鷹栖依織は、慇懃無礼な人間である。
彼女が入部して数日、倉間典人が抱いた感想はそれだった。
いや、入部してからと言うより、初めて会った時からと言う方が正しいだろう。
自分達に多少非があったにせよ、一歩間違えば暴言になる彼女の言葉に良い印象を抱けと言う方が無理な話だ。
一応和解したとはいえ、とにもかくにも倉間はどうにかして一度彼女をギャフンと言わせてやりたかった。
「ギャフンって古くね?」
「うるせえ」
開口一番、浜野の感想である。
朝練も終わり、部室へ戻ってきた際に倉間が漏らした、どうにかして鷹栖をギャフンと言わせることは出来ないか─と言う独り言に近い呟きを拾った結果だった。
「でも、何でまた急に…」
「急じゃねーよ。あいつの礼儀の無さは元々気に入らなかったんだ」
いつも通りおろおろしている速水に、さっきだって、と倉間は歯軋りする。
「俺が一番上の棚からボール取ろうとしたら、取れますか〜なんて言ってきやがって」
「そりゃあ倉間のタッパじゃそう思うよなぁ」
「あわわ、浜野くん!」
慌てて浜野の口を押さえに掛かってももう遅い。倉間は小動物が威嚇するかのごとく浜野を睨み上げていた。
「つまりあれじゃん?倉間は鷹栖に尊敬されないっちゅーか、まともに先輩扱いされてないのが悔しいってコトっしょ」
「…まぁ、かいつまむとそんな感じだけど」
自分に取って先輩と言うのは、敬うべき対象である。表向き、生意気に接していようとそれは変わりない。
しかし依織にはそれが微塵も感じられない。もしかすると隠すのが上手いだけなのかもしれないが、それでも気に入らないものは気に入らない。
こうなってくると、意地の域だった。
「じゃーさ、一つ二つ、鷹栖の弱点見つけちゃおーぜ!」
ふいに、浜野がポンと手を打つ。
は?と、トーンは違うが呆れた様子の速水と倉間の声がそれぞれ返ってきた。
「俺的にはさー、からかうヤツは多けりゃ多いほど楽しいんだよね!」
「それだけ聞くと嫌な先輩ですね…」
頬をひきつらせ、速水が呟く。
「弱点っつったって…」眉を潜め、倉間が浜野を訝しげに顰めた。
「んなもん、どうやって見つけんだよ」
ただでさえまだ謎が多いのに─そう問いかけた時である。
ロッカールームの自動ドアが開き、倉間の言葉尻を掻き消した。
「あっ、先輩!お疲れさまです!」
「お疲れさまでーす!」
入ってきたのは、シャワールームから出てきた天馬と信助だ。
お疲れ、と言いかけた浜野の頭上に、ピコーンと電球が光を点す。
「なぁなぁ天馬、お前鷹栖と付き合い長いんだよな?」
「へっ?えっと、まぁ…一年くらい、ですけど」
それでも自分達よりは長い。
満足げに頷いて、じゃあさ、と浜野は首を傾げる天馬に言葉を続けた。
「鷹栖の弱点とかって、知らない?」
「依織の弱点…ですか?」
天馬がますます首を捻る。
状況が掴めない信助が、何でですか?と倉間たちを見やった。
「倉間くんが、鷹栖さんをギャフンと言わせたいそうです…」
「ええっ、ダメですよそんなの!怪我しちゃいますよ!?」
「何だよ、別に痛め付けるとかそう言う意味じゃ「倉間先輩が!」俺かよ!」
口を挟んだ天馬に、倉間もつい語気を荒げてテーブルを叩く。
首を竦めた天馬は、だって、と唇を尖らせた。
「依織、喧嘩とか強いし…この前だって、隣のクラスの男子を投げ飛ばしたとか何とか」
「あれ、捻挫させたんじゃなかったっけ?」
「…とりあえず、噂に尾ひれがつく程度に強いんですね」
返した速水の顔が僅かに青ざめる。
火の無いところに煙は立たない。何にせよ喧嘩が強いと言う話は嘘ではなさそうだ。
「うーん。苦手の一つくらいあれば、からかいがいがあんだけどなァ」
「浜野…お前、話の本題忘れてないか」
いつの間にか依織をギャフンと言わせることではなく、からかうことに意識がシフトしている。
倉間は眉根を寄せて頬をひきつらせた。
「もう諦めましょうよ、倉間くん…きっとあれも個性の一つなんですから。…多分」
「くっそ…」
宥める速水に、倉間は顔をしかめて小さく舌打ちする。
鞄を引っ提げ部室を出ると、丁度二軍の部室─今は女子更衣室として使っている─から出てきた、制服に着替えた依織と鉢合わせた。
「? 何すか、倉間先輩。そんな睨んでも身長は分けられませんよ」
「い、っらねーよ!」
目が合うなりこれだ。倉間は三白眼をかっ開いて(一瞬迷ってから)叫ぶ。
「そっすか」と小さく肩を竦めてへらりた口角を上げた依織はと言うと、そのまま踵を返しサッカー棟を後にする。
「む、か、つ、く〜…ッ!」
「どーどー、倉間」
地団駄を踏む倉間の肩を、馬をいなすが如く浜野が叩いた。
