きみはオリオン

あ、これは夢だな。
ゆっくりと眠りから覚醒する感覚と共に瞼を開き、目の前に広がる光景に彼──佐久間次郎はそう確信した。

だってそうだ、今の自分は日本代表選手としてライオコット島にいたはず。なのに、目を覚ましたその場所は、彼が通っている帝国学園の教室であった。
現在は休学中の身であるが、数週間ぶりに見る学校は早くも懐かしさすら感じる。
──だが、それ以上に違和感がある。

「(やけにリアルな夢、だが……ここは……今≠フ俺のクラスじゃ、ない?)」

丁度休み時間なのだろう、教室のあちこちに散らばるクラスメートの顔触れは、彼が1年生の時のそれだった。
だとすると、これは1年前の夢なのだろう。どうしてこんなタイミングでこんな夢を見ているのかはさっぱり分からないが、夢と言うのはおおよそそんなものだ。

「おいっ、佐久間!」
「! 辺見」

席に着いたままぼんやりとしていると、教室に駆け込んできた辺見から声を掛けられた。
そう言えば1年の頃はこいつも同じクラスだったな、と思いながら、佐久間は「何だよ、騒がしいな」と何てことのないような顔を装いそちらを見る。

「さっき鬼道さんから聞いたんだけどよ、今日の放課後うちに新しくマネージャーが入るらしい!」
「はぁ? 何言ってるんだ、マネージャーなら──」

言いかけて、はたと口を噤む。
辺見のこのリアクション。もしかしてこれは、名前がマネージャーとして帝国サッカー部に加入した時の夢なのではないだろうか。
実際、当時は朝のミーティングで鬼道から今日の放課後にマネージャーを迎え入れる話を聞いて、どんな命知らずが来るか先に顔を拝んでやろうと名前に会いに行ったのが初対面だったのだが、『まぁこれは夢だしな……』と細かい差異は気にしないことにする。

「で……どんな奴かは聞いたのか?」
「それがさ、ほら、ゴールデンウィーク頃に転校して来たアイドルがいただろ? そいつが来るとか何とか……」
「あいどる」

反芻して、考えて、首を捻る。アイドル≠ニは一体誰のことを言っているのだ。もしかしてこの夢では、名前ではなく全く違う誰かがマネージャーをしているのだろうか?

「えっと……名前、何て言ったか」
「ん? ああ、名前だよ。名字名前。先週の音楽番組にも出てたろ」

ああ、と佐久間は一拍空けて額を抱えた。
何だよその反応、と辺見が訝しむが、構ってやれる余裕がない。

「(名字がアイドル……??)」

一体どんな世界線だ。あの名前がステージでライトを浴びながら歌って踊っているところを想像して、変な笑いが込み上げる。

「隣のクラスだと話す機会もねえんだよなぁ。サインもらっちまおうかな……」
「んっふ」
「おい何笑ってんだ」

普段名前のことを『ヒヨコ』と呼んで舎弟のように可愛がっている辺見の変化が面白く、佐久間は絶えきれずついに噴き出した。




そして放課後、ついにその時はやって来た。

「──というわけで、既に何人か知ってはいるだろうが、今日から俺たち一軍のマネージャーをしてもらうことになった名字だ」
「1年C組の名字です、よろしくお願いします」

その瞬間、佐久間は『あれっ?』と思った。
身に覚えのあるシチュエーション、忘れもしない瞬間──であるはずなのだか、名前の様子が随分と違う。
まず、どもらない。あの時の彼女はどれだけ噛み倒すんだと言わんばかりにどもっていたのだが、この彼女は少しの淀みもない自己紹介をした。
そして一番分かりやすいのはその表情だ。
一言で言うと、冷めている。大人びた感じと言えば聞こえは良いのだが、いつもの──もしくは昔の彼女と比べると、感情がかなり分かり難い。近寄りがたい雰囲気さえあった。

「(あの時は分かりやすくビビってたもんな……)」

感慨に耽っている間にも、名前は淡々とした様子で鬼道たちと会話を続けている。

──しかし、やけに長い夢だ。
夢を見ていると言う実感はあるのに、一向に目が覚める気配はない。
感じ取る触感や嗅覚、体感時間はいやにリアルで本当にこれが夢なのかどうか疑ってしまう。

「(いや……本当に、これは夢なのか?)」

ライオコット島は怪現象の宝庫のような場所だ。思いも寄らないことがその身に降り掛かったり、知らない間に仲間の誰かがそれに巻き込まれたりする。

──もしもこれが夢≠ナはなく、過去≠セったら?
ここより以前に名前の運命がねじ曲がって、一般市民でなくアイドルとして生きていたら?

「(いや……まさか、そんなわけ)」

頭を過る想像にたらりと冷や汗を掻いていると、ふいに名前が鬼道から渡されたマニュアルを小脇に抱えて「ああ、そうだ」と顔を上げた。

「皆さん勘違いなさってるようで申し訳ないんですが、私がマネージャーをするのはあくまで今日だけ≠フ話ですので」
「えっ?」
「総帥からは何も聞いていないが……」
「学園長の意図は分かりませんが、確かです。今朝契約書を書いていただいたので」

流石に仕事をしながら部活動に参加するのはちょっと、と名前は少し困った表情になる。
忙しいもんな、と呟く辺見の傍らで、佐久間は内心ギョッとしていた。

万が一さっきの仮説が本当であれば、このまま名前がマネージャーを続けないのなら、今目の前にいる鬼道の運命が大きく変わってしまう。それは名前も同様の筈だ。

「総帥のすることだ、無駄なことではないと思うが……まぁ、そう言うことであればマネージャーの仕事も簡単なものだけで構わない」
「はい。分かりました」

名前は頷いて、先導する鬼道の後ろをきびきびと着いていく。

「あっ……」

呼び止めてどうするつもりなのか、自分でさえ分からない。
それでも遠離っていく背中に、佐久間は思わず手を伸ばして──




「──んがっ」

ガクンッ、と感じた浮遊感に驚いて目を開ける。
まだぼんやりとしている頭のまま慌てて辺りを見回すと、そこはいつも食事に使っている食堂だった。
そう、ライオコット島にある宿福の食堂だ。

「あ、目が覚めました? 良かった、そろそろ起こそうかと思ってたんです」
「う、ん……?」

後ろから掛かった声に振り向くと、そこには名前が立っていた。台を拭いている途中だったのか、手には布巾を持っている。

「頬杖突きながら寝るなんて器用ですね、佐久間さん」
「……名字……」
「はい?」
「名字〜〜……」
「うわっ、なになに何ですか?」

急に立ち上がり肩に寄りかかってきた佐久間に、名前は目を丸くしながら「どうしたんですか?」と彼の頭を撫でる。
そう、これだ。これが自分の知ってる彼女なのだ。アイドルだなんてとんでもない。佐久間はあれが夢で終わった安堵に大きく溜息を吐いた。

「名字……お前はそのままでいてくれよな……」
「ホントにどうしたんですか佐久間さん……」

何か悪いものでも食べました? と怪訝な顔をする名前に、佐久間はただただ疲れた笑みを浮かべるだけであった。