎茸がドンと中央に乗せられたプレートの写真が写っている。

「俺が今推してるアニメなんだけどな、主人公の実家がシイタケ農家なんだよ」
「主人公の実家がシイタケ農家」

私はあまりアニメに詳しくはないけれど、それは結構…いやかなり珍しい設定なんじゃないだろうか。
思わずオウム返しを繰り返した私に、一郎は大まじめに頷く。

「で、色々あって凹んでる主人公のところに仕送りが届いて、それで元気を取り戻すっていうシーンがあって、そこで主人公が作るのがこれなんだよ」
「それを再現したメニューってこと?」
「だな」

とんとん、とメニューの写真を指で叩いて一郎が答える。席に備え付けられてあった注文票を取り出すと、そのメニューの名前の横の空欄に1と数字を書き込んだ。

「で、他には良いのか?デザートとかもいろいろあるぜ」
「うーん、写真見る限り結構ボリュームあるみたいだし、これだけでお腹いっぱいかも」
「了解。まあ、追加注文もできるからいけそうだったらなんでも頼めよ。ドリンクはどうする?」
「えっと…ウーロン茶で」

コラボドリンクと書かれている方ではなく、ソフトドリンクのメニューを見て選んだ私に、一郎が顔を上げた。

「いいのか?これとか好きなんじゃねえか?」
一郎が示したのはホイップの乗ったアイスココアで、確かに一郎の指摘通りそういうものは好物なのだけれど、如何せんお腹のキャパシティには限界があるのでメインを食べ終わっていないこの状況では気軽に頼みづらい。あと普通に一般的なカフェの値段よりも高いので手を出しづらい。

「今日は奢りだからって、遠慮すんなよ?」
「うーん…とりあえずご飯食べてから考える」
「そうか。じゃ俺はこれとこれとこれで…すんません!注文いいすか」

一郎が店員さんを呼び止めて、注文票を渡した。

「ドリンク2杯も頼むの?」
「ノベルティがあるからな。後で追加もするぜ」
「すごいなあ…」

普段の食事量から知ってはいたけれど、やはり食べる量が半端ない。
一郎は「これぐらい普通だろ?」というが、残念ながら私は男子の普通を知らないので驚くばかりである。
注文した料理が届くまでの時間が少し手持無沙汰で、私は一郎からメニューを借りてそれをぱらぱらと眺めながら、「それにしても」と口を開いた。

「一郎、椎茸苦手だったんだねぇ」
「あー…まあちょっとな…。二郎や三郎には言うなよ?」
「言いふらしたりはしないけど…別に秘密にしなくてもいいんじゃない?」
「いや、あいつらに情けねぇ姿は見せたくねぇからな」

そういうものだろうか。別に好き嫌いくらいは誰にだってあるものでは…と思って提案してみたが、一郎は首を振ってきっぱりと言い切った。男の意地というものだろうか、なんて考えていたら一郎はバツが悪そうに苦笑して頬を書きながら口を開く。

「っつーか、あいつらに今までさんざん好き嫌いすんな大きくなれねぇぞって言ってきた手前、椎茸が苦手とは言い出しにくいだろ」
「あはは、なにそれ一郎そんなことも言ってたの?」
「俺にはあいつらをしっかり育てる義務があるからな」

胸を張る一郎には悪いが、その場面を想像すると微笑ましくて笑えてしまう。

「えー、じゃあ一郎今まで椎茸料理は作ってこなかったってこと?」
「まあ、そうなるな」
「椎茸だって多分栄養あるから成長には良いんだよ?」
「俺はもう十分成長してるからいいんだよ」

弟たちに注意する傍らでしっかりと自分の苦手は回避しているというのだから、なんとも強かな話である。
「ずるいなあ」とこぼすと「作るやつの特権だろ」と返された。確かにそれはそうなので、そこには頷いておく。
私も、リクエストされるならまだしも自分から苦手なものを食卓に上げたりはしないのでお互い様だ。

「まあ内緒にするのはいいけど、他にも苦手なものがあるなら教えておいてほしいな。嫌いなもの作りたくって無理に食べさせたくはないし」

山田家の食卓を預かる身の立場からそう言わせてもらうと、一郎は私の言葉に神妙な顔で頷いた。

「わかってる。次からはきちんと言うぜ。っつっても俺はこれ以外は特に嫌いなものはないんだけどな」
「ふーん、じゃあ二郎君と三郎くんは?」
「あいつらか?あー…二郎は梅干しが嫌いだな。態度でわかる。けど三郎はなぁ…隠すんだよなぁ…」
「そうなんだ?じゃあ今度本人に聞いてみよ」
「三郎が素直に答えるか…?」
「そこはほら、私のスペシャルトーク術でなんとか」
「そんなの持ってたのか?初耳だぜ」
「今から技を磨くんだよ」

そんな話をしていると、店員さんが私たちの注文した料理を持ってきた。「こちらノベルティになります」と渡されたポストカードはそのまま流れるように一郎へ渡す。

「よっしゃ…!これが欲しかったんだよ…!」
「よかったね」
「ああ、これもお前のおかげだぜ。まじでありがとよ!」
「どういたしまして!」

大事そうにファイルに挟んでポストカードを鞄にしまう一郎の笑顔に私も笑みを返す。こんなことで一郎が喜んでくれるなら、お安い御用だ。

「さて、じゃあ冷める前に食べようぜ」
「うん、美味しそうだね」

ほかほかと湯気を立てる料理を前に、私と一郎は視線だけで合図を交わす。いつものようにそろって両手を合わせ、小さく声をそろえた。

「「いただきます!」」

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