「じゃーんけーん、ぽんっ!」
ある日の午後。
いつもの部活動の始まりは、じゃんけんでスタートした。週に一度の、買い出し係を決める勝負である。
「─じゃあ、今週の買い出しはお前たちに頼んだぞ」
パーを翻し、穏やかに言ったのは神童だ。
言われた側の二人、依織と剣城は固めたグーを見て溜め息を吐く。
「一発負けとか…」
「日頃の行いが悪いせいだな、お前は」
怠そうに呟いた依織に、倉間がケタケタと面白そうに笑った。
依織がそんな彼に突っ掛かっている間に、茜が部費が入ってるであろう封筒とメモを剣城に手渡す。
「今日のは多いから、結構重いかも…」
「…まぁ、大丈夫です」
ちらりと依織を横目に見て、剣城は頷く。
行ってらっしゃい、と天馬や葵に見送られ、二人は商店街へ繰り出した。
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「んー…腹減った」
「我慢しろ」
雷雷軒の赤い暖簾をひもじそうな目で見る依織に、剣城がぴしゃりと言う。
どうせ部活が終わったらすぐに何か食べるのだろう。剣城はこの数ヵ月で彼女の鞄にメロンパンが複数常備されてることを知っていた。
「わぁってるって。そんで、次は何?」
「あー…食器用と、洗濯用の洗剤」
二人の腕には既に一つずつ、大きなビニール袋がぶら下がっている。
「今週ホント重いもの多いな」溢した彼女に頷くと、依織は首を回して小さく欠伸をした。
「まっ、とりあえずちゃっちゃと終わらせて帰ッ…」
「…? どうした」
突然欠伸をしたままの丸い口で固まった依織に、剣城は首を傾げる。
次の瞬間、彼女の額からブワッと汗が吹き出した。
「!? おい─」
「剣城、回れ右だ」
真っ青になった依織が、突然剣城の空いた手を掴む。
何の説明もないまま、彼女は剣城の手を引き元来た道を全速力の競歩で戻り出した。
「おい、一体何だって言うんだ?」
「…私の従兄がいた」
だから何だ。剣城は思わずそう言いかけたが、普段ポーカーフェイスの彼女がここまで取り乱しているのだから何か問題があるのだろう。
「あっコラ」剣城は依織の制止を聞こえなかったふりをして、ちらりと後ろを振り向いた。
「(………笑顔で追ってきてる…!!)」
パッと見はどこにでもいそうなただの学生だ。しかし、彼の湛えた笑顔から並々ならぬ威圧感を感じる。
そして彼もまた走らず、歩いてこちらを追いかけているのだが、こちらは運動部が全速力であると言うのにまったく疲れを感じさせない笑顔で二人を追いかけているのだ。
「つーか、何で俺たちは追われてんだよ…!?」
「良兄さんは変た…病的に私のこと可愛がっててな…男子と二人で歩いてんの見られたらもう、殺られる」
「や!?」
「主にお前の体と私の精神が」
「どういうことだ!?」
どうもこうもない、と依織は歩きながら回りを忙しなく見回した。隠れる場所を探しているのだろう。
─何をどうされるかは知らないが、こうなったら逃げ切るしかない。
「…こっちだ」
「んぇっ?」
ぐん、と引かれる立場から引く立場へ。
剣城は依織を引っ張り、脇のゲームセンターへ飛び込んだ。
ゲームセンター内部はそのまま裏路地へ突っ切れる出入り口が存在する。 それを利用すれば何とか逃げ切れると踏んだのだが─
「ちょっ─封鎖されてんじゃねーか!」
この先工事中のため通り抜け禁止、と張り紙された出口の扉に依織が目を剥く。
後一分もすれば彼女の従兄も入ってくるだろう。詰んだか─思わず死(もしくはそれに近い何か)を覚悟したその時だ。