「依織はああいうヤツなんですよ」天馬がフォローを入れた、次の瞬間である。
「─あれ、依織?」
今しがたサッカー棟を出ていったばかりの依織が戻ってきた。
何やら顔を青くして、しかもダッシュで。
「どしたの、鷹栖。忘れモン?」
「あー、いや…」
一瞬たたらを踏んだ依織が苦い顔をする。
そしてふと真剣な顔になると、天馬の肩を掴んだ。
「良いか天馬、誰に何を聞かれても私はここにいないって言って「依織ちゃーん、お客さまよ」ワアアアア」
依織の悲鳴を遮り、次に扉を潜ってきたのは春奈だった。遠目で少し分かりにくいが、後ろに誰かを連れている。
「えっと…依織はここにいません…?」
「何言ってるの天馬くん、目の前にいるじゃない」
当たり前だがもう誤魔化しも効かない。
五人の目の前にいる依織の顔は、青を通り越して白になっていた。
「そんなに僕と顔を会わせたくないの?」
ふいに響いた聞き覚えのない声が、依織の肩を大きく揺らす。
途端、彼女の体がマナーモードばりに震えだした。
声の主は春奈の後ろからその姿をひょっこりと現して、依織の背中に向かってにこりと笑いかける。
「依織は相変わらず照れ屋さんだね?」
「…あ、依織のお兄さん…」
声を漏らしたのは天馬だった。
兄ちゃん?と首を傾げた浜野に、「従兄のお兄さんらしいです」と注釈を加える。
依織はごっくりと唾を飲み込むと、どう見ても無理矢理としか思えないひきつりまくった笑顔を貼り付けて振り返った。
「よ、良兄さ…お兄ちゃん…昨日の件は、私、謝ったと思ったんですけど…?」
「電話じゃ物足りなかったから、用事がてら会いに来ちゃった」
彼女の言い訳か。
その場全員の心の声が一致する。
「用事ってのは…」震え声で先を促す依織に、良樹は頷いて鞄の中から何かの巾着を取り出した。
「母さんが、依織の昼食が菓子パンばっかりだって姉さんから聞いたらしくって。弁当を預かってきたから持ってきたんだ」
「あ、そっすか…ありがとございます…」
そろそろと依織の手が巾着へと延びる。
良樹はその手を捕食者の如く絡み取った。
「それで、昨日の埋め合わせと今回のお礼のことなんだけどね?」
「はっ!?」
まだ言うか、とでも言いたげに依織がギョッめ目を剥く。
良樹はそんな妹分の表情を意にも介さず、にこにこと笑顔で続けた。
「利子として二人っきりで遊園地に行くってのはどう?観覧車とか良いよね、密室だし、密室だし」
「何でそこ強調するんですか…!?」
「だって大事なことだろう?」
にぃっこり。良樹の唇がゆっくりと歪んだ三日月を描く。
そのお腹真っ黒な笑みは、依織どころか状況の分からない倉間たちでさえ戦慄させた。
「ね、行こうよ依織。観覧車で僕とイイコト、」
「チェストォ―――ッ!!」
再び聞きなれない声が飛び込んできたのは、良樹が危ないことを言いかけたその瞬間である。
誰とも分からない人影が、サッカー棟へ飛び込むなり良樹の横っ腹にドロップキックを食らわせた。
ずざざ、と床にすっ飛ぶ良樹。
唖然とする天馬たち。
唯一依織だけが、その表情を輝かせる。
「和兄さん…!」
「大丈夫か依織、何も変なことされてないか!?」
良樹にドロップキックを浴びせたのは、彼の双子の兄である和樹だった。
「はい、まだギリギリ」と答えた従妹の無事を確認し、和樹は次に体育会系らしい勢いで春奈に向かって一礼する。
「すんません春奈姉さん、うちの変態…あ、いやうちのバカがご迷惑おかけしました」
「い、いいえ。大丈夫よ」
これまで様々な状況に陥ってきた春奈も、流石に顔がひきつっていた。
「さあ和兄さん」依織がせかせかとした様子で、床に延びている良樹を指差す。
「起きないうちに、回収お願いします」
「おう、そうだな。昨日の件とかも母さんに頼んで黙らせてくよ」
「そこのやつらも、悪かったな!」最後にポカンとしている天馬たちに軽く手を振り、良樹を抱えた和樹はサッカー棟から走り去って行った。
その様子は、まさに。
「……嵐が去った…」
大きく溜め息を吐いて、依織はその場にしゃがみ込む。
並々ならない様子の彼女に、天馬と信助が慌てて駆け寄った。
「依織…あの、大丈夫?」
「昨日、何かあったの?」
「…昨日、ホントは従兄弟たちの家に顔見せに行く予定だったんだけど、違う用が入って行けなかったんだよ」
「ちゃんと謝ったんだけどな…」呟いた依織は、死んだ魚のような目をしている。
我に返った浜野が、隣の倉間を肘で小突いた。
「どうする?弱点、一個見つかった訳だけど」
「…いや…」
確かに弱点と言うべきものは見つかったが、あの従兄のネタで突っつくのはやめておいてやろう。
興味よりも同情の方が勝った瞬間だった。