その日、織乃の様子はいつになくおかしかった。


「御鏡、今日のトレーニングの件なんだが…」

「あ、それならキャラバンの席にグラフが置いてあるので…」


話しかけると、ぎょっとしたように俯いて前髪を抑える。
そして、逃げるようにそそくさと離れていく─この繰り返し。

本日三回目の同じ反応をされたところで、鬼道は伸ばし掛けた手を下ろして首を捻る。

あの挙動不審さは、帝国時代の彼女を彷彿させた。
また何か隠し事をしているのか─そう思って、秋に「御鏡は何かあったのか」と尋ねてみても、彼女は困ったように笑うだけである。


「あんまり、気にしないであげてね」


そうは言われても、と。
鬼道は口から出掛かった言葉をすんでのところで飲み込んだ。
しかし織乃の異変は、気付く者は気付いたようで。


「何か御鏡のやつ、今日は妙によそよそしくねえか?」

「…染岡も、分かるか」


ジャグをちゃぽちゃぽと鳴らしながら頭を掻く彼に言えば、「そりゃあまぁ」と答えが返ってくる。
一体何があったのか─疑問符を頭上に浮かべていると、それを眺めていた吹雪が、フゥと溜息を吐いた。


「ダメだよ、二人ともそういうこと詮索しちゃ。織乃ちゃんだって女の子なんだから」


まるで諭すような言いようの吹雪に、二人は納得すると同時に謎の敗北感を覚えたという。
ならば、と鬼道は質問の矛先を彼に変えてみた。


「吹雪。お前は知っているのか?何で御鏡の様子がおかしいのか」

「うん」


だって丁度─と、そこまで言い掛けた吹雪はピタリと言葉を止める。
にんまり。そんな擬音が似合いそうな笑みを鬼道に向けて、吹雪は小首を傾げた。


「そんなに気になるなら、織乃ちゃんに直接聞いた方が早くない?」

「それは、そうだが」


全く以て正論である。
しかし、と言い渋る鬼道に、吹雪は王子スマイルを振りまきながら彼の肩を叩き、すれ違いざまに囁いた。


「大丈夫。別に、鬼道くんが嫌われたとかそういうのじゃないから」

「な、べっ…」


「染岡くん、練習付き合って!」別に、という言葉が、吹雪の声にかき消されていく。
一人、そこにポツンと取り残された鬼道が、小さく溜息を吐いたその時。


「…ん?」

「あ」


ざり、と土を踏む音に鬼道は振り返る。
そこにいたのは、─目が合った瞬間、俯いて顔を隠すように前髪を押さえた、織乃だった。


『そんなに気になるなら、織乃ちゃんに直接聞いた方が早くない?』


脳裏に吹雪の声が蘇る。
それと同時に、頑なに自分と目を合わせようとしない織乃に、ほんの少し腹が立った。


「…御鏡。お前、今日はどうしたんだ」

「え。な、何のことでしょうか…?」


しどろもどろした織乃が、一歩後退する。
それに相まって、鬼道も彼女に一歩近付いた。


「前みたいに、挙動不審だ。何かあったのか」

「や、別に、何も…」


一歩一歩、離れては近付き離れては近付き。鬼道はむっと眉間に皺を寄せる。


「じゃあ、また何か隠してることでもあるのか?」

「そそそんなこと─」

「なら何で目を合わせない」


とん、と。織乃の背中が何かにぶつかった。キャラバンの車体だ。
織乃の顔のすぐ横に手を突いた鬼道は、しかめっ面をして彼女を見下ろす。


「それに、今日はずっと顔を隠してばかりで─」

「あ、やっ…」


話している間もずっと前髪を押さえ続けていた手を掴み取ると、織乃が焦った声を上げた。
それと同時に露わになる、真っ赤になった顔と─


「……前髪、どうした」

「……ね、寝癖です」


重力に対し反抗期を向かえたようにピョコンと天に向かって跳ねる、前髪。
織乃は赤いままの顔で、ぼそぼそと言った。


「あ、朝起きて会った吹雪さんが、寝癖ついてるって教えてくれて…。私くせっ毛だから、寝癖がつくと中々取れなくって」


だから今日は、なるべく人と会わないように、前髪を押さえて過ごしていたのだと。
あまりに予想外の答えに、呆気に取られていた鬼道は次の瞬間ハッとした。

目の前には、壁に背中を預けた織乃。そして彼女が逃げないようにしているかのように、白い手を掴んだ自分の手。
─端から見ると『邪魔してはいけない体勢』である。


「…っそ、そうか」

「鬼道さん?」


すまなかった、と言って彼女の手を離した鬼道は、そのまま回れ右をしてぎこちない動きでその場を後にした。
織乃は前髪に寝癖をこさえたまま、首を傾げる。


「…変な鬼道さん…」






「あいつの不調、寝癖が原因だったそうだ」

「は?ああ…そういや前髪押さえてたな。…つーかお前は何でそんなへこんでるんだよ。顔赤いし」

「…自己嫌悪だ」