ピーヒョロロと、空の高い所で鳥の鳴く声が聞こえる。
緩やかな坂道を登りながら、彼女は一人、呻いた。


「もう…どこまで行っちゃったのー…!」


額に滲んだ汗を拭い、織乃は息を整える。
偶然立ち寄った登山路に特訓に行ったのは良い。ただ、戻る時間を決めずに出発するとは如何なものか。

既に見つけてキャラバンに連れ戻したのは、鬼道と風丸と木暮の三人以外。
一緒にいるとも限らないが、ひとまず春奈と手分けして山道を登り始め、もう随分時間が掛かっている。


「─あっ、織乃さん」


ふいにガサガサとわき道の茂みが揺れて、そこを分けながら春奈が顔を出した。
ジャージの裾を叩きながら、「どうでした?」と尋ねる彼女に、織乃は首を振る。


「ここまで探してきた道では全然…そっちは?」

「だめでした…もう、お兄ちゃんたちホントにどこまで行っちゃったんだろう!」


ぷんぷんと怒る春奈を宥め、織乃は辺りを見回した。
このまま登っていけば、ボールを片手に特訓できるような場所は無いだろう。
携帯は三人ともキャラバンに忘れていったようだし、連絡のしようもない。

さてどうしようかとこめかみを押さえたその時、春奈がふいに「ん?」と眉根を寄せた。


「織乃さん、あそこ…」

「え?」


春奈が指さした方向を見る。
茂みに埋まりそうになっていて分かり難いが─そこには、キチンと整備された、石造りの階段があった。

「この先滝、ですって」手すりに書けられた古ぼけた標札を読んだ春奈が、織乃を振り仰ぐ。


「もしかしたらこの先かも…行ってみませんか?」

「うん、そうだね」


頷いて、織乃は階段を覗き込んだ。少し距離はあるが、緩やかな階段だ。
二人は並んで、足を踏み外さないようにゆっくりと、階段を降りていく。


「お兄ちゃんたちを見つけたら…まずはお説教ですね!」

「あはは…私はもう、見つかれば何でもいいや…」


宛もなく山道を歩くというのは、結構な体力を消耗する。
春奈がそれほど疲れていないのは、恐らく平地の方を探させたからだろう。

辺りを伺いながら進んでいくと、ふいにパッと視界が開ける場所に出た。
そこで水しぶきを上げる小さな滝の前に、三つの人影。


「いっ…いたー!!」


春奈の大声に、真っ先に木暮が飛び上がる。
それにつられ、左右の鬼道や風丸がこちらを振り向いた。


「春奈、御鏡」

「もう、やっと見つけた!」


どすどすと足音荒く、春奈は階段を降りて木暮の首根っこを捕まえる。
「次はせめて携帯を持って!」春奈の形相に三人が文句も言えずただこくこくと頷くのに苦笑いしながら、織乃も次の段に足を掛けた、その時。


「ッわ─」

「え?」


足が宙を捉え、ふわりと一瞬体が浮き上がる。
次の瞬間、織乃は派手に階段からずり落ちた。


「いたぁッ!!」

「織乃さん!」


ギョッとした様子の春奈、それに続いて鬼道たちも駆け寄ってくる。
いたた、と腰をさする織乃に、鬼道が手を差し出した。


「立てるか?」

「な、何とか…」

「木暮くんたちがこんなとこまで来るから…」

「それは関係ないだろ!?」

「まぁまぁ二人とも…」


口論を始める二人を宥める風丸の声に、ふと「うっ」と奇妙な声が割り込んだ。
彼の声ではない。三人が振り返ると、織乃が鬼道に片手を支えられながら、引きつった顔で冷や汗を垂らしている。


「…足、捻っちゃった…」

「ええ!?」


春奈が慌てて織乃の足元にしゃがみこんだ。
靴下の上からでは分からないが、彼女の表情から察するに、痛みは酷いのだろう。

春奈は織乃と階段、三人を順に見比べ、立ち上がった。


「お兄ちゃん、跪いて!」

「は?」

「良いから早く!!」


ピシャリと言われて、鬼道は流されるままその場に跪く。
兄の背中を叩いて、春奈は織乃の手を引いた。


「で、織乃さんがお兄ちゃんにおんぶしてもらえば、万事解決です!」

「…えっ」


二人から呆けた声が上がる。
一拍空けて、「ええっ」と叫んだ織乃は、少し後ずさった。


「いや、そんな…悪いし!」

「でも、その足じゃ階段は登れないだろ?」


尤もなことを言うのは風丸である。
織乃はうう、と唸った後、鬼道の青い背中を伺った。


「…乗れ、御鏡」


低い声で鬼道が言う。
でも、と食い下がる織乃の腕を、春奈が引いた。


「…じゃあ、失礼します」


観念した様子で、織乃は鬼道に体を預ける。
「行ける?」尋ねた妹に頷き、鬼道はぐっと立ち上がった。


「す、すいません鬼道さん」

「いや…元はと言えば、俺たちが原因だからな」


答える鬼道の声は、僅かに掠れている。やはり、人一人抱えて階段を上がるのは流石にきついのかもしれない。
木暮が、隣を歩く春奈にぼそりと声を掛けた。


「別に鬼道さんに頼まなくても、壁山とか呼べば良かったんじゃねーの…?」

「シッ」


言うな、と暗に言われて、木暮は反射的に押し黙る。
春奈は春奈で、この状況を少し楽しんでいるようだった。


「っと…ここまで来れば、あとは下りだけだな」


先導していた風丸が、一足先に道へ出る。
「代わるか?」尋ねてきた彼に、鬼道は首を振った。


「あの、鬼道さん…この位の道なら、私、自力て何とか」

「馬鹿を言うな。そんなことしたら治りが遅くなるだろ」


厳しく言う鬼道に、織乃はでも、と彼の顔を覗き込む。
その瞬間、鬼道の体がより一層ふらついたようだった。


「や、やっぱり私降りて…」

「だ、大丈夫だから。大丈夫だから御鏡、…もう少し体を離してくれ…!」


キャラバンへの道のりは、まだまだ遠い。