扉の向こうから、声がくぐもって聞こえる。
そこに耳を押し付けた依織は、悔しげに舌打ちした。
「聞こえねぇ…」
扉の向こうは従姉の自室がある。
勿論、好き好んで彼女の部屋をこうして盗聴しようとしている訳ではない。
そうと言うのも、その理由は依織の従兄たちにあった。
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「姉さんと有兄さんの電話の内容が知りたい?」
─事の原因は二日前。
従兄二人にいきなり呼び出された依織は、学校帰りにそれに応じて、商店街のファーストフード店に赴いていた。
正面の席に座った従兄の片割れは、疲れた表情で顔をしかめた依織に頷く。
「いや、まぁ…理由はそいつに聞いてくれ」
ぶっちゃけ俺も分かってないから、とぐったりした様子の和樹は、依織の隣に腰かけて先程からだんまりを決め込んでいる良樹を指差した。
「よ、良兄さ…お兄ちゃん?」律儀に言い直して、依織は内心ビクビクしながら良樹を見上げた。
ゆっくりとこちらに目を向けた良樹と目が合う。
「…依織の上目遣い」
「盗聴の動機をお願いします」
ぼそりと呟いてにじり寄ってきた良樹から勢い良く後退り、依織はピシャリと言った。
青い顔で威嚇する彼女に肩を竦めて、良樹はゆっくりとテーブルに頬杖をつく。
「…僕の予想では、姉さんと有人さんの結婚まで秒読みになっていると思うんだ」
「はぁ…」
良樹の意図することが分からないまま、依織はコーラを飲みながら首を傾げた。
和樹も眉根を寄せ、だから何だと言うような顔をしている。
「だからね…結婚式のサプライズとして、有人さんが姉さんに囁いた愛の言葉括弧笑いの数々を、式の最中にダイジェストで流してあげたいなって」
「ただの公開処刑じゃねーか」
物憂げな声音で言った良樹に、すっぱりと和樹が突っ込んだ。
しかし良樹は「何で?」と不思議そうに言い返す。
「結婚式には多少のネタ要素もあった方が良いと思うんだけどな?」
「ネタって言っちゃってるじゃないですか」
流石の依織もドン引きだ。
良樹は爽やかに、それでいて真っ黒な微笑を浮かべて小首を傾げる。
「でも、気にはなるだろ?あのポーカーフェイスな有人さんが、普段どんなことを姉さんと話しているのか」
「それは…」
全く気にならない、わけではない。
依織と和樹は顔を見合わせた。
自分達がまだ小さい頃、鬼道はサッカー部の仲間数名と一緒に彼らの家に来ることがよくあった。それは部活の作戦会議であったり勉強会であったり、はたまた当時保育園に通っていた依織を可愛がるためだったりと理由は様々だが、何せ八年は前のこと。鬼道と姉、ないし従姉がどんな会話をしていたかは、詳しく覚えていない。
─どうしよう。
二人は視線で会話する。
そこで和樹がハッと声を上げた。
「待て、良樹。そんな公開処刑したら、有人義兄さんどころか姉ちゃんまで恥ずかしい目に逢うだろ」
「良いじゃないか。ウェディングドレス姿で恥じらう姉さんもきっと素敵だよ」
にっこり。動じる様子もなく笑った良樹に、二人はゾワッと背中を粟立たせる。
良樹はそのまま顔に濃い影を落として、笑みを深くした。
「だからさ、依織。─手伝ってくれるよね?」
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「…………」
依織は扉に張り付いたまま、脳内に甦った良樹の笑顔(そう称するのもおこがましい)を叩き出す。
仕方なく彼に頷いたものの、やはりこうしてみると中々無謀な計画だ。扉越しでは電話越しの声は勿論、従姉の声すらよく聞こえない。
これは盗聴器でもない限り会話を聞くのは到底無理なのでは、と思ったその矢先である。
「っうわ」
ぶぶぶ、とポケットに入れた携帯が突然振動して、依織は小さく声を上げた。
マナーモードで良かった。そんなことを思いながら携帯を取り出すと、良樹からメールが来ている。
受信フォルダを開いた依織は、思わず眉を寄せた。
─玄関に出ておいで。
タイトルもなくただ本文に一文だけ書かれたメールに、依織は首を傾げる。
