「─じゃあ、このフォーメーションの場合は」

「ええ、DFを下げて守りを固める方向で。場合によってはカウンターも可能です」


放課後、午後四時三十分。
サッカー部の部室にて。
机を挟み、鬼道と織乃がノートを覗き込んで、話し合っている。

ノートに事細かに記されているのは、フォーメーションの種類と戦略だ。
本来ならこんな記録はキャプテンが行うべきなのだろうが、円堂の字の下手さもあり、最近はこの二人でするようになっている。


「ふむ…」


一度シャープペンシルを机に置き、鬼道は興味深げな表情でノートを見直した。


「…向こうで、随分と勉強してきたみたいだな?」

「はい。イタリアでも、サッカーに関わっていくうちに…自然と」


織乃はやんわりと、頬を綻ばせる。
イタリアの友人のことを思い出したのかもしれない。

─思えば、サッカー以外にも彼女は、随分と成長したように思える。
例えば前より明るくなったとか、気丈になったとか。
何にせよ良いことだろうと、鬼道はふっと口元を緩めた。


「? 何笑ってるんですか?鬼道さん」

「いや…お前も昔と比べて変わったなと」


「昔って…」数にすれば、1年にも満たない年月である。
織乃は小さく笑った。


「…でも、私からすれば鬼道さんも変わりましたよ?」

「俺が?」


彼が思わずキョトンとして聞き返すと、織乃は「そうですよ」と小首を傾げる。


「これは、雷門に来てからですけど…表情豊かになったと思います」

「表情豊か、な。その言いぐさだと、まるで前は鉄面皮だったとでも言いたげだな?」


ぐ、と織乃の口元が不自然に引き締まった。
どうやら図星だったらしい。


「…だって鬼道さん、帝国にいる時は大体無表情だったじゃないですか」

「ポーカーフェイスと言え」


「自分で言わないで下さいよ」クスリと笑みを零した織乃に、鬼道もまた少し微笑む。
─帝国にいた頃は、こんな風に二人して笑い合うようなことも、めったになかった。


「…背負うものが、変わったからだろうな」

「背負うもの?」


笑みを引っ込め、ぱちくりと一つまばたきをした織乃が反復する。
頷いた鬼道は、握り直したシャープペンシルでコツコツとノートをつついた。


「雷門のキャプテンは、円堂だ。今の俺はその支え─多分、それが大きな違いなんだろうな」


自分がチームを纏めなければ、引っ張って行かなければ─それが無くなるだけで、体は軽くなる。
責任という重みが減るのだ。


「─だが、だからこそ今、新しいものを背負っている」

「世宇守に、勝つ…」


半ば無意識に答えた織乃に、鬼道はそっと頷いた。
今の鬼道が背負っているのは、キャプテンとしての使命でなく、仲間の敵討ちの使命である。
彼の背中を押すには、それは十分な重みだった。


「…けど、一人で背負おうと思わないで下さいよ?」


ふいに織乃が少し俯きがちだった鬼道の顔を覗き込む。
鬼道が少し驚いて仰け反るのに対し、織乃は自信ありげに胸を張った。


「私だって、元帝国マネージャーなんですからね。最後まで鬼道さんに着いていきますよ」

「心強いな」


一瞬、鬼道は虚を突かれたように目を見開いたが、一拍空けてクツクツと喉の奥で笑う。


「だが、最後まで着いていく─か。そういう言い回しだと、プロポーズみたいだな」

「そうですねぇ」


二人は軽く笑い合った。
そして笑い声は次第に尻すぼみになり、お互いそろりそろりと視線を逸らす。


「じ、自分で言ったことに恥ずかしがらないで下さいよ」

「いっ…いや、その、俺は……ああ、すまん」


行き場のない視線は明後日へ向かい、ただただ気まずい沈黙が流れた。
聞こえるのはと言えば、自分の心音くらいだろうか。

ドキドキと大きく脈打つ心臓と、脳裏で点滅する「プロポーズ」という単語。
互いに思うことは一つだ。


(恥ずかしい…!!)


織乃は単に心から思ったことを言っただけで、鬼道は単にふと思いついたことを口に出しただけで。
それがこんな空気をもたらすはめになるとは、数分前は思いもしなかった。

しばらくして、鬼道がゴホン!と─ようやく、小さく咳払いをする。


「─まぁ、こうやって冗談を言い合うほどに変わったということだな」

「え、あ、そうですね」


織乃は沈黙に耐えきれなかったのか、ほっとしたように肩の力を抜いた。
どちらからともなく視線を合わせ、二人は小さく笑う。


「さて、ノートも完成したことだし─あいつらを呼んでくることにするか」

「はいっ」


席を立ち、鬼道が扉を開けると、織乃もそれに続いた。
青いマントが風にはためく。

心音は穏やかになっていた。