彼─佐久間次郎は、その時悩んでいた。
非常に悩んでいた。

その悩みの原因は、彼の視線の先にある。


「…ふぅ」


駅の軒下で、物憂げな表情で空を見つめる一人の少女。
織乃だった。

彼は物陰に隠れ、空を見上げる。
しとしとと降り注ぐ雨が、じっとりと肌に張り付く感じがして気持ちが悪い。

そもそも何故こんなことになったのかと言えば、スパイクを新調しにわざわざ隣町までやってきたからだ。
佐久間は「今日は雨が降るかもしれない」と傘を持たせてくれた母に感謝すると同時に、物陰から動かない自分の足を呪った。

織乃は相も変わらず、軒下で雨を眺めている。

その両手には、パンパンに膨らんだスーパーの袋がぶら下がっていた。
相当重たいのか、手の甲が少し白くなっている。

どうする、どうする。
佐久間はいやな汗を掻く。

ここでさり気なく登場して傘を貸してやるのが道理なのだろうが、それだと自分が帰り道で濡れてしまう。
それを覚悟で、いっそ某アニメ映画のガキ大将みたく、彼女に一方的に傘を押しつけ立ち去るというのも一時考えたが、そんなことをされた彼女の方が困るだろう。

そうなると、今の自分に出来ることは一つだけだ。


「………お、おおおおいっ、御鏡!」

「えっ」


ガタガタに震えた声に、織乃が驚いたように振り向く。
佐久間はあくまで平静を装い、物陰から出てきた。


「あれっ、佐久間さん。どうして稲妻町に…?」

「こ、こっちのペンギーゴの方が品ぞろえが良いからな」


ぶっきらぼうにペンギーゴの袋を掲げてみせると、織乃は納得したように頷く。
佐久間は空に目をやりながら、さり気なく続けた。


「傘、無いのか?」

「ハハ…今日、天気予報見損ねちゃって。丁度、そこのコンビニでビニール傘でも買おうと思ってたんです」


しまった!!と佐久間は心の中で叫び、織乃の指さしたコンビニを振り返る。
庶民の心強い味方であるコンビニエンスストアが、今ばかりは敵に見えた。

目先にばかり捕らわれていたため、これは予想外だ。
このままでは志半ば、明日まで自分の意気地のなさを引きずり、成神あたりにつっこまれることは請け合いだろう。

彼は思い切って口を開いた。


「あっ…あの、御鏡─」






「すいません、佐久間さん。ご迷惑かけて…」

「べ、別に……」


周りに人っ子一人いなければ、きっと天を仰いで雄叫びを上げていたところだろう。

佐久間は、隣で傘に入った織乃の方を見ないようにしながら、こっそりガッツポーズをした。
誰しもが一度は憧れる、相合い傘に成功したのだから。


「携帯の充電が切れなかったら弟を呼べたんですけど…」

「だから、気にするなって。こっちに用があるついでなんだから」


無論真っ赤な嘘である。

ありがとうございます、と織乃は優しく微笑んだ。
彼女の上目遣いが顕著になっているのは、昔より自分の背が伸びたからだろう。

普段だったらこの辺りで成神や辺見から茶々が入るだろうか─と考えていたところで、彼はハッとした。

今日は休日。帝国の仲間たちはいないし、茶々を入れる輩も勿論いない。
佐久間は思わず、小さく生唾を飲み込んだ。─今なら。


「……っあ「あ、佐久間さん。家に着きました─あれ、今何か言いました?」

「………………いや」


見事な不発である。佐久間は自分の中で、旗がボッキリ折れる音を聞いた。
がっくりうなだれる佐久間を後目に、織乃がふと思い出したように、「あっ」と荷物を漁る。


「佐久間さん、これ。送ってもらったお礼です」

「は?」


織乃は佐久間に、何か小さな箱を握らせた。
ピンバッチのおまけ付きの、チョコレート菓子である。


「それ、シークレットでペンギンのピンバッチが付いてくるんですって」

「え、あ、さんきゅ…」


小さく言って、佐久間はぎゅっと箱を握りしめた。
にっこり笑った織乃は、「それじゃあ」と家に入っていく。

佐久間は扉が締まるのを見届けてから、大きく長い溜息を吐き出した。


余談だが、次の日。
彼のスクールバックにはペンギンのピンバッヂが輝き、それを眺めてニヤつく彼に、成神たちが「何かキモイ」と悪寒を覚えたとかなかったとか。