「おや鷹栖さん、こんなところで何をしているんですか?」
ふいに、スタッフルームから出てきた一人の青年が依織に向かって声を掛けた。
振り向いた彼女は天の助けとばかりに声を上げる。
「目金さん…ッ!お願いです理由は聞かず助けてください!変たっ…悪者に追われてるんです!」
悪者は飛躍しすぎなのでは。
剣城は一瞬そう思ったが、依織の表情は必死だ。目金と呼ばれた青年もそれを汲み取ったのか、何故か目を輝かせて頷いた。
「悪からの逃亡劇…成る程燃える展開ですね。ならば我らメガネハッカーズも協力しましょう!」
さぁこっちへ、と目金はゲームセンターの奥、プリクラコーナーの更に奥へ誘う。
そして彼は辺りに視線を走らせると、恐らくコスプレ専用であろう試着室の中へ二人を放り込んだ。
「ちょ、狭─」
「我慢してください、こう言うシチュエーションは狭いところに隠れるのが定石です。では、ご武運を!」
言うと目金はやや一方的に試着室の扉を二人を押し込む形で締め切る。
外からの光は上に20センチほど空いた隙間から差し込むだけもので、試着室の中はやや薄暗い。
「普通にスタッフルームに匿ってもらおうと思ったのに…!」
ぎゅうぎゅうと寿司詰めの状態で、恨めしそうに依織が呟く。
狭いし暗いし暑いし、─その上近い。
「(くそぅ…何だよこの状況!)」
「(近い…!!)」
最早近いと言う表現も生温い。完全に密着状態だ。
─やけにドキドキするのは、追われている恐怖からだと言い聞かせる。お互いに、赤くなった自分の頬を感じつつ。
やりばの無い熱をどこへ逃がすか考え始めた、その時だった。
「おかしいなぁ…確かにゲーセンに入るとこは見たんだけど…」
びくりと、剣城は腕の中で依織の体が跳ね上がったのを感じる。
恐らくこの声の主が先程まで二人を追っていた彼女の従兄なのだろう。
「ここじゃない…ここにもいない…」
一枚一枚、機体のカーテンを捲る音と彼の靴音がゆっくりと近づいてくる。
コツ、コツ、コツ。
やがて足音は、すぐ傍。試着室の前で止まった。
「…まさか、この中にいるなんて…ないよねぇ」
ガタガタと依織の体がマナーモードのように震える。剣城も言い様のない恐怖に、背中を冷たい汗が伝うのを感じた。
今度こそ、詰んだ。
ギュッと目を瞑った次の瞬間である。
「やっ…と見つけた!おい、良樹!」
少し離れた場所から彼を呼ぶ声が聞こえてきた。
依織が僅かに聞き取れる声で、和兄さん、と安堵したように呟く。
「たく、急に依織と男子が歩いてるーなんて走り出してよ。結局見つからなかったのか?」
「うーん、ここに入ったと思ったんだけど」
「人違いだったんじゃないのか?」訝しむように言った和樹に、依織が小さくガッツポーズする。
そうかなぁ、と呟く良樹の声は心底不満そうだ。
「捕まえたら許す代わりに依織にお医者さんごっこしてもらうつもりだったのに…残念だなぁ」
「俺はお前の頭が一番残念だよ」
妹分に何させる気だこの変態が、と言う和樹の言葉に、剣城も心の中で激しく頷く。
これは彼女がここまで取り乱すはずだ。
「とにかく、早く帰ろうぜ。今日は母さんの買い物に付き合う日だろ」
「大体荷物持ちじゃないか…何で女の人の買い物ってあんな長々しいんだろう」
溜め息混じりの声と、靴音が段々と離れていく。
ようやっと詰めていた息を吐き出していると、前触れなくパッと試着室の扉が開いた。
「どうです、何かイベントは起きましゴフッ」
満面の笑みで試着室を覗き込んだ目金の鳩尾に、依織は無言でグーを叩き込んだ。