家の前まで来ているのか。だが、だとしても何故。
考えてもあの良樹のことだ。きっと予想外のことをしでかすつもりに違いない。
逆らう気力も沸かず、依織は仕方なく玄関へ向かった。
「─やぁ、依織」
玄関の扉を開けると、門の側で双子が佇んでいる。
良樹は相変わらず笑顔で、和樹は顔色が悪い。依織は首を傾げて二人に近寄った。
「何ですか、二人して…」
「やっぱり君一人に任せるのは荷が重いと思ってね。手伝いに来たんだ」
言うと、良樹は右手にぶら下げた紙袋を持ち上げて見せる。
何ですか、それ─言い掛けた依織を、和樹が手で制す。
「聞くな、聞かないでくれ。今後のためにも」
「………はい」
切羽詰まった表情の和樹に、依織は大人しく頷いた。
気にはなるが、彼がここまで言うなら聞かない方が良いのだろう。
「依織、姉さんは?」
「あ、部屋にいます…丁度有兄さんと電話中です」
なら好都合。にっこり笑って言った良樹は、「おじゃまします」と小声で家の中へ入る。
顔を見合わせ、依織と和樹も急いでそれに続いた。
「ここだね」
教えてもいないのに良樹は足早に姉の自室前へ辿り着くと、紙袋の中から小さなパラボラアンテナのようなものを取り出す。
不思議そうに目をしばたいた依織に、良樹は更にイヤホンを差し出した。
「はい、これつけて」
「はぁ…」
左半分。イヤホンを良樹と共有することに若干嫌な気持ちになりながら、依織はそれを受け取り耳にはめる。
和樹はこちらの様子を気にしながらも、おっかなびっくり扉を見つめていた。
ガガガ、ザー、とノイズが数秒。
良樹が紙袋の中にある何かを操作すると、耳に流れる音が鮮明になっていく。
始めにハッキリと聞き取れたのは、鬼道の穏やかな声だった。
『─風邪を引いたと聞いていたが…大丈夫なのか?』
『ええ、平気ですよ』
依織は驚いて良樹を見た。彼は得意気に微笑んでいるが、彼女が「マジもんの盗聴器持ってきやがったこの鬼畜」と言う意味を持って視線を向けていることに、彼は気付こうともしないだろう。
『お前は昔から何でも溜め込むタチだからな…あまり無理はするなよ』
『その言葉、そっくりそのままお返しします』
自分だって倒れたことがあるくせに、と楽しげにコロコロ笑う声がする。
従姉は依織といるとき、あくまで親戚のお姉さんであり保護者だ。あんな風に、少女のように笑うことはめったにない。
依織にとってそれは少し寂しくもあり、同時にそれを独占する鬼道が羨ましくもあった。
『まぁ、平気なら良いんだ。キツいなんて言ったら、心配で仕事が手につかなくなる』
『…また、そんなこと言って…もう』
からかいを含んだ言葉に、従姉の声が少し拗ねたとも照れたとも取れる声に変わる。
「はい、のろけ頂きました〜」にんまり笑った良樹が、小声で呟いた。
『だが、───』
その時だ。
突然それまでクリアだった音が遠くなり、ノイズが戻ってくる。従姉の声も聞こえない。
「あれ?おかしいな」良樹が首を傾げて紙袋を漁るのと、部屋のドアノブが回るのはほぼ同時だった。
「…有人さんがね、盗聴されてる電波反応があるって」
油が切れたかのように軋んだ音を立てて開いた扉の隙間から、笑顔の従姉が顔を出す。
しかし、彼らは知っていた。
その笑顔の裏に、隠しきれていない怒りがあることを、文字通り痛いほどに。
「それで、主犯はだぁれ?」
サッ、と一秒の間も空けず、二人の人差し指が良樹を指した。
ちょっと二人とも!と顔を真っ青にした良樹にお構いなしに、彼女は部屋から一歩踏み出す。
「よ・し・き」
ふわりと、柔らかな腕が彼の背中へ回された。
姉からの愛ある抱擁─に見えるのは、その一瞬だけである。
─ごきゅん。
「ごふ…ッ」
廊下に響いたのは、関節が悲鳴を上げる音と、良樹の短い断末魔。
床に倒れてヒクヒクと痙攣する良樹に、和樹は十字を切り依織は内心「良兄さんざまぁ」と呟く。
「二人とも。今後は一切良樹のいけない企みには参加しないこと。良い?」
「イエスマム!!」
ピシャリと言った彼女に、二人は軍人のような俊敏さで姿勢を正して敬礼した。