「や、京介。依織ちゃんもいらっしゃい」


白い部屋で、穏やかな笑みを浮かべ小首を傾げたのは優一である。
そんな兄に一言短く返して、剣城は背後で依織が「こんちわ」と小さく挨拶するのを聞いた。

優一はどうも彼女を気に入ってしまったようで、一人で見舞いに来た時に「今日は一緒じゃないのか?」と至極残念そうな顔で言われてしまったのは記憶に新しい。
剣城は内心微妙かつ複雑な気持ちだった。

どうせ太陽の見舞いにも行かなきゃだし─とあっさり頷いた依織の気持ちは分からない。
彼女も優一を気に入ったのか、はたまた実は嫌々なのか。どちらにせよ、兄のあの残念そうな顔を見た剣城からすると依織に拒否権は無いも等しかったわけではあるが。


「そうだ─依織ちゃん、お願いしてた写真、あるかい?」

「ええ。ありますよ」


今日の依織はどこか上機嫌である。
うっすら嫌な予感を覚えながら、「写真?」と剣城は鞄のジッパーを引いた彼女をちらりと見た。


「決まってんだろ、サッカー部の写真だよ。主にお前のな」

「ッはあ?」


思わず出た大きな声に、「こら、病院だぞ」と優一が口に指を添える仕草をする。
ばつが悪くなって唇を真一文字に結んだ間に、依織は写真が入っているであろう封筒をニヤニヤとこちらを脇見しながら優一に手渡した。

嬉しそうに封筒を受け取った優一の指が、するりと写真を数枚取り出す。
出てきたのは、黄色いユニフォームを着た剣城を写した写真だった。


「こんなもん、いつの間に…」

「茜さんだよ。あの人部活中は大体シャッター切ってるから」


そう言えば練習中はよく視界にフラッシュがちらついていた気がする。
今度からなるべくフレームインしないようにしよう、と剣城は密かに心に決めた。


「でも兄さん、何で写真なんか…」

「だって京介、しつこく聞かないと学校でのことあまり話してくれないだろ?だから依織ちゃんにお願いしたんだよ」


なっ、と目を細めた優一に、依織はニヤニヤしながら「まぁそう言うことだ」と剣城の肩をポンと叩く。
その手をおざなりに払いのけてから、剣城は目一杯大きな溜め息を吐いた。


「…分かったよ。今度からちゃんと話すから、写真はやめてくれ」

「えー」

「兄さん」


その声音で弟が不機嫌になったのが分かったのだろう。
優一は肩を竦め、分かったよと頷いた。
しかし、写真を捲る手は止めない辺りが強かだ。


「それにしても、剣城ってばホントに笑わないのな。仏頂面ばっか」

「お前が言うか…」


優一の手元を覗き込んだ依織が溢すと、剣城はジト目になって彼女を睨んだ。
すると優一は、ふとちらりと依織を見てからニッコリ笑う。


「そうだなぁ…確かに依織ちゃんも、笑ってないな」

「えー、ちゃんと笑ってますって」

「まさかこれを笑顔って言うつもりか?」


剣城がつまみ上げたのは、丁度帝国戦の写真だった。
誰へ向けたものなのか、いつもの悪役のような笑顔に拍車が掛かった一枚である。


「それは、あー…お前、あれだよ。私の笑顔は一万ドルって言うか」

「さっきと言ってること違うぞ…」


凄まじい手のひら返しだった。
優一は弟たちのやりとりにクスクスと笑っている。


「確かにそのくらいの価値はあるかもな。依織ちゃん、笑うと可愛いから」

「ま、た優一さんはそんなこと言って…」


ぴたりとニヤニヤ笑いを止めた依織の顔が、苦虫を噛み潰したような何とも言えない表情になった。
どうも彼女はこの手の話題が苦手なようである。


「だって勿体ないじゃないか。女の子は笑ってた方がずっと良いと思うんだけどな」

「生憎と私は普通の女子とは違うもんで」


一見すると痛々しい台詞だが、事実だから仕方ない。
そう言えば兄さんは一回だけこいつの笑った顔を見たことがあったんだっけ─ふと剣城の中で煮え切らない感情が芽生えた。

先に出会ったのは自分なのに、一緒にいる時間が長いのも自分なのに。
端的に言えばそれはただの嫉妬だったが、彼自身がそれに気付くことも、気付いたとしても認めることはしないだろう。

その時ふいに、病室の扉を叩く音がした。


「優一くん、リハビリの時間だよ」

「あ、はい。─ごめんな二人とも、今日はここまでだ」


膝から掛け布団を退かしながら、優一は残念そうに言う。
「良いよ、気にしなくて」兄がベッドから出るのを手伝いながら剣城が答えると、その横で依織も頷いた。


「それじゃ、また明日」


優一を乗せた車椅子が、カラカラと音を立てながら病室を後にする。
一拍置き、立ち上がって優一を見送っていた依織はすとんと脱力したように椅子に腰を下ろした。


「お前のお兄さん、心臓に悪い!」

「…そうか?」


剣城からすると優一のあれはほとんどからかいだと分かるのだが、依織はそうも行かないらしい。
女子の気持ちは分からない、と剣城は小さく溜め息を吐いて自分も椅子に座り直す。

ふとそこで、ある考えが浮かんだ。


「…鷹栖。お前ちょっと笑ってみろ」

「あァ?」


とてつもなく柄の悪い声が返ってきた。
声とまんまの表情を浮かべ、依織はイッと歯を剥く。


「何で面白くもないのに笑わなきゃなんねーんだよ」

「可愛い≠だろ?笑うと」


自分でその言葉を言ってから、ゾッとした。慣れないことを言うもんじゃない、と体が拒否反応を起こしたのだろう。
しかし、目の前のクラスメートには効果抜群だったようで。


「ばっ…ばっ、ば、バッカじゃねーの!」


真っ赤な顔で罵声と共に、危うく鞄を顔面スイングされた。
頬を掠めたキーホルダーに内心肝を冷やしつつ、まだ余裕を保ったふりはやめない。
これまで散々からかわれてきた分を少しでも取り戻したいと、彼の意識はいつのまにか当初の目的と違う方向へ向かっていた。


「ほら、見せてみろよ一万ドルの笑顔」

「や、やめ…お前今すっげえ悪人面だからな、わかってんのか!?」

「お前に言われたくないっての」


「ううう」鞄で顔を隠しながら依織がこちらを睨んだが、頬が真っ赤になっているのでいつものような迫力はない。
段々面白くなってきて、剣城は更に彼女に詰め寄った。


「兄さんには見せれて、友達には見せれねーもんなのか?おい」

「お、お前こんな時ばっか…もおお!」


とうとう依織はベッドに突っ伏す。
辛うじて髪の間から見える赤い耳以外、彼女の表情を読み取る術はない。

からかい過ぎたか、と反省したその矢先、シーツの合間からくぐもった声が聞こえてきた。


「剣城のばーか!ヘンタイ!」

「てめえ誰が変態だ」


頭を小突いても依織は顔を上げない。
目一杯体を縮ませベッドに顔を埋める彼女を『可愛い』と一瞬思った自分に剣城が気が付いたのは、また別の話である。