case3:泥酔
今は命に別状がないとしても、このまま薬を飲まされ続けたら何か後遺症でも残ってしまうのではないか。
そう思った俺は、何度目かになるマネージャーの呼び出しに、こっそりついて行ってみることにした。
あいつがキョドキョドと周りを見回しながら総帥の部屋に入っていくのを確認し、扉の側で耳をそばだてる。
総帥の部屋は防音になっているから大して意味はないかもしれないけど。それでも、微かな振動くらいは届くかもしれない。
そうして二分間はそこにいただろうか、突然パシュンと開いた扉に思わず肩を揺らした。あいつが出て来たのかと思ったが、人の気配はない。
首を傾げると、「そこにいるのだろう?」と。総帥の声が聞こえた。
「入れ、鬼道」
「…はい」
成る程、既にお見通しというわけか。流石総帥とでもいうべきか…
ゆっくりと口を開けた扉と向かい合い、部屋の敷居を跨いだ俺は、出来ないのは分かっているがゴーグルの上から目をこすりたくなった。
マネージャーが、床に俯せになって倒れていたのである。
「な─何をしたんですか?」
「今回も失敗だったようだ」
質問には答えず。総帥はモニターをいじりながらさらりと言った。
慌てて駆け寄ると、あいつの側には小綺麗な小瓶が転がっている。
またか。結局阻止できなかったことに、己の行動が悔やまれる。こうなったらこっそりついて行くことなんてせずに、堂々と一緒に行けば良かった。
「わかっているな?鬼道」
「誰にも見つからず、部室へ。─ですね」
彼女を背負って、立ち上がる。総帥は頷いただけで、後は何も言わなかった。
「うわっ!?」
部室へやってきた佐久間が、悲鳴を上げる。「マネージャーが死んでる」と言う咲山の物騒な言葉に、寝ているだけだと訂正を入れる。
「でも、何で寝てるんスか?」
「…総帥の、例の実験だ」
マネージャーの頬をつつきながら問う土門に言えば、またかと言った風に誰からともなく溢れる溜息。
「大体、何でこいつは学習しないんだ」
「してはいるだろうが、断れないんだろうな…きっと」
苦い顔をして唸る辺見に、源田が気の毒そうな顔をしてベンチに横たわるマネージャーを見下ろす。
佐久間がガシガシと、青みがかった銀の頭を片手でかきむしった。
「だからコイツはいつまで経ってもお人好しのバカなんだよ!」
「誰がバカですか」
「…え?」と。異口同音。一切のズレもなく、全員が同じ音を発する。
今の今まで目を覚ます兆しもなかったマネージャーが、突然パチリと開眼して低い声で言ったのだから。
「私だって、好きでこんなことしてるわけじゃないんれすからね…」
ひっく。小さくしゃくりあげる声と、呂律の回っていないしゃべり方。マネージャーが、ゆらりと上体を起こした。
「ひ…ヒヨコ?」
「なんれすか」
目が据わってる!辺見が小さく言って後ずさる。
彼女の顔をのぞき込んでいた源田や佐久間、咲山が後ずさる中、再びひっくとしゃくりあげながらマネージャーがモゴモゴと口を動かした。
「大体、そのひよこってーのも、的を射てるって言ってもひどいあだ名なんすよ。まだかわいさがあるからいーものを…これでチキンとか鶏肉とか言われてたら、アイアンクローもんれす」
誰だこれ。
そんな言葉が渦巻いた。普段の彼女は余程のことがない限り俺たちに苦情は漏らさないし、間違ってもアイアンクローを仕掛けるだの物騒なことは言わない。
恐る恐る、マネージャーの顔を再び覗き込んだ咲山が、眉間に一杯の皺を寄せた。
「…こいつ、もしかして酔ってんじゃねーか?」
「は?」
ぐりん、と。信じられないとでも言うように、佐久間が彼女の頬を両手で挟んで自分の方へ向ける。
「顔赤い、目ぇ潤んでる」
