ひとりと一匹


 生徒会庶務・日生いずみはため息をついた。
 体育館の備品であるパイプ椅子の数が足りない。そういえば、古くて壊れそうなのをいくつか処分したんだった。これでは、遠くの物置から新品を補充しなくてはならない。明日の生徒総会で使うから、今日のうちにだ。他の生徒会のメンバーは部活に行ってしまったから、当番の自分がひとりで十脚ほど運ぶ必要がある。時間をかければ不可能ではないが、なんだか外れくじを引いた気分になった。

「はあ、しょうがない。行くか」

 渋ったところで、やる気はなくなる一方だ。善は急げ、バスケ部の練習を邪魔しないよう、なるだけ端っこを通って体育館を出た。道中、教師に総会の資料要項は大丈夫かと確認されたので「配布物のかごに入れました」と答える。そのまま歩いて東棟を通り抜けると、校舎裏の物置だ。あまり人の寄り付かない場所なので、しばしば不良生徒のたまり場になっているエリアだった。
 不良の視線と野次を浴びながら物置の扉を開け、パイプ椅子を取り出す。さすがに一度では運びきれないから、往復が必要だ。正直、いずみにとっては五脚でも重い。しかし三往復まではしたくないので、右に三つ、左に二つを持って進むことにした。

「おい」

 休み休みで進むこと五分、突然うしろから低い声が聞こえて驚いた。振り返ると、不良が立っている。百八十はあろうかという上背に、長い黒髪。学ランの前は開けっ放しで、中には白いTシャツを着ていた。彼が三井寿であるということを、いずみは知っている。一年生のころ、同じクラスだったからだ。はじめは爽やかで明るい人だったのだが、一年の終わりごろには既に荒れていた。その三井の両手には、なぜか置いてきたはずのパイプ椅子。あまりの不似合いな光景に、いずみはその場で数秒呆気にとられた。

「三井くん。どうしたの」
「それ半分よこせ。右のほう」
「なんで?」
「あ? いいからよこせって言ってんだろ」

 睨まれた。三井は入学したときに比べずいぶん人相が悪くなって、今や一丁前に不良の顔つきだ。いずみはそれを怖がるタイプではなかったが、彼の意図はよく分からなかった。戸惑いながら椅子を差し出すと、なかば分捕られる。両手にたくさんの椅子を抱えて、三井は先に歩き出してしまった。そこでようやく「運んでくれている」と思い至った。

「わっ、え、ありがとう」
「ひとりでガチャガチャうるせーし、邪魔なんだよ。何回も向こうに戻ってこられたら、目障りだ」

 どうやら、往復しようとしていることに気づいていたらしい。三井は八脚も椅子を持っているのに、けっこう早く歩いた。もうスポーツはやっていないはずだが、まだこんなに体力がある。しかし、そのぶんいずみの腕は軽くなり、追いつくのに苦労はしなかった。

「明日の総会で使う用だから、体育館ね」
「知らねーよ。指図すんな」

 と言いつつ、ちゃんと体育館へ向かっている。いずみは「なんか優しくない?」と声をかけようとしたが、三井がこれ以上会話をしたくなさそうだったのでやめた。彼が部活をやめて一年、未だ広い背中とまっすぐの髪。元クラスメイトのよしみか何か、彼はいずみに対して無愛想だがそう強くは当たらない。なんだか、不良にしては毛並みのいいやつだと思った。
 特に話すこともなく、目的地についた。しかし三井は入ることなく手前で止まって、椅子を雑に立てかけた。金属が壁に当たって、軽い騒音が鳴る。

「帰る」
「えーっと、ここまでなの? もう目の前なんだけど」
「るっせーな。おめえ、図々しいんだよ。次に同じこと言ったら、殴るぞ」

 かなり不機嫌そうに悪態をついた三井は、律儀にも「帰る」と言い直して、さっさと立ち去ってしまった。慌てていずみが背中に礼を言っても、まるっきり無視された。
 小さくなる三井の後ろ姿を見るうち、いずみの耳は徐々に周囲の雑音を拾った。談笑する女子生徒の声、近くの道路を走る車のエンジン音、風に揺れる木の葉擦れ……そしてバッシュが床に擦れる音、ボールが床にバウンドする音を。

「あ、体育館か」

 そういえば、体育館だった。三井がバスケをやめて一年、ここは彼にとって忌まわしい憧れの場所に成り果てた。いずみは今さら、少し悪いことをしたと思った。彼が引き受けてくれたことだとはいえ、いい気はしないだろう。

「意外と優しい」

 いずみは三井が決して入れない体育館の扉を開け、また端を通って椅子を運び入れた。途中、休憩中と思しきバスケ部の木暮が手を貸してくれたため、案外作業は早く終わった。

「日生さん。これ、ひとりでここまで?」

 木暮の質問にいずみは少し迷って「まあね」と答えた。手伝ってくれたのだか、校舎裏から追い払ったのだか分からない三井のことは、がらの悪い妖精だと思うことにした。