「か、花粉症とかじゃなくてか?」
「現実を見ろ、源田」
たまらず同じように顔を覗き込めば、潤みきった目と視線が合う。佐久間に押さえられた頬は、綺麗に真っ赤に染まっていた。
彼女が飲酒をした訳じゃないということは分かっている。十中八九─というより、100%あの薬が原因だ。
「泥酔なんて、教育に悪い!」混乱した源田がよく分からないことを叫んだ(お前はこいつの父親か)。
「しゃくましゃんもしゃくましゃんえすよ」
頬を潰されたまま、彼女は目をトロンとさせながらも低い声で唸る。
「いーっつも人をバカバカって…ぐすっ」
「ええっ!?何でここで急に泣くんだ!?」
唐突に顔を歪めてポロポロ涙を流し始めた彼女に、佐久間が狼狽える。
「怒り上戸なのか泣き上戸なのかハッキリしねーな」咲山、何でお前はそんなに順応してるんだ。
「ううっぐすっ。さっ佐久間さんの女顔…」
「人が気にしてることを!」
「まぁまぁ!」
「土門さんの小枝…」
「え、何で矛先が俺に?」
「ていうか、俺小枝?どのへんが?」「腰じゃねーの?」間の抜けた会話をする土門と辺見はこの際放っておこう。
酔っ払いの対処法なんて知らないが、ひとまずマネージャーの隣に腰掛けた。
「えー…。とりあえず、お前の鬱憤が溜まってるのは分かった。まずは落ち着け、水でも飲むか」
「ぐす…、き…きどうさぁあんっ」
ぎゅむ、と。
抱きつかれた。誰にって、マネージャーに。
あのマネージャーに。
「うっ、わた…私、これでもがんばってるんれすよぅ…!」
「わ、分かってる!分かってるから、早く離っ…!」
すがりつく腕を取り払おうとしたが、予想以上に力が強い。いやだからと言って無理に剥がしでもしたら余計泣き止まなくなるかもしれないが、このままでいるのも辛い。俺にどうしろと。
大体何でこいつはこんなに柔らかいんだ、女子か、女子だからか!
「ちょ…っ何赤くなってンスか鬼道さん!」
「好きで赤くなってるわけじゃない!」
辺見がマネージャーの腕を剥がそうと手を伸ばすと、あろうことか「やですっ」と余計に強く抱きついてきた。
額をぐっと押し付けて、彼女はモゴモゴと唸る。
「鬼道さんたちは…私のこときらいなんれすか…」
「え」
体が固まった。そのままの体制で、彼女は続ける。
「佐久間さんもことあるごとにバカって言うし…辺見さんもしょっちゅうからかってくるし…ぐす」
マネージャーは、少し頭を上げると横目でこっちを見ながら、「きらいなんれすか…?」と眉を下げる。ほ…本当に、俺にどうしろと。
ぎぎ、と脇に顔を向けると顔を赤くしたあいつらが早く言ってやれとジェスチャーする。人事だと思って…!!
「えーっと、何て言うかアレだな!人がいちゃ言いにくいだろうし、俺らは外で待っとくか!」
「いらん気を回すな土門!」
ああもう、何でこんなことに。
顔が赤くなるのはこの際仕方無いことにしよう。
仕方なく、彼女の頭をゆっくりと撫でつけて、あやすように言った。
「大丈夫だ、嫌いなんかじゃないから。ちゃんとみんな、お前のことが好きだから、泣くな」
「…ほんとれすか?」
「う」上目遣いするなそれ以上顔を近付けるな!そこらの酔っ払いよりもたちが悪い!
業を煮やした源田が「ホントだ」と小さく言うと、彼女は赤い目をしばたかせ、口をへにゃりと綻ばせる。
「よかったぁ…」
そのまま彼女は、ことんと意識を失った。抱きついたままの状態で。
「……だ。誰か、助けろ」
「良いじゃん鬼道、役得で」
「いいから助けろ!」
とりあえず、次にこいつが総帥に呼び出しを受けたときには絶対ついて行こう。
そして薬を飲むのを絶対に阻止するのだと、人の気も知らず眠りこけている腕の中の彼女に、固く誓った。